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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

耳鳴り

一瞬静寂が訪れた後すぐに「ピー」と音がする。外部からではなく、内部の音、俺以外の誰にも聞こえない、俺だけの音。耳鳴りがしている。その耳鳴りを聞きながら遡及して思い出されるのは、「ピー」という音の前の一瞬の静寂、よりも前、自分の耳が「ザー」という音を聞いていたということ。いまは亡き放映終了後のテレビから流れる砂嵐のような音を聞いていたということだった。砂嵐が鳴っていたときには、俺はその音をまったく意識していなかった。でも記憶はされていた。二度見ならぬ二度聞きのような不思議な体験。
そんなことを考えているうちに電子音のような「ピー」という音も過ぎ去る。そして外部の静寂が聞こえてくる。俺はいま部屋にひとりだ。


かつて付き合った女の喘ぎ声は、俺の耳をたびたび鳴らした。耳元で発される声が、俺の弱い鼓膜を過剰に震わせて、ジェット機のエンジン音のように耳の中で鳴った。俺だけの耳を震わせているべきだったその声は、隣人の壁を叩く音によって、共有されてしまった。俺にとっての快は、誰かにとっての不快だった。


ライブハウスに行く。バンド演奏。ギター、ベース、キーボード、ドラム、そしてボーカルの声が一体となって会場をつんざく。その音圧はすさまじく、自分の耳を意識させない。耳だけが聞くのではなく、バスドラによって体全体は揺さぶられ、ベースの重低音は頭の周りを包むように鳴るから、耳は逆にリラックスしている。聞いてるようで聞いてない。それが気持ちいい。


自分の声。ふだん聞いている自分の声を録音して聞くと、それはぜんぜん違う声に思われて、大抵の人はそれを「気持ち悪い」と言う。その気持ち悪い声こそが、自分の外部に発している声であり、人が聞いている声であることは事実だけれど、だいたいの人が感じる自分の声に対する「気持ち悪さ」というのは、自己イメージとのズレから来る不快感だから、自分の声は気持ち悪いと結論付ける必要はない。録音技術と増幅技術の発達によって、人ははじめて自分の声をイメージし始めたのかもしれない。



俺の耳鳴りは、副鼻腔炎との関係で悪くなってるんだと思うが、かかりつけの耳鼻科の医者は診察時に俺の鼻しかチェックしないから、自己申告しないと彼は俺の耳の穴の中までは見てくれない。いちどだけ耳鳴りがするんです、と言ったら、聴力検査してもらえたが、彼は「これは鼻から来てるから鼻をちゃんと治せばいいですよ」と言うだけだった。次回診察に行ったとき、彼は改めて耳の調子はどうですか?などとは聞かなかった。
俺の耳がザーと鳴りピーと鳴ることは、伝えなければ、誰も知ることはない。


さっき耳元に顔うずめてたから、耳鳴りしちゃったよ、と笑いながら恋人に伝えたら、じゃあもう声出さない、と彼女はすねた。わたし声大きいもんねごめんね、と言って、すねた。我慢できるもんならしてみろ、と心のなかで思いながらも彼女の機嫌をこれ以上損ねないようにとりつくろった。遠い昔の思い出。こんなところに書かなければ、俺と彼女だけの思い出になったかもしれないのに、なんで書いてしまうんだろう。

また耳鳴りがする。