ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ホームラン

5打数4安打3打点。小学6年生の遠足、青々とした芝生のうえ、クラス対抗で戦った野球大会での、おれのバッティング成績だ。
こんな数字をおれが忘れないのは、5、4、3という並びの良さのせいもあるだろうが、それだけ打ちまくって活躍できたことが嬉しかったからというのが大きい。
小学6年生になってはじめて地区大会に向けて急造されたバスケットボールチームと陸上チームに加入したおれは、図体のでかさを活かしてそれなりに役割を果たした。それまでの人生、意識的に運動をすることのなかったおれは、体を動かして何らかの結果を得られるスポーツが楽しかった。5、4、3は、そんな時期に得られた結果のひとつだった。

 

いまおれは26歳だ。


新宿は歌舞伎町のラブホテル街に、そこそこ大きいバッティングセンターがある。赤いネオンで「新宿 バッティングセンター」と書いてある。クリーム色の外壁の向こうで緑のネットが張り巡らされているそこは、欲望の空白地帯みたいで、都会のオアシスという感じがする。
スーツを着ている男、高いヒールを履いている女、日本中どこの町にもいそうな背中に鷹をあしらった黒のジャージを着たチンピラ風の金髪男性、おじさん、おばさん、学生グループ、いろんな人間がガラスの向こうでバットを構えたり、こちらがわで打席に立つ人を見るともなくくっちゃべっていたり、歓声や応援やアドバイス、はたまたヤジを飛ばしている。

 


300円を投入して「100キロ右」の打席に入る。たまにバッティングセンターに行くようになってから、バットがボールに当たる確率は上がったけれど、打球は、ピッチングマシーンより高い位置には飛ばない。


隣からはバットが振られるたびに快音が鳴る。ピッチングマシーンのスキをついて隣の打席に目をやると、いかにも仕事の出来そうなサラリーマンが、良いフォームでバットを振っていた。
彼のフォームは綺麗な星座のようで、全身はリラックスしていて、バットがボールに当たる瞬間だけ、全身に力が漲るようだった。自分のフォームは見ることが叶わないから直しようがないけど、力の入れ方くらいはコントロールできるんじゃないか、と考えたおれは、力を抜いてバットをかまえ、インパクトの瞬間にだけパワーを込めてみることにした。


ボールは速く高くまっすぐ飛んでいった。ピッチングマシーンを軽々と越え、反対側のネットへ一直線だった。白球の届いた先には④の的があって、センター内には「ホームランが出ました」というやる気のないおじさんのアナウンスが響いた。
「わたしホームランってはじめて見たよ~」と、どこかから知らない女の声がする。
おれだってはじめて見た。嬉しくなってガラスの向こうがわを振り返ると、目を丸くして「すごいね!」と満面の笑みを浮かべるツレがいた。
残りの球のことは覚えていない。


ホームランを打つと景品がもらえるらしい。
バットを置いてカウンターに向かうと名簿に名前を書かされた。カウンター横のガラスケースの中にはPS4があった。興奮状態のおれが「これもらえるのかな」と呟くと、ツレは「そんなわけないでしょ」と笑った。
受付のおじさんが「この中から好きなの選んで」と言って見せてきたケースのなかには、いかにも歌舞伎町が似合う、セカンドバッグのなかから出てきそうなハンカチが並んでいた。
いちばんダサいやつ選ぼうと言って手に取ったのは「PAOLO GUCCI」のハンカチで、緑の額縁に青の地、中央は白くなっていて、中央から各頂点にわたって金色のカバンだったりブレスレットだったりベルトだったりの図柄が施されている。
帰り道、ツレはそれをおれの首に巻いて、「歌舞伎町似合うね」などと言って笑っていた。

 

14年前の5、4、3は、おれしか覚えていないけれど、歌舞伎町のバッティングセンターで打った一発のホームランは、名簿に記録されていて、ツレの記憶にも残っている。もしかしたら、見知らぬ女も何かの機会に思い出してくれるかもしれない。
でもおれは、こんなちっぽけなホームランを忘れ去るくらいに、かっ飛ばしまくりたいのだ。あるいは、あのホームランがすべてのはじまりだった、と言えるようになるってのも悪くないかもしれない。
何がはじまったのだろう。