ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

信仰告白としてののろけ話

知人や友人に、ある友人の自慢話をよくする。彼女がどんなに素晴らしいかを語る。のろけ話のようなもんである。


ぼくののろけを聞いた旧友は「おまえがそんなに褒めるひとっていないから会ってみたい」と言ったけど、べつのある知人は「でもさ、そのひとだって結局メールはするんだろ? LINEインストールしないって心がけはまあ確かに面白いけど、手紙まで戻るわけじゃないし、ちょっと変わったひとって感じがするだけ」と言った。むかついた。


ぼくが、後者の知人に説明した彼女の長所は「わたしはLINEが嫌いだからLINEをしない。もしLINEをしないわたしを煩わしく思って離れていくようなひとがいるなら、そんなひととは交わる必要がなかったんだなっておもうだけ」というもの。
ぼくは彼女のこの姿勢をとてもかっこいいと思う。おれだって本当はキャリアメールだけで過ごしていきたいけど、まわりのみんながLINEしてるから、仕方なしにLINEしてるんだ。かっこわるい。


知人は、ぼくののろけ話の勘所を掴みきれていなかっただけだ。手紙と電子メールとLINEを同じ俎上に乗せようとするのどうかしてるよ。



というように、ぼくの中で「ある友人」は最上位の審級となっており、それと対立するような輩は、受け入れ拒否である。
信仰とはいっしゅののろけなのかも。

 


話は飛躍して唐突に終わるのだけれど、ある信仰を守るために、信仰と対立する考えを持つ人間を徹底的に糾弾する、みたいなことがここでも起こっているのです。



しかしさあ、ぼくの信仰対象はぼくのことを一日何回思い出しているのかなあ。