ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ニートなりに「元少年A」を糾弾する

「元少年A」の手記出版までの一連の経緯について、ぼくは何も思わなかった、というか、ニートのぼくが何かを語れる問題だとは思えなかった。それは、ニートが徹底的に社会に貢献できていない存在で、だから少年Aのような社会的に大きな存在を語る資格はぼくにないと思ってきたのもあるし、ぼくが小学生になって間もないころに起った事件について、その当事者たちが今なお苦しんでる中で、それに対して安易な意見をしてはいけないという僅かながらの自制心が働いていたからだ。


でも、今回の週刊文春の少年Aの今を捉えた記事を読んで、心境が変わった、これは社会にコミットできていないぼくのような人間こそが語る問題だと思ったし、そしてぼくは「ふつうに」憤りを覚えてしまったからだ。

ちなみに、今回の週刊文春で考えを変わらされたぼくが言うのもなんだが、あの記事は、いままで少年Aに憤っていた人々が読むに値するものではない。少年Aの素顔は相変わらず隠されたままだし、彼に対して直撃取材して何か新しい情報を得たというものでもないからだ。
あの記事にあったのは、少年Aという恐ろしい存在がふつうに電車に乗って都内のどこかで生活をしているという「恐るべき現実」だけで、それはいままでぼくらがおぼろげに不安を抱いていた狂気が、日常に、ぼくらの乗っている車両に潜んでいるという感覚を裏付けるだけのものだからだ。恐れを拡大させるだけの言説になんの意味があるのだろう。

それでも今回の文春の記事をきっかけにぼくがこの文章を書こうとおもったのは、これまでの経緯をなんとなく見ている中で、やっぱりどこかで、少年Aの起こした事件、その後の彼の歩みを我が事にできていなかったのぼくの考えが、まとまった記事によって変えられたからだ。その意味でぼくは週刊文春のあの記事には評価を与えるけれども、これまでの報道や言説によって自分の考えをある程度まとめた人は読まなくていいと思う。だから、買わなくてもいい。


ぼくは事件そのものに関しては言うべき言葉を持たない、もちろんあの猟奇的事件は徹底的に糾弾されるべきだとは思うが、それはぼくが言うまでもないことだ。ぼくが言いたいのは、彼があの事件によって、今なお生かされている現実がおかしいということだ。


彼は思春期に犯した、償いきれない事件を利用して、今なお利益を得ようとしている。少年Aの「治療」を行ったらしい精神科医が記事の中で、「治療」によって彼の異常な性癖のようなものは治されたけれども、人並み外れた自己顕示欲はまだ維持されている、というようなことを言っていた。この言説自体は「治療」を行った医師の自己弁護にもなっているからあんまり触れたくはないのだけれど、ここにこそ問題の本質があると思う。彼はその縮小できなかった自己顕示欲によっていまなお被害者たちを傷つけているのだから。

 

ぼくにだって大きな自己顕示欲がある、それでも、それを発揮できる方法がわからないし、かといって社会に飛び込む勇気も持てず、こうやってニートをやって家に半引きこもり状態でいる。ひるがえって「元少年A」は、あの過ちを利用して、今、自己顕示欲を満たそうとしている。


こんなことがまかり通っては、ぼくのような承認欲求を抱えながらもそれをどうやって満たすべきかわからない人間たちが理不尽である。
犯罪、というか法が存在しない世界を仮定しても糾弾されるであろう悪行を行った男が、少年法というバリアを利用してその大きな欲求を満たされている一方で、ぼくのようにある意味で我慢している、我慢するしかない人間たちは何を思えばいいのだろうか。


「元少年A」の手記出版からの一連の流れが許されるのだったら、ぼくは少年の頃に大きな過ちを犯せばよかったのだろうか。
そうすればいまごろこのどうしようもない満たされないさが満たされたのだろうか。
ぼくの人から認められたい気持ちは、中学2年生のころから満たされていない。
だったら、ぼくもあの頃だれかをめちゃくちゃにして、10年間「治療」された末に過去の過ちを反省しているフリをして、「アート」として世に発表できたんじゃないか、そういう風に思うことは論理的に可能になってしまう。


でも、そんなことは絶対にない。ひと一人のちっぽけな大きな自尊心、承認欲求を満たすために、ひとつの命が損なわれてはならない。これは、自明のことだ。議論の余地はない。


しかし、社会はいま、彼の自尊心を許すようにできている。ぼくのような、あえて言うが道徳的な無職者がひとり部屋で鬱屈した思いを抱えている一方で、彼がのんのんと東京に生きながら、じぶんの自尊心を満たしているのは許せない、そんなのは理不尽だ。


彼は我慢しなくてならない。なんで彼は語らなくては自分の生を生きられないなどと言えるのだろうか。
せめて自死してその生を、おまえの思う「アート」としてまっとうしてみせろ、とでも言いたくなる。
誰もが、その人にできる範囲で我慢をしている。ぼくはたしかに親に迷惑をかけているが、それでも、せめてものラインを死守しているつもりだ。彼はどこまでそのラインを侵犯し続けるのだろう。こんなことを許していいわけがない。


「元少年A」は、自身の犯した罪を利用して自尊心を満たすようなやり方をするなら、少なくとも実名を明かさなくてはならない。そこまで身を賭すことができないなら、その自尊心はちっぽけだ。ばかやろう。おまえはどこまでばかなんだ。