ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

世界と体の鋭利な境界線、ひとり暮らしで体調を崩すととても寂しい。

体調が悪い。二年前にある病気にかかったのだが、それは一刻も早く治療(手術)しなければならない病気ではなかったから、今でもまだ治していない。手術にあたっては、いろいろな検査もあり、日頃不摂生なぼくは、何か別の病気まで見つかってしまんじゃないかと恐くて病院にかかれなかった。その治していない病気が、より深刻なステージに入ってるような体調の悪さで、それがとても恐い夜だった。恐さから逃げるために寝たけれど、いつもより早く寝たこともあってすぐに目が覚めた。眠れず心細くて泣いた。
さっきから病気と言っているけど、この病気の説明をしたら読んでいる方々は拍子抜けするかもしれない。でもいちおう手術してから3~4日は入院しなきゃならないし、またぶり返す可能性の高い病気だ、尿道カテーテルも必要になりうる。ぼくは、痛いのが本当に嫌いだ。

このブログの記事を何本か読んだ方ならわかると思うが、ぼくはとても甘えている。手術したくない!と親や友人や当時の恋人には言っていた。いますぐどうこうなるようなもんじゃなし命に関わるものでもないから、手術はいまは絶対にしたくないと言っていた。でも、彼らの誰かに無理やりにでも病院に連れていってほしかった、というのが本音だ。毎日お見舞いに行くからいっしょにがんばろうと言われていたらぼくはしぶしぶ手術を受けていた。でも、みんなぼくの「意志」を尊重してくれてしまった。

ぼくは、ぼくの意志が嫌いだ。コイツのせいで人生がうまく行っていないようにおもう、ぼくはきっと、じぶんの意志を裏切り続けた方が、しあわせになれるような気がしている。

きょう病院に行こうかと思ったら、なんと建国記念日で休診日だ。こういう巡り合わせの悪さには本当に定評がある。
ぼくの、アルコール依存症で死んだ親戚は、引きこもりながら酒を飲んでいたが、あるいっかいだけ、きょう病院行こうかな、と言ってぼくの親やその兄弟に病院に連れられていった。しかしいざ着いてみると、その科だけ休診日だったらしい。それ以来病院に行きたがることのなかった彼は、そのまま肝臓をぶっ壊して血を吐いて死んだ。

ぼくもその親戚の人も心が弱い、彼とはあまり話したことはなかったから彼の苦しみは知らないけれど、心が弱かったことは確かだ。誰かに助けてほしい、でも助けの求め方がわからなかったんだろう。


こわい、どうなってしまうのだろう。とりあえずきょうはこの体調の悪さと共に、断捨離を敢行しようと思っている。じぶんの「意志」を、上京してから蓄えてきたじぶんの「意志」を捨て去ってしまうのだ。もう、ぼくはいいかげんしあわせになりたい。じぶんの「意志」に殺されたくない。たぶんこいつがなくなれば、ぼくはいくらかしあわせになれるはずだ。


ひとりぼっちがこんなにつらいことだなんて本当に知らなかった。ひとり暮らしの人が体調を崩すと本当に心細くて寂しくて己の孤独を改めて実感させられてつらいのだ。体の痛み、違和感によって、いつもは意識していないじぶんの体の輪郭がはっきりとする、じぶんが世界の中で確固たる存在として生きてしまっていることに気づかされる、そんなとき、ふと横を見て愛する人がいれば、世界の中でこの体でなんとかやっていこうと思えるだろうが、ひとりぼっちだと、ただ外界とじぶんの境目がくっきりさせられるだけで、その境界に心が傷つけられる、あまりにも鋭利な境界線なのだ。


こういう文章を書くことが、ぼくにできる世界への唯一の復讐法だ。この文章を読んだ人はどうしても、こういうかなしい人が世界にはいるのだな、と感じてしまうだろう、少なくとも読んでいる間は。だからぼくはもっとじぶんのことばを鋭利にして、世界を、あなたを傷つけたい。できることなら、傷ついたあなたに救ってほしい。

ほんとうはこんなことを言いたいんじゃなかった。ぼくは、強い心を持ちたい。ちょっとした体調の悪さに負けない、じぶんの体と、人生と、向き合える心の強さがほしい。どうすれば心は鍛えられるのだろう。ぼくは、この孤独になんども涙を流し、心をギュッと締め付けられてきたけど、ぜんぜんハートは強くならない。むしろ日に日に弱ってる気がする。筋肉は痛めつければ超回復というかたちで成長するらしいが心はそうはいかないみたいだ。どうすれば、強靭な精神を手に入れられるのですか。うろたえずに、常に世界と対峙できる心を持ち、体を保っていけるのですか。ぼくにはあなたが必要です。