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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ゴミ捨て場にある本を拾っちゃいけません。じぶんのために。

引越しシーズンなので、アパートのゴミ捨て場に生活を支えたものや、生活の息抜きだったものがたくさん捨てられています。ベッドやテーブルやイスや、物干し竿や掃除機や洋服ケースやら。雑誌やらマンガやら文庫本やら。


さっきスーパーに買物行くときゴミ捨て場見たらむかし読んでて手放したマンガが、おれが追い切れなかった最終巻までまとめて捨てられてて、読みたい、ってよりも、古本屋に売ってカネに替えたい…と思いました。ダメですよね、ゴミとはいえ。たぶんそれやっちゃ何かがまたひとつ終わりますよね。


でも、ジョゼが、おばあちゃんがゴミ捨て場から拾ってきたたくさんの本を、まるまる暗記してしまうほど読んでるのは良い話じゃないですか、だったら、読むためなら、ゴミ捨て場にある本って拾っちゃってもいいんですかね、おれも。


たぶんダメなんですよ、ジョゼはいいけど、おれはダメなんです。なぜならおれはジョゼじゃないから、ただただ、それに尽きる。


おれは足が不自由じゃないし、「おまえは人様の目に触れてはいけない」なんて言うおばあちゃんもいません。だからダメなんです。おれがゴミ捨て場から雑誌やらマンガやら本やらを拾ってそれを読んだり、ましてや売り飛ばしてしまったらダメなんです、泥棒と似たようなもんです、というかたぶん、泥棒そのものです、法律のことはよくわからないけど。
とにかく、自ら、自身の価値を下げるようなことしてしまったら、ダメなんです。


しかし、それをやってきたのが上京してからのおれだった。当時のおれは「無頼」なんてことば知らなかったとおもうけど、そういうもんに憧れてました。じぶんの信用をわざと毀損して、生活は昼夜逆転させて、じぶんでカネ稼ぐなんて絶対にしない。でも、じぶんなりに超えてはいけないラインをなんとなく定め、親の庇護ある安全の範囲で無頼を気取っていた。



むかしサッカー日本代表・長谷部誠の自伝?みたいなのを読んでいたら「ぼくだって太宰治の小説に出てくる主人公のように堕落したいって気持ちはありますよ」って文章に出くわして面食らいました。長谷部でもそういう思いは持つんだって驚いた。無頼を気取ることでじぶんの個性を作ろうとしていたじぶんがちょっと恥ずかしくなったのを覚えてます。でも、おれはそのままラクな方へと流れていきました、長谷部のタックルでも止められない惰性。



しかし、要らなくなった本を捨てる、ってもったいない。売っちゃえば少しは引越し代のタシになるのに。はやくゴミ回収してほしい。気になっちゃってしょうがないです。




きょうブログ書きたくないなあと思っていたので、なんかその感じ、が文章にも出ちゃってる気がします。好きでやってることなのに。