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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ありのまま

梅雨に入ったかとおもえば連日真夏日らしく、まあでも日中部屋に閉じこもっている俺には関係ないかんじ。窓を開け放っていれば、まだまだじゅうぶん過ごしやすいし、夜の散歩は気持ちがいい。ただ、4時半には東の空が明るくなっているこのごろ、その時間帯に外を歩いていると「カー、カー」とおそろしく黒い鳴き声が聞こえてくるから首を縮こまらせながら早足にならざるを得ず、すこしだけ生きづらい。

 


ここに戯れ言を書いていたら出会えた人のひとりが、すごく気のいいお兄さんで、本当に良くしてもらっている。彼もブログを書いていて、これが自分より年上の人の文章だとは思えないほど素直で、親しみ深くて、感傷的で、おしゃれで、好奇心旺盛で、すごいなあ、といつも思っている(こういうときに彼のブログを紹介してもいいものか迷う、その辺りがネット慣れしていない自分の弱さ)。
そんな彼がこないだふと言っていたことに驚いた。彼はブログをスマートフォンで書くことが多いらしいのだ。スマートフォンでブログを書くなんてアイドルかJKくらいなもんだと俺は思い込んでいたので勝手にびっくりしていたのだけれど、なるほど、だから彼の文章は率直で親しい感じがするのかもなあ、と、これまた勝手に納得した。
俺も何回かスマートフォンから文章を投稿したことがあるけれど、いつもより無防備で、パーソナルなものになったような覚えがある。まあいつも素っ裸で個人的な話しかしていないんだけれども、いつも以上に、ということだ。


さいきんは大学のレポート課題なんかもスマートフォンでつくって提出する学生が多いらしいけど、彼らはスマートフォン上でちゃんと「プライベートの文章」と「オフィシャルな文章」を打ち分けられているんだろうか。
まあタイプライター以前はみんなメモも手紙も論文も小説も詩も、ペンで紙に書いていたわけで、PCとスマートフォン、ツールが変わると文章のスタイルが変わってしまう俺なんかは、技術革新の過渡期の哀れなシロモノなだけかもしれない。




さっき、「『ありのまま』と『自分磨き』は相反する言葉なはずなのに、同じ口から発されることが多い気がする」というツイートが流れてきて、つい最近までの自分だったら首がもげるほど頷いたはずなのに、きょうはちょっとかしげてしまった。
ツールが変わると言葉遣いどころか言いたいことまでも変わってしまう俺は、「ありのままの自分」がよくわかっていない。誰かと向い合って話すとき、LINEするとき、履歴書を埋めるとき、こうやってブログを書くとき……。それぞれの場面で自分にあった言葉づかいは変化していくし、伝えるべき内容、伝えたい内容も変わってしまう。というかほとんどの時間の自分は大した主張もなく、話すこと書くことそのものが楽しいという瞬間を求めているだけな気もする。
それはもちろん俺が「確固たる自分」を持たない弱い人間だからかもしれないのだけれど……。
あと、いちおう言っておくと、先のツイートをした人の主張の是非をここで問うつもりはなくて、俺はあのツイートを読んでこんなことを考えた、という話をしているつもり。



ツイッターでの俺は「おっぱい」とか「かわいい女といちゃいちゃしたい」とかしか言ってない。
ブログを書く自分も、ツイートする自分も、恋人に恋文を書いていた自分も、面接でしどろもどろになる自分も、瞬間瞬間の「ありのままの自分」だったと俺は思っていて、そうやっていろんな場でいろんなむき出しの自分を自覚していって研鑽を重ねることが自分磨きなのかもしれないなあ、と思っている、なんて、収まりがいい風にまとめてしまうのも、ブログを書くときの自分の悪い癖だ。それもまたいまの俺のありのまま。




さいきんの俺はまたまた完全に昼夜逆転の生活を送っていて、自分にはけっきょくふつうの朝起きて昼活動して夜は寝る、という生活スタイルが合っていることを2ヶ月前に知ったにもかかわらず、いっこうに調整できない自分を扱いづらく思っている。
人生を変えたいのなら、環境と付き合う人を変えなさいというのはよく聞く話で、それはまったく真理だと俺も思う。
環境やら付き合う人やらが変わったら簡単に変わってしまえるのが俺たちの良いところ。