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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

甘え

ひとむかしまえは非行少年に手を焼いている親の相談を主に請け負っていた組織が、いまではひきこもりやニートの子供に頭を悩ます親たちの駆け込み寺になっている、という話を飲み屋で小耳に挟んだ。
金がなくっちゃひきこもったりニートにはなることはできないので、彼らの親たちは比較的金持ちだという。「比較的」というのが厄介で、親はいつか死んでしまうし、やっぱり自立してもらわなくちゃ親も心配だ。愛するがゆえに子供にはひとり立ちしてほしくなるものだろう。


ちょっと前に「怒れるニートたちと徹底討論」みたいな番組を見た。「怒れるニートたち」が、タレントの正論に叩きのめされるという「痛快」な内容。
ある青年が「働かないからって誰かに迷惑をかけているわけではない」と言っていた。それに対して「毒舌タレント」は、「『誰にも迷惑かけてない』って君は言うけど、親は迷惑してないの?してるでしょ」と言っていて、ニートの僕はけっこうビックリしたのだ。そっか、親は迷惑してるかもしれないんだよな。


小学校から帰宅した夕方、うどんをすすりながら、少年が犯した殺しのニュースをテレビで見ていたら、大理石のテーブルの向かいに座って同じくうどんをすする母は「どうしても人殺したくなったら私を殺しなさい、人に迷惑かけたらダメだよ」と言った。

 


とある批評同人誌をつくるために、大阪を中心に活動する「劇団態変」の主宰者・金満里さんにインタビューを行った。「劇団態変」は身体障害者にしか演じられない身体表現を追求するパフォーマンス・グループで、国際的にも高い評価を得ている(劇団態変プロフィール)。主宰の金さん自身も重度の身体障害者だ。
金さんはとてつもない破壊衝動に突き動かされている方で、既存の価値観だとか、型にはまった振る舞いだとかへの、生理的なレベルでの怒りを持っている。じぶんの立つ場所すら破壊しかねないその姿勢に対して僕は、恐くないんですか?と率直に尋ねたのだけれど、彼女は「破壊できないことの恐さの方が強い」、「保守的になったら終いや」と言った。
僕が、自分はニートなんですけど……と言ったら、「親に甘えるより友達とか関係のない他人に甘えること方が身になる。無条件に甘えさせてくれるところで甘えるっていうと身にならない」と金さんはおっしゃった。

 

親に甘える、というのは徹底的に保守的な姿勢だ。そして、この依存関係を断ち切る、現在の親子関係を破壊する、というのは、恐い。いちどやってしまったら、後には引けないからだ。せっかく今あるそれなりの暮らしの快適さ、というよりも気楽さを、ポンと棄てて、前に進むのは、自分がニートになる前に想像していた以上にしんどい。



僕は自分がいまどうしてこうなっているのか整理できていない。もともとは目標があるから、そのために親のすねをかじるのも致し方ない、という建前が少なくともあったのだけれど、さいきんでは親のすねはいつまでかじれるものかを心配しているフシがある。

 


さいきん、年上の方々と酒をご一緒する機会に恵まれていて、おごってもらってばかりだ。親から仕送りがあって、家もあって、餓死しそうなわけでもないのに、それでも交際費に割くお金となればそう多くはないから、ごちそうしてもらってばかりだ。
特に良くしてくれている男性がいて、彼には本当に頭があがらない、すごく感謝している。
これまでの僕にとっては、親の庇護から離れるという文脈においてのみ「自立」が課題になっていたのだけれど、やさしい大人たちに良くしてもらうなかで、「自立」はべつの文脈からも捉えられるようになってきた。



なんだかぐちゃぐちゃの文章になってしまったけれど、ぐちゃぐちゃのまま進む、というスタンスが自分には欠けているから、臆面もなくこの文章を晒す。