ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

駆け出すヨダレと謝らないぼく

中学生のころ、部活の同級生に変わった子がいた。いまに思うと、なにかしらの障害を彼は抱えていたのかもしれない。数学だけ得意であとはからきしダメだった。授業中よく居眠りした彼のほっぺたと広げられたノートブックはチャイムが鳴るころにはヨダレでべちょべちょだった。

部活が同じな上に、彼とぼくは家が近かったので、いっしょに帰ることが多かった。べつにいっしょに帰ろうよと約束するわけじゃないが、同じ道を歩くので必然的にそうなった。もうひとり同じ部活に家の近い男がいて、そいつも含めて3人で夜道を歩いた。

帰り道にあるコンビニの駐車場でジャンケンをして、負けたやつが60円のソーダアイスを買うなんてこともしていた。仲良くはなかったけれど、うまくはやっていたと思う。

しかしいつからか、もうひとりの男がグレて関係が変わっていく。ぼくとグレ男は小学校の頃から彼がグレるまでは仲良くやっていたのだが、彼がヤンキーになってしまってからは、ぼくは見下されるようになった。
当時ぼくの中学では奇妙な言葉があって、いまで言うスクールカーストの上位にいる人間は「権力者」と呼ばれた。ヤンキーになったグレ男は権力者で、ぼくは…なんだったのだろう。

それでも彼がグレ始めたときはヨダレとグレオとぼくは3人で帰っていた。でも彼はコンビニでジャンケンをせず、ヨダレにアイスを3本買わせた。ぼくはじぶんが痛い思いをするわけじゃなく、それどころか美味しい思いをするわけでその行為を咎めはしなかった。ヨダレは「えー昨日もおれが買ったよ~」と言いながらひとりで店に入っていた。

そんな日々も長くは続かず、グレオは他のヤンキーたちとつるむようになり、部活には熱心に来ていたけれど、放課後はまっすぐ家に帰らずどこかへ消えてった。お墓で酒盛りしてそこでセックスしたなんて話を得意げにしていたっけ。

グレオがますますグレる一方で、ヨダレは部活に来なくなりいつの間にか辞めてしまう。誰も止めるものはいなかった。ぼくも、彼が部活を辞めたからといって悲しくもなんともなく、おまえにはサッカーは似合わねえよ、くらいにしか思っていなかった。別に彼は積極的にイジメられていたわけではなく、いてもいなくてもどっちでもいい存在だった。


それからしばらく経った。テスト期間中は放課後の部活動がないから、早く家に帰って寝たかったぼくは、ひとり足早に教室を出た。通学路を歩いていると前にヨダレがいた。ヨダレはショルダーストラップを伸ばしすぎてて、リュックサックはお尻どころか太ももを隠している。歩くたびにリュックサックが跳ね上がっていたけれど、空っぽらしいそのリュックがはねても彼はまったく気にしていないようだった。


ヨダレは、とつぜんかけ出した。100m先にある歩行者信号が青になったからだ。
彼はむかしから信号が青になったのを確認すると駆け出したがる。ぼくとグレオと3人で帰っていた頃は、2人で彼のリュックサックを引っ張って走るのをやめさせていた。なんで走るんだよ、と聞いても彼は、青だから、としか答えなかった。

駈け出したヨダレを見たぼくも走った。なんでかわからないけど、ぼくは反射的に彼を追った。追いついたぼくは、それでもぼくに気づかない彼のリュックサックを引っ張った。するとヨダレは驚くほど簡単に後ろにひっくり返り、転がった。彼はからっぽのリュックサックみたいに跳ねた。

驚いてぼくを見上げた彼は、怯えていた。そりゃそうだ。外でとつぜん後ろから引っ張られて転ばされたのだから。
信号は赤に変わっていたけれど、彼はなんだよ!なんでこんなことするんだよ!と喚きながらまた走りだした。彼の膝小僧も腕も手のひらも、アスファルトで擦りむいて血を流している。
驚いたぼくは彼に謝りながら、その後を追いかけた。渡りたかったはずの横断歩道とは違うところへ走り、大回りをして彼は帰路に戻る、その間もぼくは並走してずっと謝っていた。
謝っても無視して許してくれないヨダレを、追いかけるほかに何も方法が浮かばなかった。

結局ぼくは彼の家まで着いていき、帰宅を知らせるチャイムを鳴らす彼の横に立ってずっと大丈夫?ごめんなを繰り返した。すると、玄関ドアが開き中から彼のおばあちゃんが出てくる。
血を流して半べそかいたヨダレを見るなりおばあちゃんは「どうしたの!」と怒鳴った。「ぼくが転ばせて怪我させたんです、すみません」と言うとおばあちゃんは「そうなの?まあわざわざ家まで送ってくれてありがとねちょっと上がって行きなさい」とぼくの手を引っ張る。反対の手でヨダレの頭をひっぱたいていた。「なんで泣いてるの!せっかくお友達が心配して来てくれてるのに!あんた!」。

けっきょく図々しくも家に上がったぼくは彼の家でお茶を飲んで、かるかんを食べて帰った。家に上がるなり2階の自室に閉じこもってしまった彼は、ぼくが帰るまで部屋から出てこなかった。
おばあちゃんは、カーテンを締め切った、食べ終わったカップラーメンの容器がいくつも転がる部屋で「あの子が迷惑かけてごめんね、これからも遊びにきてやってね」と言った。ぼくはもうヨダレが泣いている理由を説明しなかった。早くあの家を出たかった。


翌日また謝るために、休み時間、ヨダレの座る席へ行った。シカトを決めこんだ彼に改めて謝った。ぼくを無視する彼はずっとコンパスの針をノートブックの上に突き刺していて、ふとそのノートを見ると魔法陣のようなものが書いてある、その中心にはぼくの名前があった。
なぜか逆ギレしたぼくが、おまえなんでこんなことするんだよと彼の肩を押すと、彼はコンパスの針をぼくに向けて走って追いかけてくる。廊下の行き止まりに追い詰められたところで、その光景を目にした先生が彼を静止して事なきを得たのだけれど、それ以来ヨダレとはいっさい話さなくなった。


高校に上がってから、あのコンビニで雑誌を座り読みしている彼と出くわした。ヨダレはぼくと目が合うなり雑誌を放り投げて店外に駆け出していった。