ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

スマホール

電車に乗ればみんなスマホを使っていてそれはやっぱり異様な光景なんだろうか。でも誰かが言っていたのか自分の思いつきなのか忘れてしまったけれど、あの狭苦しい一両の電車の中、スマホを使っている人の数だけある小さなディスプレイから自由自在に世界のあらゆる情報に、映像に、音声に、人間に、アクセスしているってのは素敵なことなんじゃないか。これがぼくたちの夢見てた瞬間移動の、想像もしてみなかった実現の形なんじゃないか。おじさんはウォーキング・デッドを見て、女の子は何人もの友人と同時にLINEして、おばさんは突っ込んだイヤフォンに笑わされてて、子供はどっかのだれかと通信ゲームでもしていて、お兄さんは風俗情報を漁って、老人は電子書籍読んでる。ぼくらはこの小さくて賢い機械でなんだってできて、もはやなにができないのかもわからない。たぶんこれってしあわせだ。
ツイッターをバーっと見る、日本語話者しかフォローしていないぼくでもこの北海道から沖縄までの長い列島のいろんなところに生きている人間たちのつぶやきが目に入ってきておもしろくて、おもしろいツイートは意識せずとも記憶されてでもそれが誰の言葉だったのかはわからなくてじぶんの言葉と他人の言葉の境目も溶けていくなんて、なんてエロいんだろう。じぶんと相手の境目がわからなくなるようなセックスはしたことないけど、それがいちばん気持ちいいらしい、じゃあツイッターでおもしろいツイートを見てそれがじぶんの中に溶け込んでくるってのはつまりフォロイーとの精神的セックスにおける至上のエクスタシー。
至上のエクスタシーを、たくさんの人が同乗してる世界の中で、じぶんだけに見える世界にのめり込んでこっそり味わってるその間にぼくは、じぶんと相手の境目がわからなくなるようなセックスの機会を逃してるのかもしれなかった。オナニーでも十分気持ちいいからしょうがないね。