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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

あの頃イメージした大人になってるよきみたちはじゅうぶん。

小学校のときから知ってる人が、こうしてお父さんがするような車の運転や高速道路の乗り降りをなんのためらいもなくしてるのを見るのは、妙な感じがするもんやな、と思った。 柴崎友香きょうのできごと

 

これ、めちゃくちゃわかるっていうか、友人たちの運転する車に乗っけてもらったときとか、おれも思う。彼らが当然のようにタクシーを使うときとか、居酒屋の予約を当然のようにしているときとか。行きつけのバーに連れてってもらったときとか。学生の頃は「きょうは◯◯のおごりな!」とか言ってひとりの人に会計を押しつけようとする定番の茶番をしていたのに、いつの間にか◯◯は「きょうはおれが払うよ」と気前の良いことを言い出す、そしたら「いや、そんなの悪いよ、おれらだってちゃんと稼いでるんだぜ、あ、おまえはニートだから払わなくていいよ」ってなるときとか。同僚といっしょに、おっぱぶ行く話聞かされてるときとか、おれも思う。妙な感じがするもんだって。


みんなできることが、ひとつずつ、かはしらんけど、増えてって、あの頃おれたちが見ていた大人になってってる。なのに彼らは、「高校生のころ、25歳ってもっとしっかりしているイメージあったよなあ」なんて言う。おれから見たら、みんなしっかり25歳やってるよ。


上京してから、できるようになったことってひとつでもあるだろうか。おれは帰省するたびにまたなんにも変われなかった、って思ってる。地元に残った奴らの方が進歩して、おれの方が止まっている。なんだこれ、って感じ。


浪人生してる頃に、おれも車の免許は取った。けど、免許取得後にハンドルを握ったことなんて数えるほどしかない。隣に母を乗せて近所のスーパーまで運転して帰ってくると、母はげっそりしていた。おれの運転があまりにも危なかっしいから。


教習所に通うまで、じぶんが車を運転するなんてこと想像したことなかった。車の免許は取るのが当たり前だと思っていたから取っただけで、そのライセンスを行使して車を走らせるなんて想像してなかったしやりたいともあんまり思わなかった。それに、今回の梅田の事故だってそうだけど、自分が鋼の塊を走らせて誰かを傷つけてしまうかもしれないってのが恐い。そんな責任負えない。リスクは取れない。


おれはバイクにも乗れなければ自転車にも乗れない。自転車は漕げるけどうまく曲がれないので公道では乗れない。


『トーキョードリフター』って映画があって、あれを見たときに前野健太って歌手がギターを背負ってバイク走らせてて、ああバイクがあったらもっとおれの世界は広がるだろうなあ、って思った。いいなあって思った、けど、じぶんがバイクに乗ってる想像なんてつかないし、やっぱり恐い。


何かができるようになるためには色々と克服しないといけないハードルがあるんだろうけど、おれにはそれらを越えるイメージが湧かない。誰でも最初はそうだよ、ってみんな言うし、もしかしたらおれもある分野についてはそう言っているかもしれない。でも、車には乗れないしバイクにも乗れないし自転車だってそう。タクシーも使えないし行きつけのお店もないし誰かにご飯をおごることもできない。


みんなじゅうぶん25歳やってるよ。