読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

聖母・上原亜衣を忘れないために 『青春100キロ』感想文(ネタバレあり)

映画感想

ネタバレ多少あると思いますが、セックスだって、精液を出すことだけが目的じゃないでしょう。その過程が楽しいってなもんなんでしょ。
つまり結末を知っていても、この映画はおもしろい、ってことです。

 

 

f:id:massarassa:20160505043407j:plain



監督失格』の平野勝之が監督するAV女優・上原亜衣引退作品『青春100キロ』がエモくて最高だった。


昨年引退を発表した上原のために、引退プロジェクトとして年末の3日間に渡って6本の作品がつくられており、この作品もその中のひとつに位置づけられる。
『青春100キロ』は、素人青年「ケイくん」が、山中湖で『上原亜衣引退スベシャル 100人×中出し』撮影中の上原に会うために、新宿都庁前から100キロの真冬の道のりを走って「上原亜衣のまんこ」を目指すという物語だ。走破のあかつきには上原亜衣と「中出しセックス」ができるとあって、ケイくんの意気込みは並々ならぬものがあるのだけれど、ケイくん、監督・スタッフ共々余裕のあったスタート直後とは打って変わって、あるトラブルをきっかけに山中湖への道のりに暗雲が垂れ込める。ケイくんは無事上原亜衣の元にたどり着き「中出しセックス」ができるのか、そして引退を目前に控えた上原の心境とは。ふたつの物語が同時並行で語られていく『青春100キロ』は、人気ナンバーワンAV女優と、彼女のいちファンの、それぞれの「青春」が交錯する地点を目指して、2時間をあっという間に駆け抜けていく。



俺にとって『青春100キロ』が魅力的な作品になっているのは、「私のことを、忘れないで」言う上原亜衣の圧倒的存在感と、その言葉を本作に残した平野勝之の意図から彼の人生が垣間見える気がするからだ。


中出しセックスがしたいという一心でボロボロになっても走り続けるケイくんはもちろん本作の主人公で魅力的なんだけど、彼を駆り立てるのは他でもない上原亜衣その人。
人々に愛されたくてがんばったという彼女の心情は、AV女優として最後の「相手」に、100人の素人男性と、ケイくんその人を選んでいることからも裏づけられる。上原亜衣は、最後までファンの想いに応えようとしているのだ(最後まで、と思わず言ってしまったが、彼女の活動をまったく知らない俺には本当のところはわからない)。


個人的に俺は、おそらく少女のときに鍛え上げた結果身についた上原亜衣の二の腕から肩へのラインのたくましさが好みではないのだけれど、できるだけ多くのファンの人に中出ししてもらいたいという涙ながらの思いを『青春100キロ』で見せつけられて、あの肉体のたくましさは、母性の体現なのだと納得してしまった。
憧れのAV女優と向かい合い、しかも彼女の引退が目前に迫っている状況で言葉につまる素人男性たちを泣きながらも笑顔で抱きしめる上原亜衣は聖母のよう。この作品で俺は遅ればせながら彼女のファンになってしまった。あんな女を好きになって、抱きしめられたい。この映画を見ると「男ってバカだなあ」なんて言いながら笑いたくなるけど、そうじゃなくって、男の欲望を受け止められる上原亜衣が偉大すぎるから、男が滑稽に見えてしまうだけだ。そう思いたい……。

 

聖母でありながらも、愛に飢えどこか寂しげな上原の「私のこと、忘れないで」という言葉を本作に残したのは他でもない平野監督だ。
冒頭で言ったように平野は『監督失格』という映画を2011年に撮っている。これは「伝説のAV女優」だった林由美香と恋愛関係にあったAV監督・平野の、東京から北海道への1ヶ月をかけた自転車旅と、その後の破局、そして死別を描いたドキュメンタリー作品だ。

 


監督失格』には、由美香の母である小栗冨美代(野方ホープの社長)が出てくるのだけれど、彼女は5年前に酒と睡眠薬の服用によって事故死した娘を思い出しながら「人間は2度死ぬって言うじゃない。本当に死んだときと、忘れられたときと。本当にそうかもしれないね」と言う。


平野は、林由美香を2度目の死から救うために、失意のどん底にありながらも『監督失格』を完成させる。そして、これまでずっと林由美香と「お別れ」することができなかった平野は、ようやく彼女に「逝っちまえ」と言えたのだった。
そういえば、『監督失格』というタイトルは、肝心のシーンをいつも撮りそびれてしまう平野監督に対して林由美香が皮肉っぽく言った言葉に由来する。『青春100キロ』には、そんなことを言われた平野監督が、「そこが監督の腕の見せどころですよ」みたいなことを言う場面がある。「監督失格だね」と言われ、その言葉にこだわった平野勝之が、監督としての余裕を醸し出している(ように見える)本作は、達成であり克服なのかもしれない。



林由美香と上原亜衣を重ねるわけじゃないし、監督もまったく重ねてはいないだろう。『青春100キロ』を見ていても、平野勝之は上原亜衣にあまり興味がないようにも感じたくらいだ。
それでも平野は、「私を忘れないで」という、AVの世界を去っていく上原亜衣のその気持ちだけは痛いほど分かったのかもしれない。だから平野監督は、彼女のあの言葉を大切に残したんだろう。



被写体は映像に生なましく残る。
監督失格』には、横たわった林由美香が「幸せだよ」と言う印象的なシーンがある。素の彼女がむき出しになり、カメラを持っている平野との関係性が画面を通して伝わってくる。それを見ることは、彼女が死んだことを知っている観客にとって身を切られるような痛みが伴う。それでも彼女の姿、仕草、声、感情が刻まれている映像は、彼女のことを忘れないために最良の素材となる、なってしまう。


そして映像は自分を思い出すためにも機能する。
たぶん、上原亜衣に中出しできたファンの男たちは、緊張しすぎたり、感極まったりして、自分が彼女と裸で相対したことを、あまり覚えてない。上原亜衣をして「誰よりも私の目を見てくれた人」だと言わしめたケイくんは、そのセックスを鮮明に覚えているかもしれないが、それでも満身創痍で峠道を走っているときのことは覚えていないだろうし、後頭部に安全のための赤いライトを灯した自分の後ろ姿は、映像を通してしか見れない。そういえばトラブルに見舞われて半べそかいていた彼は、記録された自分の姿を見たとき、どんな顔をしただろう。

 

平野監督とスタッフたちが撮った映像が作品となって、彼らやケイくんは、それを見返すことで最良の思い出や、自分の姿や思い出を思い出すことができる。忘れないために、思い出すことができる。
この『青春100キロ』は、聖母に中出ししたかった男たちと、中出しのために走った男と、中出ししていいよと言った女が、自分が生きていたことを忘れないために、観客が彼らのことを忘れないためにある。


後頭部に赤いランプを灯しながら夜道を走るケイくんは、『コップ・カー』で真っ暗の夜道を少年がパトカーが駆るシーンを思い出させた。だから、やっぱりこの『青春100キロ』は青春映画だ。

 

f:id:massarassa:20160505043752j:plain





蛇足だけれど、この映画に対して(主に見てない人たちから)かまびすしい意見が飛んでるっぽい。
都庁を背景にスタートし、右翼の街宣車が横を過ぎ去って、公明党やら幸福実現党やらの選挙ポスターがやたらと画面の端っこに映りこんでしまう『青春100キロ』はやがて、「中出し」がしたい一心で真っ暗の夜道を走る男だけになる。公のしがらみから逃れ去って、トンネルを抜け、山中湖で感動のセックスをするこの作品が、そういう「まっとうな意見」にさらされているのは、皮肉な現実だなあ。