ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

おれのリアルは三号玉

マイナンバー導入で副業花火師が次々と足を洗っているらしい。
「丼勘定」の報酬を申告することで「懐具合」を知られるのを嫌ってとのこと。

 


花火もコンピュータ制御で行われていると聞いていたから、花火師なんてとっくにお役御免かとおもいきや、「水中花火『水爆』は、手で火をつけて手で投げる。平プロの花火師でも、水爆だけは率先して『俺がやります』というヤツはいないから」とのこと。腕が吹っ飛ぶ人もいるらしい。
熟練した花火師がいなくなったら、事故も増えるだろうし、技術の継承が滞って日本の職人文化が衰退すると記事は書いている。

まあそりゃあ大変!マイナンバー制度即刻廃止せよ!!



まあ今までのは話の枕ということで。
花火の事故といえば、花火そのものというより、花火大会で起こった事故を思い浮かべる。「福知山花火大会露天爆発事故」もそうだけど、おれがよく覚えているのは、「明石花火大会歩道橋事故」だ。

2001年7月21日のこの事故は花火大会の際、多くの人が歩道橋に密集したことによって発生した。歩道橋という逃げ場のない空間で起こった「群衆雪崩」によって死者11人、重軽傷者247人を出したこの事故は、兵庫県警の警備不備などが糾弾されて、記憶に残っている人もおおいだろう。

当時11歳だったおれは、この事故の日、花火大会に行っていた。とはいえそれは、明石のではなく、沖縄県北部で行われた海洋博サマーフェスティバルの、だ。
家族4人で、沖縄県最大の打上数(5000発)を誇る花火大会に行った。会場から駐車場までの長い距離を歩かされ、そこからまた大渋滞に巻き込まれ、家族全員がなんとなくイライラしながらホテルに戻ったのを覚えている。県南部に住んでいたおれたちは、北部のホテルに泊まってその祭りに遊んだのだった。

深夜11時くらいにホテルの部屋に着くと、その頃から夜型の生活をしていたおれは疲労からむしろ興奮して、寝ている兄弟にちょっかいを出したりしていた。
運転に疲れた父がコーラを飲みながらテレビをつけるとニュースで明石の事故をやっていて、両親が画面に釘付けになっていた。目の端でそのニュースを捉えたおれはとても恐くなった、さいしょ、その事故現場が、じぶんたちの行った祭りと区別がつかなかった、もしかしたらじぶんたちもあの事故に巻き込まれたのかもしれないと思っていた。やがて、よくニュースを聞けば事故は明石で起こったということがおれにもわかり、社会科の授業で子午線を習っていたおれは、日本列島の中心で起こったのかあなんて感想した。


しかしやっぱりその夜は眠れなかった。前年の12月30日、「世田谷一家殺人事件」に恐怖したのと同じだった。日本のどこかに住む、4人家族が、家の中でみんな殺される。じぶんの家で起こってもおかしくない事件だとおもった。じっさい、あの事件のあと、実家は警備会社と契約した。家に誰かが侵入したらけたたましいサイレンが鳴り、警備員が駆けつけてくれるようになった。
明石の花火大会で起こったことが、沖縄の花火大会で起きなかったのは、たまたまだと感じていた。誰かの下敷きになって圧死したのはじぶんだったかもしれない。同じ日本の夜の空に浮かぶあざやかな花火を見た人間たちが、興奮と感動の直後に死んでしまったことが、やけにリアルだった。


翌朝、寝不足だったのに朝一番で部屋にあったジャグジーに興奮し長湯して、湯上がりにめまいを覚えてチェックアウトの時間までソファーから起き上がれなかった。両親はなんでおれが気分悪そうにしているのかわからないようだった。

 

それから1ヶ月半後にアメリカで同時多発テロが起きて、おれがシャワーから上がると両親はべつべつのテレビに釘付けになっていた。テレビの画面に映るアメリカは青空で、こっちは夜の嵐に見舞われていて、あのときはじめて時差を意識した。母は「戦争がはじまる」と言っておそろしい顔をしていたけど、ひとりあそびが好きだった当時のおれはあの事件からしばらくの間、ビルに見立てた積み木のタワーにプラモデルの戦闘機をぶつけて倒す遊びにたいそうハマった。
あれはまったく遠い出来事だった、ぜんぜんリアルじゃなかったのだ。