ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

『ザ・ウォーク』 綱渡りアーティストとその共犯者、そしてニューヨークの青春

映画の日に渋谷のTOHOシネマズで観たのは、ロバート・ゼメキス監督、ジョゼフ・ゴートン=レヴィット主演『ザ・ウォーク』。期待していた以上におもしろかった。実話を元にしたフィクション。

 

あらすじ
映画の舞台は1974年、ニューヨーク。この年NYには世界一高いビルが2本建った。ワールドトレードセンターだ。歯科医院にあった雑誌で、偶然このツインタワーの完成予想図を見たフランス人大道芸人フィリップ・プティは歯痛も忘れるほど魅入られてしまう。世界一のビルとビルの間にワイヤーをかけ、綱渡りがしたい。綱渡り「アーティスト」であるプティはこの命がけの無謀な挑戦を行なうために「共犯者」を引き連れてNYへ渡る。彼は地上411メートルに張られたワイヤーを無事渡りきれるか。



なんといっても、3D表現をうまく利用した映画作りが完璧だ。
特にある「もの」が落下してくるシーンではのけぞっている人が多く、ぼくもそのひとりだったのだが、のけぞった後みんな恥ずかしそうに笑っててすごく良かった。
ぼくは3D映画で本当に驚いたのはこれがはじめてかもしれない。
また3Dならではの奥行きある画から生み出される高所の恐怖感なんかは白眉だ。

そして青春ストーリーとしても『ザ・ウォーク』は優れている。今回の記事の本題はここからだ。


計画と実行。渡るための綱をかけるのは、プティひとりではできない。よって共犯者が必要なのだが、彼と彼の元に集まった人間たちとの関係は、友情とも仲間とも形容できない、本当に「共犯者」としか言えないのものなのだ。しかしこのドライさがプティという人間の偏屈さの結果だからリアルだ。
「共犯者」たちとの間には一応の「信頼関係」があるのだが、それはあくまでもプティがWTCの間にかけられた綱を渡るという計画があってはじめて築かれていったものだ。だからこの「信頼関係」は、成功しようが失敗しようが、計画が終了したら必要なくなる。この犯行限りの関係だ。
事実、プティを支えるためにフランスから渡米した2人の共犯者はすぐに帰国するし、彼の恋人アニー(シャルロット・ルボン)も「次は自分の夢を探すの」と言って彼のもとを去る。そういえば彼女は路上で弾き語りをしていた。


なぜ彼らは「世紀の綱渡り」が終わってすぐ散り散りになるのか、それは青春が終わったからだ。この20世紀で最も偉大なアートのひとつとも言えるワールドトレードセンタービルの綱渡り、プティの夢を叶えることが、彼らにとっての青春だった。

ザ・ウォーク』は、自分のエゴを人に押し付けるような子供だったプティが、自分の成功は周りの人々のおかげであると敬意を払える大人になるまでの成長譚であり、そんな彼を献身的に支える共犯者たちの青春ストーリーだ。
決行前夜、不安に駆られてワイヤーを入れるための木の「棺」に釘を打ち出すプティを、近所迷惑だとアニーが咎めたことで口論が始まる。アニーは「あなたはどうしてみんなに感謝の気持ちを伝えようともしないの」と言うのだが、プティはこんな夜中に皆を叩き起こして「ありがとう感謝してるよって言えばいいのか」と的はずれなことを言う。
またプティは、大道芸の師匠でありこの計画にもアドバイスしたパパ・ルディ(ベン・キングズレー)に出会った頃、彼からおじぎの仕方を学ぶのだが、プティにはうまくおじぎができない。ルディは「何もするな」というのだが、プティは大げさに礼をしてしまうか本当に「何もしない」のどっちかしかできない。ルディは「内側で感謝するんだ」というようなことを言うが、プティには理解できない。

しかし、彼はNYの高みで、この「感謝」や「敬意」の意味を芯から知ることになる。自分を支えてくれた人々や、観客や、ニューヨークの街や、そしてツインタワーに彼はおじぎをする。
彼はロープの上を北から南へ何度も行き来するが、それは感謝や敬意の心境に至るためであると同時に、この青春時代が終わることを惜しんでいるからだった。ロープの両端で待ち構える警察官たちは、社会というルール、大人が生きるべき世界の象徴であり、プティはいつまでもロープの上でスリルを楽しみ、大衆の注目を浴びてはいられない、自分の決断で青春を終え、大人にならなくてはならない。


ロープを降りた彼の偉大な成功は警察官も称えるほどで、裁判所からはセントラルパークで子供のために綱渡りのショーをするという処罰を与えられる程度だった。彼は青春を過ごした「共犯者」たちがフランスへ帰っていくのを見送りながらこれからもニュー―ヨークで過ごすだろう。そして、ツインタワーの屋上に上り、何度もあの日を思い出しながら、しかし公園で高さ1mほどの綱の上を歩くだろう。青春を胸に大人の世界で生きるのだ。

また、この『ザ・ウォーク』は彼らの青春物語でありながら、ニューヨークという街の、ワールドトレードセンタービルの青春物語でもある。
摩天楼立ち並ぶニューヨークはまさに世界中のあこがれの場所であり、アメリカンドリームの象徴とも言えよう。その街にかつて建ったツインタワーは建設時には無骨でなんだかダサいものだと言われていたらしい。しかしプティの綱渡りによって、あの2本のビルはニューヨークの顔となった。世界中に知らない者はいない建造物となった。


綱渡りを成功させた男は、ビルの建設者から屋上の無料パスをもらう。その有効期限にはペンで斜線が引かれ、代わりに「永遠」と書かれていた。

けれども、ぼくたち観客は知っている。あの青春が永遠には続かなかったことを。美しい犯罪によってニューヨークの象徴となったツインタワーは、愚かな犯行によって崩れさった。その永遠という名の美しい嘘は、「映画のような」悲劇によって葬り去られしまった。

ぼくはこの映画で何度か涙腺を震えさせられたが、それはツインタワーを見上げる登場人物たちのせいだ。プティがツインタワーに初対面したときのおそれおののく表情、プティの挑戦を見守る(見上げる)市民たちの不安げなしかし興奮していることがわかる表情、成功を称える地上の群衆たち、彼らはあのときダサいツインタワーを見なおしている、彼らの目にうつる2棟のビルは輝いていた。


映画のような悲劇の映像を散々見せられたぼくらの、あのビルを見上げる人々の怯えた、悲嘆にくれた、絶望に満ちた群衆たちの表情の記憶が、この『ザ・ウォーク』によって更新された。実際の歴史が教える正しい記憶の順番は、ダサいツインタワーが輝くツインタワーとなり、そしてガレキと化していく、だ。
しかし、これこそがハリウッドマジックだろう。
ザ・ウォーク』によって、ぼくらにとってツインタワーは、ニューヨークの、そしてアメリカの青春として記憶されるだろう。

青春は必ず終わってしまう。青春の記憶を胸に、絶望しながらも歩き続けるのが大人である。ツインタワーを渡ったただ一人の男が、公園で綱渡りをするように、大人はおごらず慎重にちょっと哀愁なんか漂わせて歩くのだ。


綺麗に感想文を終えられた気がするけど、ひとつ映画に注文をつけるとすれば、プティがセントラルパークで綱渡りをするシーンを見せてほしかった。そうすれば、ツインタワーにかかる綱を渡った偉大な男は、若くして人生のクライマックスを終え、今は地道に生きているみたいなストーリーに綺麗にまとまったのではないか。フィリップ・プティという実在の人物がモデルだから仕方ないのかもしれないが。