ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

おやすみの日

アパートのエントランスを出たところで足が何かを踏みしめた。見ると、それはカラムーチョだった、たくさんばらまかれていた。まきびしカラムーチョ。しかし湿ってヘタったカラムーチョはおれの薄い靴底を抜けてはこなかった、夜露にぬれたのか、ベチョってなってた。


改札を入って、先頭車両に乗りこめるようにホームの端っこに行く。福知山線脱線事故の映像を見たころ、おれはまだ電車に乗ったことはなかったんだけど、電車に乗ることがあったらぜったいに真ん中辺りの車両に乗ろうと決めていた。けれどもおれは、万が一命を落とす可能性を見ないふりして、空いてるし、到着駅の改札にもっとも近いからという理由で、先頭車両に乗る。


先頭車両には空席がちらほらとあったけど、到着まで8分しかないので、立っていることにする。戸袋のところに背をもたせかけて、持っていた文章を読む。


文中の「おやすみの日」という文字列に立ち止まってしまう。
「おやすみの日」って休日のことなのに、そのことばが目に入ってきた瞬間おれは、死ぬ日のことかと思ってしまった。毎晩寝る前のあいさつ「おやすみ」、そういう毎晩のあいさつが、特別なものとして書かれてるんだと勘違いした、人生最後の「おやすみ」。「おやすみの日」、それって死ぬ日か、とか思っちゃった。永遠のおやすみ、永眠ね。
スラスラ読んでいたのに、「おやすみの日」からそんな考えが浮かんでしまって、つづきを読むことを諦めて、遠くに見える東京タワーを見ながら、「おやすみの日」を思って、鼻の奥をツーンとさせた。



そういえば、おれは久しく「休日」から遠ざかってる(無職は毎日がおやすみなのではなく、毎日が日曜の夜みたいなもんだ)。「おやすみ」のあいさつを交わす人もない。

 

 

おれは不摂生だし、こころもちょっと弱いし、家系にも長生きのひとはあまりいないので(というか還暦前後に死ぬひとがおおいのできっと短命家系だ)、長生きしたいけど早死にするかも。めちゃくちゃ死にたくない、永遠に生きたいのに。
不老不死ってつらいよ、みたいなことみんな言うけど、不老不死のひとなんていないのに、なんでそんなことわかるんだよ、おれは、不老はともかく、不死でいたいな。死にたくねえよ。
でもやっぱり、死んじゃうわけで、しかも長生きはあんまり期待できなさそうで、「おやすみの日」のことを考えざるをえない、空恐ろしい。おれはこのままじゃこの世界に貢献することなく、この世界でめちゃくちゃ気持ちよくなることもなく、おやすみを言わなくてはならないような気がする。こわい。そもそもおやすみを言える相手がいない……。かなしい。



用事を済ませて来た道を戻る、コンビニでカラムーチョを買ってしまう。今朝踏んだときに帰ったらカラムーチョ食べよ、って決めてた。アパートのエントランスからカラムーチョは去っていた。

手洗いうがいをしっかりやって、カラムーチョをコーラで流し込む。痛い。上顎にカラムーチョが刺さった、クラスターカラムーチョ口内で破裂。
ティッシュを当ててみると血がついた。この血は健康なんだろうか、見ただけじゃわからない、不安だ。