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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

趣味

雑記

すべてをゆだねてしまえたらどんなにラクか、と思いながらも、そんなことはできない。
母が買ってきた派手なトランクスを履かずに捨ててしまった中学生の頃からわかりきってることだ。


けっきょく、おれにも「趣味」のようなものがある。何かに触れたとき、それをダサいとかカッコいいとかその都度判断するという意味での趣味。でも、カッコいいと感じたものを選び取る勇気はない。趣味を身にまとって、街を歩き、人に接し、部屋でくつろぐということをしない。それは、自分の趣味が誰かに否定されるのが恐いからだ。おれが誰かをダサいとかカッコいいとか判別しているように、誰かもおれを判断する。ダサいと思われるのはイヤだから、おれは自分の趣味を作り上げてこなかった。何かを作り上げて否定されるくらいなら、はなっから作らなければいい、そう思っていた。でもこの逃げ腰がいちばんダサいよなあ、と、いまは思う。


趣味を形成してさらけ出すのはとても恐いのだけれど、でも、趣味以前の生理レベルでの好き/嫌いなんかは誰しも必ずあるわけで、それらの趣味を構成する要素は、否応なくにじみ出てしまっている。だったらちゃんと趣味をつくりあげてった方が、いいのではないか。人に己を説明するうえでも、自分自身を捉えるうえでも。



文章には趣味が出る。おれはどういう文章を趣味が良いと感じるだろうか。さいきんはそれがまったくわからなくなってしまって、容易に書ききれなくなってしまった。


母の買ってきた派手なトランクスを捨てたおれは、真っ裸で突っ立っている。