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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

じぶんの屁理屈に丸めこまれる

むかし、ふとおもった。みんな個性的になりたいなんて言うけど(さいきんでは「個性的になりたい」って言うこと自体が凡庸だって認識が広まってこんなストレートな言い方はしないだろうけど、多くの人が持っている感覚ではあるだろう、自分は人と違う、違いたいっていうのは)、個性的になる努力をするよりも、「ふつう」になろうとしたほうがいいんじゃないかって。
で、ここでおれに「『ふつう』ってつまりなにさ」とは問わないでほしい。それぞれがおもう「ふつう」を目指してがんばればいいんじゃないかっておもったわけです。思いつきだけど、たぶん「ふつう」ってのは各々の取り巻かれている考えている「常識」と「まとも」のカクテルなのでは。

みんなじぶんの思う「ふつう」を生きようとする、でもどうせ無理だ。つねに「ふつう」ではいられない、だからその「ふつう」と現状のギャップが個性になってしまうんじゃないか。それにそもそも各々の「ふつう」が個性的だろう。みんなと違った人間になろうとするよりも、「ふつう」を考えて目指したほうが多分生きやすいしおもしろい。おれにとって私にとってはこれが「ふつう」なんです、って言ってる人の方がよっぽど個性的なイメージありませんか?おれ個性的っしょ、って言ってる人より、じぶんの「ふつう」を守ろうと必死でがんばっている人の方がすごいしおもしろい。


そんなことをふとおもって友人に言ったらなるほどーって言われた。それ以上どう言われたかは覚えていない。彼もこの話をしたこと覚えていないだろう。覚えていたら恥ずかしいな、みんな「ふつう」を目指したらいいって言ってるのにおれは無職だからだ。ふつう、ふつう目指してたらはたらくっしょ。


ただ、さっきも言ったように、「ふつう」は「常識」と「まとも」の混ぜもの。
常識的には大学卒業して進学する気がないならはたらく。でも、おれははたらいたら「まとも」でいられなくなるような気がしてはたらいてないって節もあるわけです。だから案外思いのほか、これが、つまり無職状態がおれの「ふつう」の目指し方だったりする。ただやっぱり「常識」から外れるとそれなりに説明責任があるし、代わりに何かしなくちゃならないんじゃないか。そこがおれには欠けていて、駄目だとおもう。なにしてるんですか?に、なにもしてないです、っていうのは怠慢がすぎるよね。

うわーすごいダメなこと言ってるなあ、でもなるべく具体的に言うことを避けると、これがせいいっぱいの説明だ。


働かないでいいなら働きたくないよって言う人は多い。
大学を卒業するとき、働きたくなくてもじぶんの「ふつう」を守るために就職した人も多かったようにおもう、おれの通っていた私立大学は、卒業後すぐにはたらかないとまずいような家庭環境の人ばかりではなかった。
あ、おれが思いつきで言った個性的になるんじゃなくて「ふつう」を目指せばいいんだよをみんなは当たり前に実践していたんだなあ。なんかなに言ってんのかわからなくなってきた。屁理屈って話す分にはいいけど、書いていると自分の屁が臭くてたまらんね。ああくっさ、あほくさ。

ただ、もひとつ言うと、みんな、じぶんの考える「ふつう」のカクテルにおいて「常識」の方がメインになり過ぎてないか。「常識」にばかり酔わされていたら、「まとも」じゃいらんなくなるよ。