ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

猫とタイムスリップ

雨が嫌いになったとか、梅雨が好きな人間なんているんだろうか、とか言ってきたのに、夕方の帰り道に落ちてきた雨がすごく良くて、すっかりいい気分になってしまった。さいきんの僕は、自分が何が好きで何が嫌いなのかよくわからなくなっている。あるいはやらず嫌いしてる労働も、非常に向いているのかもしれない。


雨粒ひとつひとつが、ぎりぎり認識できるくらいの量と間隔で、ビニール傘に落ちてくるときの音と、夕方なのに薄暗い感じがたまらなく良かった。帰り道、というのがまた良い。仮に雨脚が強くなったとしても、もう帰るだけだからジーパンが濡れたって、しょうがないな、くらいの感想で済む。


徒歩1時間くらいの長い帰り道で、そこはいつも通る道じゃなかったから、少し寄り道した。その公園の名前の由来が歴史を感じさせるものですごく好きになったから、今度あの道を通ることがあったら久しぶりに一周しようと、3週間くらい前から思っていたのだ。
予報では午後はずっと雨となっていたからか、公園には人っ子一人いなかった。石のベンチの上にキジトラ猫一匹が座っているだけだった。
さいきん、出会う猫との相性が悪くて、近づいても逃げられてばかりだったんだけど、きょうは近づいてったら、まさに猫なで声を出してあっちも寄ってきてくれた。彼女は(確認はしていないけれど便宜上彼女と言う)ベンチの上に置かれた新聞紙の上にずっしりと座っていてかわいかった。
しゃがんで呼んでみたら、手の届く位置まで来てくれたので、右手に持った傘の下、左手で撫でたんだけど、頭の毛がイヤな抜け方をしていて戸惑った。病気らしい。背中だけ撫でた。
しゃがんだときに僕は、ベンチの下にもトビミケがいるのに気づいていて、彼女(確認はしていないけれど便宜上こちらのことも彼女と言う)のほうが綺麗だったし撫でてみたかったので手を伸ばしてみたものの、彼女はマイペースらしくこっちに寄ってきてくれない。僕が近づいたらあっちはのっそりと立ち上がり、のしのし離れていくばかりだ。代わりに、ヤキモチを焼いたらしいキジトラが、僕の手元に頭を寄せてくる。ごめんね、と小さく小さく言って、また2、3回背中を撫でてやったら、二匹の視線が新たに公園に入ってきた人に集中したので、帰ることにした。


帰り際、キジトラが座っていた座布団代わりの新聞紙を足でめくってみると、それは去年の8月付の読売新聞で、1面には川内原発再稼動と載っていた。
誰が、なんで、いつ、わざわざその一部だけを、そこに置いたんだろう。新聞はぜんぜん古びてなかった。

 

その日付は、僕の母が死ぬ前のもので、だからちょっと感傷的になってしまった。この新聞が最新だったときは、まだ生きてたんだなと、思ってしまった。1年前の新聞が、公園のベンチの上に置かれていることが不思議で、いっそ今日が去年の8月だったら、と一瞬夢想してしまった。寝不足だから変なことを考えてしまう。
でも、ここ1ヶ月ほど僕は母のことを以前より思い出さなくなっていたので、ちょうど良かったと思う。雨が止んだらもう夏だ。去年の宿題が片付いてないから、またいろいろあるはずだ。


公園から出る僕のことをじっと見つめていたけど、猫は着いてきてはくれなかった。つぎあの公園に行くのはいつになるだろう。


家に着いて、手を洗うまで、左手はずっと何にも触れないように、だらんと垂らしていた。帰ってからしたたか入念に洗った。