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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ニート・オン・メリーゴーランド

俺は地元がイヤだったから、地元志向の友人たちをちょっぴり軽蔑しながら彼らよりは受験勉強して1年遅れだったけど、念願叶って入学のために上京できた。こうやって慎重に書いてみて改めて感じるのは、俺は、大学で勉強するためでも、東京で思いっきり遊ぶためでもなく、大学に入るために上京したんだな、ということ。とにかく地元の友人や家族の疎ましさから逃れたかった。そうすればなんか変わると思ってた。


まあ、変わらなかったし、大学に入るために上京した俺は、大学でも東京でも、なんもできんかった。大学でも東京でもなんもできなかったことがまた新たなコンプレックスになったから、モラトリアムを延長しているフシは、大いにある。
延長したところで何も変わらず、ただただ時間だけが過ぎ、こんどはモラトリアムの長さそれ自体がコンプレックスになる、という悪循環に陥ってるのは火を見るより明らかだ。循環、まさにぐるぐる回っているだけで、どこにも進めない。ハムスターみたいに、メリーゴーランドみたいに、オルゴールのように、洗濯機のように、回ることが回すことが、かわいらしくて愉快で心地よくて洗われるような体験になってればいいんだろうけど、なかなかそうもいかない。変に生真面目だったのだ。親のすねが丈夫なおかげで未だに横たわりつづけられている幸せを噛みしめるのはやっぱりどこか罪悪感があった。


生真面目だった、罪悪感があった、と過去形で書いているのは、さいきんはブログにあることないことわーきゃー書いて、ただ回っているだけで少なからぬひとから肯定してもらえてるような気がしてきたからだ。以前ほど、現状を悲観しなくなってしまった。
ぐるぐる回ることでドリルのように地面を掘り進め、そこに金脈を発見できりゃあなおのこと良いんだろうけど……あ、こういう先回りのスケベな下心が顔を覗かせると、たいていのことは上手く行かなくなる。別に俺は、金脈当てるためにぐるぐる回ってるんじゃない。ただ誰かに認めてもらいたかったのだ、自分の話を聞いてくれるひとを求めていた……。ブログで稼ぐだなんて、めっそうもない……。


俺は誰かに話を聞いてほしかったんだなあ、とさいきん気づいた。俺は長いこと、自分について誰かに語るのをやめていた。親友にも、親にも、兄弟にも、恋人にさえ、話せなかった。何を話しても、対象に向けられた言葉は絶えず自分の現状を逆照射することに気づいたからだ。
自分のことを棚に上げる体力すらなくなっていた。だから俺はひたすら誰かの言葉にうなずき、わかるわかるよ、としか言えなくなっていった。


俺は「口先だけ」の男だ。それを変えるためには行動をしなければならない。さいきん、宇多田ヒカルがしょっちゅう歌ってる、「どんな言葉並べても 真実にはならないから 今日は贈ろう 涙色の花束を君に」と歌ってる。
俺がいま悠々と腰掛けてるメリーゴーランドは、父の金で回っている。「ララララブソング」フロムパパトゥーミー? しかし、この愛もいつか止む。



けっきょく、地元がイヤで逃げ出した俺は、地元からの送金で生きているし、地元の友人はいまでも俺を心配してくれる。やっぱり、とりあえず帰るしかないんだろうか。
この6年は俺にとっていったいなんだったのだろう。あ、これ悪い癖。過去に意味を見出すためにいまを消費しつづけるのが、俺の悪い癖。未来のためならまだしも。
いちばん良いのは、いまがただただ楽しくてそれがいつまでもつづくこと。永遠にメリーゴランドが回り、吐き気を通り越して酩酊したようになって愉快な気持ちで大切な人の手を握ったままそのままぽっくり逝っちゃった後も屍のまま回りつづけることなんだけど、そんなうまいこと行くわけはない。


なんだかこの文章もけっきょく言葉に飲まれてしまった。