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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

『ルーム』の居心地の悪さ、そしてなぜ女性観客が足を運ぶのか(ネタバレあり)

納屋(ルーム)に監禁された親子の脱出劇と7年ぶりの社会での葛藤を描いた映画『ルーム』、ちょっと前に見た。鑑賞後、とても複雑な気持ちになってしまった。それは、この作品が、ストーリーのためにテーマを殺してしまっているからかもしれない。
具体的には言えば、血のつながりのかけがえなさとしがらみの両論併記がこの映画を居心地悪くしているような気がするのだ。

 

 

 

僕が見たのは六本木のトーホーシネマズで、けっこう観客入ってたんだけど女性の割合がかなり高く、8割くらいが女性だった。キュートな5歳児ジャックを演じるジェイコブ・トレンブレイや、その母・ジョイを演じるブリー・ラーソンがアカデミー主演女優賞を取ったことも話題となったからだろうか。


5歳の男の子なのに7年間監禁されている、というのはおかしな話だと思われるかもしれないが、ジャックは「ルーム」に生まれ「ルーム」で育っているのだ。
ジョイは高校生のときにオールド・ニック(ショーン・ブリジャーズ)に誘拐監禁され妊娠させられ、「ルーム」で自力出産した。


のちに、7年の監禁から生還した話題の人としてジョイはテレビ番組のインタビューを受けるのだが、そこで彼女は「ジャックが生まれたとき、彼だけでも外に出してあげるという手段は考えなかったの?」と聞かれる。子供を手放すのはつらいかもしれないけど、彼のしあわせを考えたらその方が良かったんじゃないかしら?と。
まさにその通りで、ジョイと同じように僕はこの言葉を聞くまでそんな選択肢があることには気づかなかった。それは映画の中で彼女とジャックが共にいることが自明になっているからだ。観客が、ジャックの生まれる前なんて劇中で想像ができないくらいに「ルーム」は彼ら親子ふたりで完結している。
そして、彼女にとってジャックはきっと生きる希望になっていた。自分が守るべき存在が生まれたことによって、自分の生きる意味ができた。だから彼女は、ジャックをひとり外に出してあげるなんてことは考えもしなかったのではないだろうか。
インタビュアーは畳み掛けて「ジャックのお父さんは誰かしら、『生物学上』は……」というようなことをジョイに尋ねるが彼女は「あの子は私だけの子供です」と答える。もちろん「生物学上」ジャックの父親はオールド・ニックなんだけど、そんなことは関係なくジョイはただ自分の子供としてジャックを愛している。にも関わらず、ジョイの実の父親、つまりジャックの祖父にあたるロバート(ウィリアム・H・メイシー)はジャックによそよそしいのだ。

ジョイの監禁中に別れた両親と、母の現恋人レオ(トム・マッカムス)、そしてジョイとジャックの5人で食事をしているとき、孫のことを見もしないロバートに対してジョイは「ジャックのことを見てよ!」と怒鳴るのだが、それでも彼は「すまない、見れない」と言って席を立ち、劇中からもそのまま永遠に退場してしまうのだ。


なぜ彼は孫の顔を見れないのか。
それは、その子が誘拐犯によって孕まされているからだろう。ようやく帰ってきた娘が、娘を奪った犯罪者によって孕まされた子供を連れている現実を受け入れられない父の葛藤、それゆえに孫の顔を直視できない。
彼の気持ちがまったく理解できないわけではない。父親というのは、娘が男と付き合ったり結婚したりすることに対して、親が子を手放す以上の何か少し歪な、しかし誰もが持っている感情を喚起されるらしいというのは情報として知っている。ましてや誘拐犯に孕まされた子供をとつぜん見せられたら、戸惑いは隠せないだろう。
しかし、戸惑うのはジョイの母も同じことだ。だからこそ、この父親がとつぜん世界に誕生した5歳の孫を受け入れられないことの異様さは際立つ。


ロバートの退場後、はじめての世界に戸惑い、怯え、人見知りするジャックを手招きするのは祖母の恋人レオだ。血のつながりという、良く言えばかけがえのない絆、逆に言えば逃れがたいしがらみと無関係の彼は、戸惑うジャックをやさしく世界に誘っていく。久しぶりの世界に順応できない母ジョイとは対照的にジャックはレオを介して適応していく。先に世界を楽しむことを覚えたジャックは、彼なりに勇気を出して母を世界に誘い出す、そしてふたりは2度目の「ルーム」からの脱出に成功する。



その話の筋は確かに感動的だ。
母が虫歯の果てに抜けてしまった歯を息子に託して納屋から脱出する前半、そして5年間伸ばし続けた髪を勇気を持って切り落とし(祖母に髪を切ってもらうというのも重要だ)、その髪を心を病んでしまった母にプレゼントすることによって社会という「ルーム」から脱出し世界の豊かさを享受するようになる後半、この流れはよくできているとおもう。
しかし、この本筋のよどみなさがかえって先のロバートの孫の拒絶という異様な傍流を際立たせる。彼の存在はいったいなにを象徴しているのかまったくもってわからないのだ。男親の娘とその子供に対する感情の歪さがこの映画をとことん居心地悪くさせている。
母と息子の絆の美しさが描かれる一方で、父と娘の断絶が放置されてしまったこの映画に女性観客が足を運ぶ気持ちは、なんとなくわかる気がする。