ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

変化≠成長、変わることなく成長したい

ことばを失ったときのおれは、右の手を拳にして、親指のつけ根で口をおさえる。本当は指しゃぶりでもしてしまいたいんだろうけど、たとえ無意識の動作とはいえども、指を咥えてしまうところまではいかない。ちゃんと親指は拳の中に握っている。でも、ハタから見たら、しゃぶっているように見えるかもしれない。


じぶんがいつからこんなになってしまったのか分からない。分かったところで状況が変わるわけじゃないし分からなくていいのだろうけど、まあとにかく、分からないのだ。
本来のおれ、というかある時点までのおれは、もっと攻撃的だったし、正義を振りかざしていたし、じぶんは分別のある人間だと自負していたし、もっと無防備だったし、実際やましいことはなにもなかった。とにかくことばを吐きまくっていた。じぶんが間違っているなんてこれっぽっちも思っちゃいなかった。ことばを失うなんてことはなかったのだ。それが、いつからか、握った拳の親指のつけ根を口にあててしまうようになっていた。

まさか未来のじぶんが、ニートになってしまうなんてことを想像しても見なかったころのおれはたぶん、ニートって気持ち悪いわ、意味わかんねえ、いつまで親のすねかじってんだよ、と言っていた。言わなくても、心からそう思っていた。


みっつ、はっきりと言えることがある。ひとつ、働くのがこわい。ふたつ、働くのがめんどくさい。みっつ、働いてじぶんが変わるのがイヤだ。

 

働くのがこわい、でもこれは働いたことがないから抱く感情で、働かなくては克服できないものだ。橋の上から海に飛び込むのはこわかった。でも、飛び込んでしまえば楽しくて、何度も飛び込むし、そのまま深く潜っていく。苦しくても、もう少し我慢して潜るし、いつもより岸から遠いポイントに飛び込んだら辛くてもいつもより長い距離泳いで帰る、そうしないとしょうがない。誰も引っ張ってはくれないし浮き輪はない、じぶんで泳いで帰らなくては、ふやけて死んでしまう。
一度飛び込んでしまえば、恐怖はなくなり、ふたたび飛び込み、着水し、泳いで岸まで戻り、少し休んで、また飛び込む。一連の動作はルーティーンとなる。こわいのは最初だけなのだ、おれが高所恐怖症やカナヅチでない限りは。だいいち、おれが高所恐怖症なのかカナヅチなのかどうかは、とりあえず欄干の上に立たないとわからないし、海水に入らないとわからない。

 

それでもおれが、飛び込むことに不安を感じているのは、海に飛び込んだおれは、海に飛び込めない人をバカにしはじめる、そんな予感があるからだ。
海に飛び込めない理由は人それぞれだ。泳げないのかもしれないし、高いところが苦手なのかもしれないし、皮膚病なのかもしれないし、失明しているのかもしれない。なんとなく勇気が出ないだけなのかもしれないし、飛び込んではならない理由があるのかもしれないし、飛び込むことに意味を見出せないのかもしれない。季節が冬だからかもしれない。橋の高さがもう少し低ければ、海が凪いでいれば飛び込むのかもしれない。


じぶんが飛び込めなかった過去を忘れて、おれは、飛び込めない人たちの差異を消去して一緒くたにおまえは意気地がない、とヤジるようになってしまうんじゃないだろうか。それが不安。おれはじぶんが働けなかった過去を忘れて、働いてない人たちをバカにするんじゃなかろうか。それが不安。だった。

 

「おれって実際働き始めたら働いてない奴バカにしそうじゃない?」と聞くとみんな「そうだろうね」と言った。


でも、いまこれを書いているうちに、おれはじぶんがそんなことをもうできないしやらないと悟った。おれの過去現在は消せないし、もうおれの人生の一部になってしまっている、良くも悪くも。おれが人並みに活動し始めても、ニートをバカにすることはないだろう。このもどかしさを、気だるさを、情けなさを、忘れることはないはずだ。
でももし忘れそうになったら、このブログを読み返せばいい。ここにはいまのおれが情けない言い訳や、こころの叫びや、本音や、嘘をたくさん並べている。それを読み返して、過去のじぶんを思い出せれば、きっとおれは、ニートを蔑むことはしないだろう。彼らの苦しみがわからなくても、わかろうとするだろう。
かつてのおれが、ニートをバカにできていたのは、単純に知らなかったからだ。知ったのだから、あの頃には戻らない戻れない。


けっきょく、さっき、「はっきり言えることがみっつある」といったけど、そのみっつ目は、やっぱり言い訳だったのだ。変わることがこわい、でも変わらないとダメでしょ。この状況は変えないとダメでしょ。


むかし、恩師に「人間は成長していかないと生きていけないんだよ」と言われた。その一方で友人たちには「おまえはいつまで経っても変わらなくてそこが良いところだ」と言われていた。
おれは成長=変化だと思っていたから、恩師のことばを退けて、変わらないことを選んだ。けっきょくおれは、彼らのことばに甘えていたかっただけだった。恩師には合わせる顔がなく、しばらく連絡をしていない、彼女もおれに呆れていることだろう。変わらないおまえが好きだと言ってくれた友人のひとりには、こないだ絶交予告された。「ここまで言ってもおまえが変わらないなら、おれはもう付き合いきれない」。

変わらずに成長していきたい。飛び込んでも、飛び込む前のじぶんを忘れずにいたい。
とりあえず橋の欄干に立つ。




ぼくはずっと、このモラトリアム期間に終止符を打つのがいやだった。それは、このせっかくの余裕と自由ある長い時間を過ごしていながら、なにひとつ得られなかったからだ。せめてひとつ、なにかこのモラトリアムで得てからじゃないと、次のステップにいけないなんて思っていた。でも、この文章を書いたことで、ひとつ得られた気がします。