ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

見た映画の話と少しだけ自分の話

さいきん見た2本の映画の話をしてから(しながら)自分の話を少しだけします(以下、1500字ちょっと)。

 

『エレナの惑い』を見た。ロシア映画。
富豪と再婚した女が、子供(女にとっての孫)を大学に通わすことができない無職の甲斐性なし息子(前夫との子)の無心に応えるために、死にかけの夫にとどめを刺してしまうお話。
富豪と女のあいだに愛はあったはずだ。金のことでケンカしてしまった朝、ちょっとおいで、とベッドに誘われた妻の表情を見て、俺はそう思った。富豪が心臓マヒで倒れたとき、女は教会でろうそくに火を灯し祈っていたのだし。とはいえ、その小さな炎はやがて遺書の草稿を燃やす大火へと育ってしまう。あくまでも息子家族のために。
富豪も、前妻とのあいだに娘を持っていて、彼女もまた父の金に完全に依存してひとり暮らしている。病床の父を見舞った彼女は悪態をつき「あんたがなんでも与えるから私はこうなったんだ」とほざく。あれ?俺の口にもそんな言葉の感触が残っている気がする……。
女の息子は、遺産を残して死んだ継父を評して「やっと人の役に立った」と言う。
女は、息子への援助を退ける夫に対して「あんたはただ金を持っているだけのくせに偉そうにして」と憤る。
この映画唯一の救いは、父の死に娘が涙を流すところ。病床の父と抱きしめ合ったときの彼女の心境は、どうだったか。
女の息子が住む団地は原発のすぐ近くにあって、核分裂の際に熱で発生する水蒸気で発電機を回すことで電気を生み出すその施設は機能していないらしく、敷地内では近所のチンピラが焚き火を囲んでいる。大学入学を控えた女の孫は、彼らと殴りあいをする。
この映画は水と火のイメージに満たされている。水のなかで富豪は心臓麻痺を起こし、水を飲まされて死に至る。娘の吸う煙草の火、ろうそくに灯る祈りの火、遺書を燃やす罪の火、停電した団地で灯されるろうそくの火、チンピラの囲む焚き火。命を源のはずの水が命を絶ち、人間の発明である火はふだんの生活からは退けられている(治安の悪い団地のキッチンでも湯を沸かすのは電気ケトル)。そういう世界のなかで、誰かの子供たちはみな生き方がわからなくて、えんえん酒を飲み、煙草を吹かし、ケンカに明けくれる。


県警対組織暴力』を再見した。
刑事の菅原文太とヤクザの松方弘樹は友情で結ばれていたが、その絆は、ヤクザ取締強化のため署にやってきたキャリア組の梅宮辰夫から見れば癒着以外の何ものでもない(実は梅宮の方が性根の腐った人間なのだけれど)。やがて逮捕状が出て、追い詰められた松方は人質を取ってホテルに立てこもる。彼を説得するために送り込まれた菅原は、松方の刑期を通常より短くすることや、自分の裁量で仕事ができるようになることなどの条件を梅宮に飲ませることで松方を納得させ、自首させる。しかしギリギリのところで松方は、梅宮に拳銃をつきつけて逃げ切ろうとしたため、菅原は、苦渋の決断で、松方を射殺する。
悪あがきする親友に引導を渡さざるをえなかった菅原文太はなんとも気の毒だ。そして俺にはなんだか心当たりがあった。俺は、去年の暮れ友人を「俺がここまで言わないとオマエはわかってくれないんだな」と怒鳴らせてしまった。あのときの悲しそうな憐れむような表情が、菅原文太の顔と重なった。友人に引き金を引かせたのは俺だった。




先日、ひさしぶりに父に電話をかけた。彼は「仕送り足りるように送っているつもりだけど、もし足りなかったら遠慮なく言えな」と言った。
先日、友人からCDが届いた。彼が趣味でやっているバンドで録った曲が、1曲だけ入っていた。演奏はみな上手だったけど、歌詞が下手だった。彼は「目をつぶると瞼の裏にある黒に染まる気がしてさ でも心配することはないさ 明日は希望色に満ちているさ、僕ら色に 自分色に染めて」と歌ってギターソロを鳴らした。