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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

わからない

ツイッターしか社会を知る窓がないからよく眺めているんだけど、みんな、自分の正しさをある程度信頼して生きているなあと思う。街中ですれ違う、仕事場や学校で関わる、プライベートで会う人たちについてのいろいろな不満を、彼らはぶちまけている。自分の方が正しいという信念をもって、いろいろなことを言っている。
俺は、俺がフォローしているアカウントの視点からしか、彼・彼女の不満が引き起こされた事態を知れないわけで、それはつまり、本当は俺のフォローしている人に非がある可能性だってあることを意味すると思うんだけど、グチるときに人はわざわざ自分の過失は言わないものだから、俺は彼らの言い分だけで、ふむふむするしかない。
一応言っておくと、基本的にはその人の視点を信じられるから、俺は彼らをフォローできているわけで、俺はここで誰か特定の人を、ことさらにあげつらおうとしているわけではない。


俺は別に、自分の正義こそが正しいって言っているのってすごく滑稽に見えるよ、だとか、もうちょっと客観的に物事を見た方がその不満も解消されるんじゃない?とか言いたいわけじゃなくて(言いたくなることだってまれにあるけれど言わないし言えない)、みんなそれなりに自分を大切にして、社会の悪意から自分を守っていて、そのことをすごくいいな、と思っている。


俺は親のすねをかじり倒している無職だから、自分には何も言う資格がないと感じていて(社会の側も同じ気持ちだろう)、本当は言いたいことあるときも、言えない。本当は言いたいことがあるのに言わない、ってことを続けていると人は、自分には本当に言いたいことなんてないような気になるのかもしれない。俺はそうなった。
俺が誰かについてグチったり、意見したって、俺にグチられたり意見されたりする対象はもちろんのこと、第三者の視点から見ても、俺のグチや意見は正当性を欠いているだろう。俺自身も社会に立ち位置を確保していない自分の放つことばに価値があるとはあんまり思えない(俺と同じように無職である人間たちのことばにも意味がない、とは思わない。俺はずっと一般的な話ではなく、俺個人の話をしている)。
人の話すことはすべてポジショントークだから、ポジションのふわふわしている俺のことばは、同じように捉えどころがなくすぐに溶けてしまう甘ったれた綿菓子のようなものだろう。よく言いすぎたかもしれない。


親のおかげで生き長らえている俺のことばは、ふわふわしている。
ふわふわしているのに、こうやって毎日のようにここに何かを書いている。意味のないことばだと思うのなら、徹底的に押し黙るのが筋なはずなのに、それでも毎日何かをつぶやいたり、何かを書いてたりしている。自分が何を言いたいのかもわからないまま。


俺は、自分が何を言いたいのか、何を欲しているのか、そういうことがわからない。考えてもわからないなら動けよって話なのだけれど、動けない。どうしたらいいのかわからない。自分のことばを、欲求を、大切にしたいとは思うのだけれど、どうすればいいのかわからない。


何を願えばいいのかわからない。