ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ドアの話

そのATMはとても狭くて、ドアを押し開いて入っても、ドアと垂直に接している面の壁にすり寄らないとドアを閉められないほどだ。防犯の観点から見れば、人ひとり入るのがやっとというATMルーム(?)の広さは良いと思う。悪いひとが押し入ろうとしても、彼が入るための隙間はないのだから。なぜあそこまでATMの置かれた箱が狭いのか、本当の理由はわからない。

 

外国の玄関ドアは住居の内側に向かって開く一方、日本の玄関ドアは外に向かって開く、と誰かが言っていた。本当かどうかは知らない。

それを言っていた人は重ねて、この対照的なドアの構造は、ドアの開く流れに沿って、訪問者を家のなかに招きいれるという外国人の他者を歓待する開かれた心持ちと、ドアを外に開くことでいちど訪問者と間合いを取ろうとする日本人の他者との距離感の現れである、みたいなことを言っていた。

聞いたときはなるほどお、と思ったけれど、いま考えると、ドアを開いて無垢な青年に向かって拳銃をぶっ放すアメリカ人もいるし、それにそもそも伝統的な日本家屋って引き戸だと俺は思う。あと、現代日本のドアの大半が本当に外側に開くのだとしたら、それは玄関の狭さにも起因するのではないか。日本は狭いから家も狭い。

 

事実はともかく、内側に開くドア、外側に開くドアは、外人と日本人の他者との接し方の違いの現れだ、という批評はおもしろい。魅力的な言説だ。事実を知りたいと思う人にとっては眉をひそめてしまうようなマユツバでも、おもしろい話が聞きたい人にとっては価値あるものになるだろう。

 

重要なのは、話を聞くときに自分は、その話によって真実を知りたいと思っているのか、それとも話を聞くこと自体を楽しみたいと思っているのかを、自覚することだと思う。これってたぶん案外けっこう難しい。