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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

『ジュラシック・パーク』見たよ

映画感想

ジュラシック・パーク』見た。去年の暮れ帰省したときに録画しておいたのを見た。


(ここから先に書かれることはほとんど事実を知らない人の憶測・妄想です)。


恐竜を現代に甦らせ、とある島に恐竜テーマパークをつくりあげたハモンド博士だったが、その管理はずさんで、パーク内のシステムは、ギークなデブの卑しい男に頼りきり。にもかかわらず、ハモンドはろくな給料や待遇を男に与えようとしないもんだから裏切られる。男によってセキュリティーが壊れたうえ、島を襲う嵐によってパークはカオスと化し、恐竜の跋扈する白亜紀以前の世界になってしまう。


ハモンド博士は恐竜を間近で見るだけでなく触れることさえできるロマンティックなジュラシック・パークという夢が、ビジネスによって蹂躙されるのを徹底的に嫌っていたのだけれど、そんなんだから従業員に高給を与えられず反旗を翻されるわけで困ったもの。劇中、ビジネスしか頭にない男は便座に座ったままティラノサウルスに喰われて死ぬので、映画はロマンとお金儲けの折衷みたいな方向にいくこともない。


原作のハモンド博士は「悪辣なビジネスマン」で、ジュラシック・パークを金のなる木としてつくるようなキャラクターとして設計されていたらしい。映画版のハモンドを純粋な恐竜好き、それゆえ狂気にも似たかたちで恐竜を愛するロマンティックなおじいさん博士にキャラ変えしたのはスピルバーグの意図であって、このハモンド博士はスピルバーグ自身をモデルにしている。


話が逸れるけど(というか別にこの文章に目的地はない)、このように映画内の人物と監督自らを投影している例として、僕が真っ先に浮かべるのが『風立ちぬ』の二郎≒宮崎駿だ。飛行機に魅せられたがゆえに戦争に加担してしまった二郎に、戦闘機が好きで、戦闘シーンを描くのが得意で、戦時中、自らの家庭は軍需産業で潤っていた宮崎駿は自らを重ねていた。


スピルバーグも『プライベート・ライアン』や『宇宙戦争』撮る一方で、『シンドラーのリスト』とか『E.T.』をつくっていて、フィルモグラフィをちらっと見ただけでも破壊や殺戮を描くことへの渇望と、ヒューマニティーへの尊重のあいだで揺れているように見える(とは言っても、後者の映画群が必ずしも美しい人間ドラマに終始しているかといえば、『シンドラー』の残忍な射殺シーンを思い出してわかるように、彼の殺戮描写へのこだわりは尋常のものではない)。


ビジネスや入園者たちの安全を度外視してでも、自ら取り上げた恐竜たちを生かしていくことを選択しかけた結果、孫たちを危険な目に合わせ、海に沈む夕陽を眺めながら夢を諦めるハモンドが、スピルバーグ自らの投影だと考えると、スピルバーグは何を諦めたのだろう。

 

ひょっとしたら、『プライベート・ライアン』やら『宇宙戦争』、そういえば『ミュンヘン』なんかも加えたこの辺の作品は、スピルバーグが出来る限り最大限好き勝手撮れた徹底的に残忍で痛快な夢の映画だったのかもしれない。スピルバーグは諦めないのかもしれない。