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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ほんの少し

ツイッターは、ふだん言えないけど言いたくなっちゃった戯れ言を垂れ流すのにちょうど良いから、ブログは、日記に残すだけじゃもったいない、誰かの心をほんの少し波立たせることのできるかもしれないそよ風のような、しかし到底お金にはならないような文章をストックできるから、僕は好きだ。


誰もが思っているのに言わない(言えない)こと、そういうことを吐き出せるのが僕にとってのインターネットであって、同じように名のない誰かが吐き出した言葉が、心をつねにほんの少しだけ揺らしつづけてくれるのが救いになっているのかもしれない。



ほんの少し、というのが大切なんだと思う。
もともと僕らの言葉なんて大した意義も価値もなく、仕事場や学校でも、大切な人とのプライベートの時間でも、言わない(言えない)言葉たちは、ほぼ無価値だ。
ほんの少しだけ、一瞬だけ、誰かに届けばいい、面白がってもらえればいい、疑問に思われたりムッとされたりでもいい、ほんの少しだけ、知らない誰かの心が揺れればいい。揺れたよって教えてもらえるとなお良い(だから、ふぁぼられたりスターをつけられるのは嬉しい。あ、あと、僕は「ふぁぼ」と言い続けたいです)。

 

ほんの少しだけ、のつもりでネットに言葉を吐きはじめた人は多いはずだ。
なのに何かの間違いで声が大きくなってしまうこともあるだろう。そしてフォロワーや読者に、あるいはその外にいる人たちに、過剰に褒められたり貶されたりする。褒められれば自分の言葉には価値があると思い込んで尊大になるかもしれないし、貶されたらめちゃめちゃに傷ついてせっかくネットで得た居場所を失うかもしれない。失った場合は生まれ直せるのがネットの良いところだと思うので、そこについてはこれ以上話す気はなくて、僕が話したいのは、尊大になってしまった場合のことだ。自分の言葉の価値を見誤ってしまった人が、暴走していくのを見るのはつらい。僕自身、とても調子に乗りやすい人間だから、万が一過剰に褒められたら、暴走するだろう。暴走して誰かに追突してケガさせたり、自損事故を起こしたりしては目も当てられない。


暴走を防ぐために有効なのは、自分の言葉を売ることだと思う。アフィリエイトとかではなく、ひとつのテキストを商品として売る。売れなければそれほどの価値はなかったんだなと落ち込んで暴走は止まるだろうし、売れればそれは調子に乗っていいというお墨付きなのかもしれない。売れた場合のことはあんまり考えられなくて、それはネットで吐かれる言葉のほとんどすべては無価値だと僕は思っているからだ(もちろん例外も「たくさん」ある)。





すごく話がズレる形でこの文章を締めたいのだけれど、中学から高校に進学した際「うちの中学はギャグセン(ギャグセンスの略?)めっちゃ高かったのに、高校は笑いをわかってないヤツが多い」と、高校でのたまうお調子者たちのことが、僕は苦手だった。
そんなセリフを聞くと、オマエの言葉は中学では価値があったのかもしれないけど、オマエのことを知らない人間が大勢いる高校ではオマエのそれは少なくとも現時点では無価値なんだよ、と心のなかで悪態つきながら、苦笑いを浮かべたものだった。