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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

あんこの入っていないどら焼き

梅雨入りしたらしい。
妙に涼しくて、秋を思わせる夜だった。
渋谷の喧騒から少し離れた高級住宅街にある公園で、兄弟とどら焼きを食べた。小学生の頃の僕は、目玉焼きを乗せた納豆ご飯か、どら焼きを頬張ってから、登校していた。そんな偏った僕の食生活を覚えていたのかは知らないけれど、誕生日プレゼントということで、どら焼きをくれた。とてもおいしかった。生地だけで食べてみたかった。
切なかった。


昨日の夜は大学時代の友人と久しぶりに再会して飲んだ。僕はここ1年の自分が置かれている状況の変化をうまく咀嚼できていなくてうまく喋れなかったし、彼はあまりにも消化が良すぎて何事も手際よくしゃべりすぎるクセがすこし過剰になっていて、互いのズレになんだか腹立たしくなってしまった。
始発帰宅も辞さない覚悟で渋谷に出てきたけれど、彼は終電よりも前に帰ってしまったので、僕も帰った。


いちどは家に帰ったものの、おもしろいことが起こっているのに新宿に来ないオマエは明日きっと悔しがるよ!とLINEしてもらって、家の廊下でUターンしてすぐにまた電車に乗った。とはいえ、電車では渋谷までしかたどり着くことができなくて、山手線に沿って1時間ばかり歩いた。
歩いていたら泣けてきた。5年間誰よりも遊んでいた友人と、1年ちょっと離れたくらいでまったくフィーリングが合わなくなっていたあの感じを思い出してたら、泣けてきた。
先週の同じ時間、タクシーで通りすぎた代々木駅のまえを、ひとり歩く。

ようやく着いた新宿のアンダーグラウンドでは、20年前につくられた、おもいっきりアホやってるさまが収まった映像を、丁寧に紡いだ映画が流れていた。笑って泣いた。やっぱり変なお客さんが多くて、来てよかったな、と思った。


地下から這い出るころには、連日の飲酒と雨のせいで、副鼻腔が疼いて痛み、吐き気もあったけれど、おそば屋さんに連れていってもらってざるそばを食べさせてもらったらいつの間にか治った。
治ったけれども僕はほとんど何も話せなかった。2人のおしゃべりはあまりにも完結していておもしろく、聞いてるだけで良かった。たまに話を振ってくれるやさしさが嬉しかった。店を出るころには雨は上がっていた。

 

家に着いたのは13時半で、シャワーを浴びて、Tシャツと水着を来てベッドに横たわった。
笑点の音で起きて家を出て、渋谷でご飯を食べて、冒頭に戻る。

 

 

総合的に見て、僕ら20代なかばの人間たちは、上の年代の人たちよりもエネルギーが足りていない気がする。エネルギー、というより、バイタリティー? 根源的な、何かが、不足している気がする。たとえば、徹夜した朝から昼にかけて生ビールをしたたかに飲むような人間の力が足りていないような気がする。
大人たちはきっと「そんなものは人間の力でもなんでもないよ」と笑いながらまたジョッキを空にするのかもしれないけれど、僕はその笑顔に勝手にたじろいでしまう。

 

まあ、ここに書いた雑感は社会に出たことのない無職者の実感でしかなく、僕と同年代の人たちは「僕らだってエネルギッシュだ、バイタリティー溢れる人間だ」と言うかもしれない。でも、やっぱりそう言われても僕は、僕らの世代のそれらは、コンビニでエナジードリンクが補給してくれる類のもので、「人間の力」とは違う気がする。


僕は、自分に欠けているものを、世代という抽象的な塊のせいにして、安心しようとしているだけなんだろうか。


あんこの入っていないどら焼きが食べたい。
文章だけの文章が書きたい。