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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

蚊帳の外から見るエモ 『モッシュピット』ファーストインプレッション

僕は「エモい」という言葉が好きだ。
しかし、映画『モッシュピット』で「エモい=感情的」とテロップが入ったときは、イヤな感じがした。


エモい、という言葉を僕が好きなのは、それがほとんど定義不可能だからだ。定義できないからこそ人は、エモい感情に浸ったとき、少し考えてから、そのエモさをなんとか伝えようと言葉を尽くすべきだ。
「エモい」。その言葉は、放ったあと一拍置いて人が、たくさんの言葉を吐くための口火を切らせる魔法であってほしい。エモいはその一言で片付けてしまうためにあるのではなく、無限に言葉を紡ぐためにある、そんな風に僕は思っている。
そして、誰かが自分の感情を伝えようと必死で話すさまを「エモい」と一言で形容するのはアリだ。エモいを説明するさまもまたエモいからだ。
何かが過剰になっているさまが心にぐっと来たとき、僕はエモいと思う。過剰には過剰で応戦しなくてはならない、それは礼儀だ。エモにあてられたのなら、エモを返していかなくてはならない。
しかし、『モッシュピット』はエモいを一言で定義付けてしまった。映画全体までもが、エモいの一言で片付けられてしまうのではないか、と不安になった。

 

 

モッシュピット』はHave a Nice Day!(以下、ハバナイ)が渋谷のLIQUID ROOMで開催したフリーライブの模様、及びその開催に至るまでの流れを記録したドキュメンタリー映画だ。
この無料ライブは、いわゆるクラウドファンディング資金を集めて行われたもので(LIQUID ROOMは100万円で借りれるらしい)、この事実と「モッシュピット」というタイトルからもわかるように、映画はアーティストとファンたちの共犯関係をテーマのひとつに据えようとしている。
また、このライブにはハバナイと「血を分けた」と言ってもいいバンド、Nature Dander Gang(以下、ネイチャー)と、ハバナイとのコラボ曲を持つアイドルユニット、おやすみホログラム(以下、おやホロ)も出演する。3組のグループと、ライブハウスに集まった925人がぶつかりあって巻き起こしたモッシュピットは、総力を結集したAVメーカー・ハマジムのカメラ17台によって記録され、監督・岩淵弘樹によって「物語」として紡がれた。


この「物語」というのが厄介だ。ハバナイのボーカル・シンセサイザー担当でありリーダーである浅見北斗は劇中、フロアの人間たちの物語と、自分の考えていることが一致することはまずない、しかしそれでもたまに合致する瞬間があってそれを捉えられたらいい、というようなことを言っていた。
この言葉を映画に残しておきながら、それでもなおひとつの「物語」を紡ごうとする。とてつもない覚悟のいる試みだろう。しかし、それが成功しているとは思えなかった。
何人もの観客から言葉を聞き出し、アーティストを映し出し、ライブ空間を再現する、そしてそれをひとつの「物語」にする、並大抵のことではない。
もちろん、浅見の言葉を思い出して、この映画を好意的に解釈すれば、『モッシュピット』では、物語と物語がぶつかりあい、人と人との何かが合致する瞬間が何回も何回も生まれては消えている。いくつもの人生が、想いが結集したパーティー当日をうまく見せてしまえば、「物語」らしきものが読め、それなりの「感動」も得られる。
しかしそれはあくまでも映画内での話だ。感情移入した(映画の中に没入している)人たちは、その「物語」と「感動」を容易に受け取れるのかもしれないが、映画館でハバナイやネイチャー、おやホロを初めて知る人たちは、どうやって没入すればいいのだろうか、その方法が僕にはわからなかった。「エメラルド」という曲の意義も、内藤さんの不在の意味も、理解はできるのだけれど、「物語」に入っていく契機にはならなかった(ネイチャーから脱退したいとメグが言うところはおもしろい物語だった。本当のところはどうだか知らないが、彼女が「音楽をちゃんとやるために、ネイチャーを辞めたい」と言ったのと同じような言葉を放って、今やれることから逃げた経験が僕にはたくさんあるからだ)。
言い忘れていたが、僕はこの映画に出ているアーティストたちの曲が好きだけれど、彼らのキャラクターやバックグラウンドまではいちいち知らなかった。ライブに行ったこともない(「@Youtubeさんからあの子の端っこかじって知ったかぶり」[大森靖子「魔法が使えないなら」]というところ)。
この映画ではじめて、ハバナイとネイチャーとおやホロが彼らのファンと共につくりだすモッシュピットを見た。そして、その光景を見ていても、なんで彼らがこの音楽によってここまで体をぶつけあえるのか、その理由が最後までわからなかった。彼らの音楽は好きだけれど、なぜモッシュが起こるのかわからなかった。


モッシュピット』は、あのパーティーを体験した人たちにとって、そしてあのパーティーを体験しそこねたと思っている人たちにとっての記録映像なのだろうと思う。あの日を思い出すために、あの日を少しでも追体験せんがために、ファンが見るものだ。「あのパーティーは本当エモかったなあ!」と思い出していうための思い出のムービーだ。「東京のアンダーグラウンドではこんなすごいことが起こっているんだぞ!」とモッシュピットの外にいる人たちに伝えるものではない。実際にアンダーグラウンドですごいことが起こっていたとしても、だ。
描かれている「物語」は読めるけれど、それを読むことで沸き起こる「感情」までは、モッシュピットの中の人たちとは共有できない。『モッシュピット』はそんな映画だった。

そこにいた人たちがエモくなったのはわかる、じゃあなんでエモかったのか、どういう風にエモかったのか、そこのところを映像でもっと説明してほしかった。ハバナイのネイチャーのおやホロの音楽は、パフォーマンスはどうして人を惹きつけてやまないのか、そこへの解釈が足りないように感じた。






とりあえずの第一印象はここまで。パンフレットを熟読してから、感想を整理してから、それでもまだ書きたいことがあったら追記したいと思います。
あ、おやホロのふたりが何か麺を啜っているシーンがあったように記憶しているんだけど、あのシーンはもっと見たかった。女子がものを食べるシーンはちゃんと見せてほしい。あと、つけ麺屋で働くネイチャーの関さんが出してくれた特製つけ麺って食べられてたっけ?がっつり食べてほしかった。


そして、僕自身はハバナイとおやホロの音楽が好きだ。ネイチャーについてはまだ音楽をちゃんと聴いてないのでなんとも言えない。
彼らの音楽の質と、この映画への評価は別物として書いたつもり。