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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

「それなら鞠子でいいです!」と言って笑ったから救われた 「とと姉ちゃん」第4話の感想文

さいきん眠りが浅くて早朝に目覚めてしまうので、4月からはじまった「とと姉ちゃん」を見ている。
西島秀俊演じる3姉妹の父(とと)竹蔵が良いお父さん過ぎて泣ける。しかもまだ1週目なのに結核を患い、もうじき彼が死ぬことは視聴者もわかっているから、その一挙手一投足がかけがえなく、涙を浮かべずにはいられない。
「当たり前にある日常はかけがえのないものですから」と、毎日の朝ご飯はかならず家族そろって食べたり、毎週の休みには家族みんなで遊びに出かける(追記:月一の間違いでした)竹蔵が「家族サービス」なんてことばを聞いたら、きっと目を丸くするだろう。とと自身が家族を大切に思い愛しているがゆえの言行一致。サービスじゃなくって、じぶんが家族との時間をかけがえなく思うがゆえの行動。いいなあ。
戦前の日本にあって、家族全員が敬語をつかって会話をし、父母のことを「とと」「かか」とフランクに呼び、親と子が対等にひとりの人間として向かい合うというリベラルな家庭環境もすてきだ。
家父長制が当たり前の時代にあっては、家族みな平等に会話をするやさしい小橋家こそが、もっともラディカルなレジスタンスに見える。



今日の第4話は現在公開中の『ちはやふる』よろしく、家族でカルタをして遊ぶエピソード。
ととが札を読み、かかと娘たちが札を争う。かかはむかしカルタ取りやってたからついつい、と言いながら読みあげられる札をぜんぶ取ってしまう。それでも子供たちは「かか強すぎます…」と言うだけで拗ねたりはしない。子供の頃って、ゲームで負けると文字通りゲームをひっくり返しちゃう。オセロや将棋の盤をひっくり返したり、カルタ遊びだったら、札の上に寝転がってジタバタするとか札投げるとか…でも小橋家の三姉妹はそういうことはしない。
でもまあ、「かか強すぎます」のことばに、さすがにじぶんが大人気なかったと気づいたかかは、ととが歌を読み終ってもすぐには札を取らない。そうしてようやく長女の常子が札を一枚取ると、両親がとつぜん笑い出した。
なんで笑うんですか?と聞くと、ととは、「いえね、じぶんの札はやはり手に取るものだと感心して…」と言って微笑む。
常子の取った札は「世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも」というもの。彼女の名はここから拝借したものらしい。どういう意味なのと聞かれ、ととは次のように答える。

 

竹蔵「世の中のようすがこんなふうにいつまでもかわらずあってほしいものだ、波打ち際を沿いながら漕いでいる漁師の小舟が、陸から綱でひかれている。こんなごくふつうの情景が切なく愛おしい」

 

常子「ごくふつうが切なく愛おしいのですか」

 

竹蔵「この国は幾度か戦争をしてきました。ととやかかの知り合いにも、戦争で亡くなったり親兄弟を失った人がいるんです。ととにも家族ができて、常子が生まれたときにこう思ったんです。このささいでごくふつうのしあわせな暮らしが守られ、常に変わらずあってほしいという願いをこめ、『常子』」

 
この話を聞いた常子は、うれしそうに札を眺める。
かかの「君子」という名が百人一首に由来すると聞いていたととは、子供の名は百人一首から取ろうと決めていたんだと言う。すると、もちろん次女三女はじぶんの名はどの札なのか、と身を乗り出して聞くに決まっていて、しかし、ととは「合う歌が見つからなかったんだ」と少し慌てて言う。


次女は生まれたとき「ぷくぷくと太って鞠のよう」だったから「鞠子」、三女は生まれた日にととが彼女を抱き上げて見た朝やけがとても美しかったから「美子」と名付けたと教えられ、美子は嬉しそうだけど、鞠子は少し不服そう。
ととは「餅のようでもあったんで『餅子』と迷ったんですけどそっちの方がよかったかな」とも言い、「それなら鞠子でけっこうです!」と鞠子は慌てて返事する。すると家族はみんなで笑い出し、けっきょく鞠子も笑うんだけど、このシーンがすごくあたたかくて好きだった。

 

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小学生のとき、私は授業の一環でじぶんの名前の由来を親に聞いた。そのときはじめて聞いたじぶんの名の由来からは、どんな名前が良いか、よく考えたことが知れたし、当時のじぶんの性格を見事に表しているように思えたので、素直にうれしかった。これからもじぶんがこの名に値する人間でありたい、と思うと同時に、この名があれば、ぜったいに人生を誤ることはないとも思えた。
その一方、私の母は、「当時近所に住んでいた美人と同じ名前をおまえには付けたんだ」と祖父に教えられたと言いながら、少し不服そうにしていた。


母は祖父母にとって4人目の子供で、7人兄弟だった母の下の妹も、生まれた土地の名からそのまま拝借していた。ただ、五女のつぎに生まれた長男次男は待望の男の子だったからか、意味ありげに名づけられていた。
40代目前の母が、じぶんの名がテキトーに付けられたことに対して不満に思い続けているらしい様子を見て私は、彼女のことを少し気の毒に思った。


しかし、鞠子はじぶんの名が他の姉と妹よりもテキトーに付けられたように感じても、そこで怒りだしたりはしなかった。餅子って付けられるくらいなら鞠子でいいです、と言って笑ってくれた鞠子に、私は救われる思いがした。
まあ、私の母とはちがい、少なくとも鞠子は生まれたときのじぶんにふさわしい名が付けられたのだと、つまり、じぶんをちゃんと見てくれたうえで、ととが名前を付けてくれたと実感できたから、笑えたんだろう。

 




蛇足。私はこの文章の冒頭で「戦前の日本にあって」ということばを何気なく使ったけれど、常子を名づけたその時も竹蔵にとっては「戦後」だったんだと気づかされた今回のエピソードには、慄然となる。