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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

見たことはある、でもそれだけ。

俺の部屋はアパートの3階の角部屋にあって、ここのベランダには避難ばしごが設置されている。もしこの家が火事や地震に見舞われ各々の部屋のドアが機能しなくなったとしたら、隣の部屋、その隣の部屋、そのまた隣の部屋の住人たちは、それぞれの部屋のベランダを隔てる薄っぺらい壁を突き破って、この俺の部屋のベランダにあるはしごを使い、2階、1階へと降りて、災難から逃れることになるのだろう。


もしそんなことが起こったら、俺は、お隣さんたちと、敷地外に集まってみんなであーだこーだ言葉を交わしたい。燃え盛る炎を肩寄せ合って呆然と見上げたり、どこに避難すればいいのか話し合いたい。
そのときはじめて俺は、じぶんの隣の、その隣の、そのまた隣の部屋の住人たちの顔を、はじめて知ることになる。しかし彼らはすでに、俺の叫び声や、元恋人のあえぎ声を聞き覚えている。ベランダの壁を突き破るとき、ふと、おれたちの声を思い出す。そして、呆然と見上げたり、言葉交わし合ったりしたときにはじめてあのときの声と、その主が一致して、笑いをこらえる。それに思い当たった俺は、目の前で住処が崩れ去るときも「彼らはいま笑いをこらえているのかも」なんて、そんなことを考える。


でもまあ、3階くらいの高さなら、はしごなんか使わずに1階の植え込みに飛び込むのかも。そして、このアパートを振り返ることもなくどこかへ立ち去り、ほとぼりがさめたころに管理会社に電話でもかけて、いろいろなことを確認するのかもしれない。俺たちはしょせんこの部屋を借りているだけだから。
俺に限っちゃこの部屋に身銭を切って買ったものなんてほとんどないし、数少ない思い出の品々も未来につながっていくものは多分ひとつもなく、だからすべてが灰になってもガレキに埋もれても、あんまり悲しくないかもしれない。



同じ釜のメシを食う牛丼屋のカウンターに並んで座る人たち、ひとつ屋根の下に住む人たち、ひとつのはしごを下って逃げるよう指示されている人たち、誰も面識がない。




このアパートの3階に住む人たちと面識はない、けど俺は、彼女らを見たことはある。
俺は、自分が暇しているときに(つまりほとんどいつも)このアパートの階段をのぼる足音が聞こえたら、玄関まで走ってってドアにへばりつき覗き穴に目を押し付ける。そして隣の部屋や向かいの部屋に入っていく人たちを見つめる。彼女らは(3階の住人は女性が多い)、買い物袋を下げてたり、男の手を握ったりしながらカギを開け部屋に入っていく。俺はそれを見つめている。顔はよくわからない。覗き穴は曇っている。



上京する前は、隣の部屋のお姉さんが「シチュー作りすぎちゃったから、もしよかったらどうぞ」なんて言ってくれるのを想像していたのにじっさいのところ俺は、誰が訪ねて来るわけでもないのに、ドアに駆け寄るのだった。