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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

ぼくがうっとうしい

書くとか話すとか読むとか聞くとか本当に難しい。

 

文章の場合、たいていはそれが何について書かれた文章なのかという情報があらかじめ提示されている。あるいはそれが読むに値するかどうか価値判断が誰かによってなされていてそれを参考にする。小説を例にとると、タイトルや装丁、あるいは書評とかクチコミ、はたまた本屋での陳列のされ方だったりがそれだ。ランキングもそうだろう。ネットにあるあらゆる記事もそういう数多の情報に晒されている。

文章を読む前にその文章にまつわるたくさんの断片的な情報に触れて、ぼくらはその文章を読むかどうか(ほとんど無意識に)決める。まあ文字ならとにかくなんでも読むという奇特な人もいるだろうけど。

 

人の話を聞くにしたってそうで、話者の顔つきや身なり、表情、声音によって、その人の話は聞くに値するかどうか聞き手は無意識に判断している。

スナックで酒を飲んでいたら声のでかい酔っぱらいが入ってきた。やたらと乾杯をしたがる。瘦せぎすで、たまに顔の片側を歪める。中年の男だ。こういう人の話を聞こうとはあんまり思わない(聞いてみたらおもしろいことはありえる)。

 

こんな話をすると、書いたり話したりする前の段階がとても大事だから、体裁を整えなければならない(『人は見た目が9割』)という話になりそうだけど、そういうことは書かない。

 

くだんの瘦せぎすはぼくに言った。

「話しかけてくれるなっていう感じだね、でも飲み屋って一期一会だから。一杯おごるよ。

むかしきみみたいに朴訥とした男の人がバーにいてね、そいつに『何か趣味あるんですか?』と聞いたら将棋が好きで将棋会に通ってるっていうんだよ、ぼくも将棋指せるから話聞いてたらさっきまで大人しかった彼はうれしそうに話しつづけてた。だからさ、きみも何か好きなこととかあるでしょ?それ教えてよ」

 

これがぼくには結構クリティカルな問いだった。おっさんウザってえよ、と退けてもいいような絡み方だったとは思うが、彼の「きみも好きなことあるでしょ?」は聞き流せなかった。文章の場合、本を閉じれば読まずにすむが、人が話しているときに耳をふさぐわけにはなかなかいかない。

 

「ぼくはあんまり好きなものってないんですよ。というか、『好き』って気持ちは、どの程度好きになったら言っていいものなのかわからない。

たとえばさっきの朴訥とした将棋好き男に対して『ぼくも将棋好きでたまにネットでやります』なんて言ったとして、彼に『そんなんで好きとか言うなよ』と内心で思われたらお互いに気分悪いじゃないですか。ぼくの『軽い好き』は彼の好きをおとしめるし、彼にぼくの好きを見下されたら、ぼくの好きは消えてしまいかねない。

『好き』の表明にはある程度のこだわりが見えないとダメなんだろうなって強迫観念がぼくにはあります。だから安易に何が好きかって言えません」

 

そのあと何か彼に良いことを言われた気がするんだけど、あんまり覚えてないので割愛する。

 

 

この安易に好きって言えない感覚を持ったのはなぜだろう。たぶんオタク的な愛の表明の仕方が正義だった時代に子供だったからかもしれない。

自分が対象のどこに惹かれるのか、できればそれが細部であるほどツウである、みたいな風潮。あるいは対象をどのように愛でているかという己のスタンスの歪さで自身の愛の大きさを見せつける感じ。

 

ぼくはオタクの愛のあり方を悪いと言いたいわけじゃなくて、そのオタクのスタイルを盗んでネタにした連中に対するわだかまりがあるからこんなことを書いてるんだと思う。アメトーク的な文化に対する憧れとヘイトが渦巻いている。ぼくはオタクのように何かを偏愛できなかったし、ひな壇芸人のように器用にもなれなかった。

 

 

瘦せぎすの男が言ってたことを思いだしたので割愛撤回する。

 

「きみは優しすぎるんだよ。飲み屋なんてみんな酔っぱらってテキトーに話してるだけでしょ、自分の話したいことを話すだけ。それなのに自分の『好き』は程度が低いから話せない、ってのは優しすぎるんだと思うな。あるいは傲慢。悪いけど、誰も誰の話も聞いちゃいないよ、それでもみんな話すんだよ、一期一会だから」

 

誰も誰の話も聞いちゃいないってそりゃあちょっと言い過ぎだろうとは思うけど、ぼくが傲慢だって指摘は当たっていると思う。ぼくの好きは偉くあるべきだと思っているフシがあるから。それは、ぼくは偉くあるべきとほぼ同義である。偉いぼくの好きは誰にも否定されたくないし、偉いぼくは誰にも傷つけられたくない。それだからぼくは何も話せなくなっている。

 

これってけっきょくぼくが自分以外のほとんどのものを本当には好きじゃないってことだと思う。自分の好きを否定されないように理論武装することもなければ、好きだ好きだと連呼することもない。自分が傷つき果ててでも守りたい愛もない。そして、そういう好きがないとダメだと思ってる。そんな決まりはないのに。だから苦しい。ぼくはぼくが好きなぼくがうっとうしい。

 

書いたり話したりすること自体に難しさを感じるのは、ぼくに伝えたい愛がないからだろう。

伝わらなさに難しさを感じているわけじゃないのだ。伝えたいの無さに生きにくさを覚えている。

口火を切れない、一筆目を落とせない、それはその必要がないからなんだ。必要とされている文章、話って一体なんなんだろうか。

 

話は逸れるが、愛しか語っちゃいけないという抑圧もあると思う。芸のない人間は毒舌芸するな、が拡大解釈された結果ではないだろうか。

芸のない毒舌と同様に、芸のない愛の表明もゴミだ。

でもぼくはゴミにすらなれてない。

 

 

この文章はなんで読まれたんだろう。

子供の勘違い

「どうしておなかがへるのかな/けんかをするとへるのかな/なかよししててもへるもんな/かあちゃんかあちゃん/おなかとせなかがくっつくぞ」(「おなかのへるうた」)

 

小さいころこの歌を聞いて歌ってた僕は「お腹と背中がくっつく」のフレーズの意味を誤って捉えていた。腹の皮膚と背中の皮膚が餅のように伸びて伸びてくっつき、ドーナッツのような輪を人の傍らに作り出すんだと思っていた。

本来は、腹が減りすぎて体が平べったくなることを「おなかとせなかがくっつく」と表現しているわけだが、子供のころの僕は「おなか」といえば、じぶんのこの目に映るおへその空いた皮膚であり、「せなか」といえば、背もたれに触れる皮膚のことだと思っていた。だから腹が減りすぎると人間のおなかとせなかの皮膚は(なぜか)だらだらと伸びだし、くっつくのだと思っていた。

また、腹が減りすぎてお腹と背中がくっつくようなひもじい思いをしたこともないから、歌詞が実感できなかったことも勘違いの理由だろう。僕は飯には十分恵まれていて、だから、体がぺったんこになるほどの空腹を味わったことはない。歌詞が実感できるわけはなかった。

人生でもっとも腹が減ったのは中学3年生の冬、サッカー部の練習試合でのこと。ゴールキーパーだった僕は午前9時から午後6時まで、全7試合ゴール前に立ち続けた。その日僕以外のキーパーは負傷やら体調不良やらで試合に出られず、代わりに僕が1軍、2軍の試合すべてに出た。細かい休憩時間はあったが、飯を買いに行くヒマもなかったため(誰かに買いに行ってもらうのは気が引けた)、ほんとうに何も食べずに試合に出続けた。あの日はほんとうに腹が減ったのだが、帰宅後は疲れ切っていてけっきょく何も食べずに寝てしまった。

「少し休憩させてください」とひとこと言えればよかったんだろうが、そんなことを言ったら監督は怒るだろうと、僕は勝手に考えていた。だから、「まだいけるか?」と聞かれて「いけます」と言い続けた。

 

 

子供は勘違いするもんだ。

僕は小さいころ、自動車はウインカーを出さないとハンドルが回らないと思っていた。ウインカーを出すとハンドルが回るように設計されているもんだと思い込んでいた。

ある日急ブレーキを踏んだ母が「バカヤロウ!ウインカー出せよ!」と怒鳴っているのを聞いて「ウインカー出さなくても車って曲がれるの!?」とはじめて気づいたのだった。怒る母親にその気づきを報告したら、母は笑顔になった。

 

 

子供は勘違いするもんだ。

大人になったら、自然と働き、納税し、結婚したくなったら結婚し、素敵に暮らしているんだろう。子供のころの僕はそう思っていた。しかし今の僕はあの頃から十数年経ってもまだ子供みたいに過ごしている。大人になったら自然とあらゆることができるようになるではなく、働き、納税し、社会に貢献していくことを通して人は大人になっていくのだった。年を取ったら自然と大人になりあらゆることができるようになると、子供のころの僕は勘違いしていた。

おなかとせなかがくっつくのを実感するのは、ちょっとこわいなあ。こわいけど、大人になるのは大変そうなので億劫だ。

 

ちなみに僕は運転免許証を持ってはいるが、運転がとても下手で、ウインカーは出せてもタイミングがはかれず、車線変更や右折がなかなかできない。まあペーパードライバーだからそうなるのは当たり前だ。何事も練習しなくてはならないのだが、子供時代を過ぎた人間にとっては、練習はイコール本番なことが多いので大変だ。

報告

「実家出ると親と妙に仲良くなったりしますよね」って言葉を聞いたけど、俺は真逆だった。

 

実家に住んでいるころは、母とよく話していた。喧嘩も多かったが、翌朝にはどちらからともなく歩み寄ることができた。俺も毎日いろいろなことを話していた。友達の愚痴、気になる娘のこと、社会のこと、将来のこと……とにかくなんでも話した。

 

上京して生活がすさんでいくにつれて、母との電話が億劫になっていった。「今日は何食べたの?」って夜聞かれたときに「起きたばかりで何も食べてない」とはとても言えず、ウソをついた。

起きたばかりだから今日一日何してたの?という質問にも答えられない。そんな感じでどんどん疎遠になっていった。

 

大学に入ってからは帰省するたび、母と喧嘩になった。母はよく「わたしの分からない言葉で話さないで」と言うようになった。俺は心のなかで「少しは勉強しろよ」と母をののしった。いや、実際にそう言ったこともあっただろう。

 

子育てがひと段落してヒマになったからか、母は政治にかぶれるようになった。その思想はちょっぴり嫌韓・嫌中で、情報源はヤフーニュースのコメント欄で、だから俺は彼女のことを見下すようになった。俺は大学で一応政治学を専攻していたので、母のトンデモな意見に律儀にツッコんでしまっていた。そんな俺に母は「分からない言葉ばっかり使って」と憤るのだった。

 

母の日常には中国や韓国からの観光客が多くなっていて、その人々のなかにはマナーの悪い人たちも少なからずいたのだろう。そういう人たちへの違和感を母はよく語っていた。しかし遠く離れて住む俺には、母の実感がわからなかった。近所のスーパーに行くたび、併設する薬局で中国人が爆買いするのが目に入ったりしたら、いい気持ちはしないのかもしれない。そういう母の実感をないがしろにして俺は、東京の論理で母の感情を否定していた気がする。

中国という国、韓国という国がどうかはともかく、個人個人は良い人もいるんだから、そんな一緒くたにして非難したらダメだよ、なんてお利口なことばかり俺は言っていた。

 

俺と母は、いっしょに住んでいるころの方がわかり合っていた。同じ景色を見ていたり、毎日お互いに感じたこと考えたことを話し合っている方がよかった。

俺たちのような親子もいれば、離れてはじめてお互いに冷静になって理解し合える親子もいるんだろう。それぞれいろいろあるんだろう。

 

それぞれいろいろある、というのは全然いいのだけれど(というかそれはただの事実なので、良いも悪いもない)、俺個人の問題として、俺の母はもうこの世にいなくて、彼女とわかりあう機会をもう二度と持てない、というのがある。

これから俺がどんなに良い人生を歩んでいっても、母にその報告は届かないんだと思うと、少しやるせない。

「ちょいと寂しいね」 小津安二郎『秋日和』(1960年)感想

三輪の七回忌。寺に集まった三輪の妻秋子(原節子)とその娘で未婚のアヤ子(司葉子)は、三輪の友人たち間宮(佐分利信)、田口(中村伸郎)、平山(北竜二)の相手をする。3人は24歳のアヤ子に縁談を持ちかけるが、彼女は笑ってごまかす。母・秋子をひとり残して結婚するのにためらいを感じているらしい。それに気づいた男3人は、先に母親を再婚させて片付けてから、その後でアヤ子を嫁がせればいいと考える。

 

この男3人きりの会話がおもしろい。「三輪は秋子さんみたいな美人をめとったから早死にするんだな、俺は早死にの心配ないよ」みたいな軽口を叩いたり、料理屋の女将を見て「あれの亭主は長生きだろうな」みたいな陰口言って笑うところ。《美人と結婚=早死に》を《不器量と結婚=長生き》に反転させて笑い飛ばす感じが軽妙でたのしい。こういう男の会話はまあまあ下品だし女を不愉快にさせるものだろうが、そういう一面的な捉え方をせずに言葉遊びとして見るべき場面だと思う。

 

アヤ子の会社の同僚で友人の佐々木百合子(岡田茉莉子)がいい役だった。先に結婚して友人が乗る電車を会社の屋上から眺めつつ「わたしたちの友情ってもんが、結婚までの繋ぎだったらとっても寂しいじゃない、つまんないよ。ふん、バカにしてろ」とこぶしをポンと突き出すところのスネ方がかわいい。廊下を歩いてった平山の後ろ姿にシャドーを重ねながらジャブを打つ息子のシーンと重なる。

勝手に秋子の再婚を画策して三輪親子を仲違いさせた男3人の元に押しかけて「どうして静かな家に石放り込むようなことなさるんですか」とまくし立てるところは毅然としていてかっこいいし(ごもっともだし)、その後男3人を騙してへんぴなところにある自分の家の寿司屋に連れてっちゃうところもすごくチャーミング。

なんだかんだでアヤ子が嫁いだ夜、百合子は銀座から帰りに秋子の様子を伺いに来る。そういうところもよい。百合子は「あたし、これからちょいちょい来ていい?」と笑顔でたずねる。このシーンの彼女と秋子は残された者同士の寂しさでつながっている。しかしその後ラストから2番目のショットでのうつむきほほ笑む原節子からは、いずれ百合子も嫁ぎ、わたしは本当にひとりぼっちになるんだろうな、というような諦観が感じられる。

 

ラストショット、いままで何度も映ったアパートの外廊下、 三輪家の前の照明だけ消えている。もうこの家は消灯してしまった。

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この映画には上の画像のような無人のショットが数多く差し込まれている。それらのショットは場面説明だけのものでは決してなく、それ自体が物語のテーマにとって重要だろう。誰もおらず、何の物音もしない部屋や廊下は、すべての無常を感じさせる。この部屋や廊下で生きていた人たちはすでに死んでしまったのではないか、と思うようなショットたち。

 

百合子が「わたしたちの友情ってもんが、結婚までの繋ぎだったらとっても寂しいじゃない」と言いつつ願っているのは、青春が永遠に続くことである。友人の結婚を祝ってみんなで山登りをした、ああいう時間が、青春が、ずっと続いてほしい。しかし結婚という区切りでもって女が家庭に入ってしまい、同時に友情も途切れてしまう現実に対して感じる寂しさ、悲しみ。

とはいえ、永遠の青春を願う百合子も遅かれ早かれ結婚してしまうだろう。

その一方で再婚はしないと固く決意している秋子の部屋の前の灯りは消えてしまう。

 

 

結婚にともなう女たちの寂しさ、悲しさが前面に出ている一方で、間宮、田口、平山の3人は実にあっけらかんとしている。アヤ子の結婚式の後で間宮が「しかしおもしろかったじゃないか、これでもう終しまいかって思うと、ちょいと寂しいね。他に何かないかね」というが、人ん家をかき回して他人の娘の結婚をこしらえておいて「おもしろかった」と感想して終わらせるのが実に無責任で良い。このセリフのちょっと前に百合子を評して「ああいうのもたまにはいいよ、ウェットすぎても困るからな」「でもドライすぎても困る」というやりとりがある。ウェットというのは秋子とアヤ子のことだろう。

ウェットにはならずドライでもなく、おもしろがってお節介して、「ちょいと寂しいね」なんて具合で終いにして、飄々と生きていられたら実に気持ちいいんだろうな、と思う。

 

 いまの時代にあってはなかなか想像できない生き方だけど。

腹が治る

先週の火曜日から腹痛と下痢に悩まされ、木曜日医者に診てもらったら「週明けには治ると思いますよ」と言われて本当に今日ほぼ治った。問診と触診だけで見通す医者すごい。

 

しかし下痢のせいで痔が終わった(あーどうしても言いたくなるなあ〜〜〜〜)。ずっと見ないふりをしてきたお尻の疾患、今回の集中砲火で完全に終わった(めっちゃ言いたい…………)。もう俺の尻は医者のメスなしではどうにもならないのだと、頭ではなく腑の方で納得した。俺の尻はずっと終わっていたのだ(言いたいよお!!!!!)。痔・エンドである(スッキリ)。

 

しかしやっぱり医者はすごいんだろうなあ〜。たくさん勉強してたくさんの患者を診ているから、やっぱり彼らの言うことはおおむね正しいんだろう。これまでの俺は医者のことをあんまり信じていなかったことが、今回病院に行ってわかった。

 

俺が医者を信用できてなかったのは、今までかかってきた病院の医者がことごとくダメだったからかもしれない。蓄膿症が辛いと言っても花粉症が辛いと言っても毎回「点鼻薬すれば治るので一にも二にも点鼻薬、しっかりやってください」しか言わない先生。こっちが大森靖子好きだからっていつまでも点鼻薬に頼ると思ってたら大間違いだぞ(大森靖子HPによれば、大森さんは点鼻薬が好き)、薬飲んだら一発で良くなるじゃねえか。

痔を診てくれた町医者は、俺が診察室から出ると入れ替わって入ってった別の患者に「あの人は若いのに酷い痔なんだよ」と言っていた。待合室まで丸聞こえである。守秘義務皆無だ。この病院はいつの間にか廃業していた。

去年はじめて行った歯科にも驚いた。帰り道、ふと舌で治療跡を撫でると、金属片に触った。何かと思って指に乗せると螺旋状の小さく鋭利な銀色の塊だった。電話して聞いてみるとさっきの医者は「あ、心配いらないですよ、治療中に一回ドリルが割れたんですけど、その先っぽを吸引し損ねただけです」と笑いやがった。いや、ドリル割れたのはしょうがないし、吸引し損ねることもあるだろう、でもさ、まず謝ってくれよ。俺がどんな思いで電話したと思ってるんだ。しかしこの歯科医院はとても評判が良いので、俺がたまたま運悪く変な医者に当たっただけなんだと思う。すげえチャラい陸サーファーおじさんだった。

 

医者運の悪い俺も、今回は珍しく親身になって聞いてくれるうえに大変正確に患者を見通せる医者に出会えた。もしかしたら今年は医者運がいいのかもしれない。だから、痔を治すなら今年がチャンスだ。そうやって思い込みを増やして増やして俺は手術台に近づいていく。

 

ほんとは思い込みではなく、良い医者に出会うために情報を集めるべきなんだろうけど、良い医者がどこにいるのかって情報は、どこに行けば得られるのか皆目見当つかない。

 

腹が痛い

3日くらい腹痛と下痢が続いてる。

昨日ようやく「薬を飲む」という解決手段を思いついた。それまで腹痛は自然に治るものだと思っていた。薬局へ行き、買ったその場で錠剤を噛み砕くが効果なし。恋人に促されに促され、涙をこらえて病院へ行くと、医者に「週明けには治ってるでしょう」と言われる。処方薬を飲みはじめたが、「週明けには治る見込み」なので、痛みと腹下しはいまも続いている。

 

涙をこらえて病院へ行った、と書いたが、本当は少し泣いた。電話越しに「あした病院行かなかったら週末は会わない」と言われ、そんな取引ヒドいや……と思い、ほんのちょっぴり泣いた。甘えすぎである。まあ泣いたのは深夜だったからってのもある。夜は感情が高ぶりやすい。

俺はなぜか病院が嫌いなのだ。あの病院特有の陰気臭さゆえ、待ち時間が長いから、むしろ風邪とかうつされそうなリスクを懸念しているせい、厄介な病気が見つかってしまうのが恐いため……パッと思いつく理由はそんなところ。

自分の普段の不摂生を診断という結果で突きつけられるであろうことも辛い。俺はいま手術すべき疾患をふたつ持っているが、その手術自体の恐怖もさることながら、西洋医学によって俺の不摂生ぶりが暴かれるのが嫌だ。

手術に踏み切る前に摂生を身につけたいとずっと思ってきた。健康になるための手術を健康になってから受けたいって、自分で書いててもアホな考えだと思うが、そんな考えにここ何年ずっと捕らわれている。そしてあらゆることを常に先送りしてしまう俺は依然として不摂生で、だから病気も相変わらずだ。

 

午後の診察開始時刻を過ぎてもなかなか家から出られなかった。ようやく家を出た頃には夕方になっていた。小雨のなか傘さして病院へ向かっていると向こうから低学年くらいの小学生がふたりやってくる。冴えない感じの男の子と女の子だけど、ふたり手をつないで、男の子が一生懸命喋っているのを女の子が一生懸命聞いていた。ふたりとも傘はさしてなかった。俺は平日の夕方、病院に行くところだった。

 

ようやく病院に着く。はじめて来る病院だ。

そういえば俺は、生まれてこのかた内科というものに来たことがない。小児科、耳鼻科、歯科、眼科、皮膚科、肛門科にはかかったことがあるが内科ははじめてだ。

病院では靴を脱いでスリッパに履き替えなくてはならなかった。俺は素足にスニーカーをつっかけて来ていたので、素足で病院のスリッパに足を突っ込むのは少し気が引けたが、止むを得ず履いた。病院のフロアを裸足でぺたぺた歩くのはさすがに恥ずかしい。

 

受付に保険証(被扶養者)を渡し、椅子に腰掛け脇に体温計を挟んだまま問診票を書く。すぐに鳴る。37.0℃。微熱があるらしい。受付に体温計を返して、再び問診票に記入。渡す。すぐに名前を呼ばれる。そして冒頭言ったように「週明けには治るでしょう」という毒にも薬にもならない言葉をかけられる。それに対して「今すぐ治してほしいんだよ!」と伝えられるはずもなくすごすごと退出。

 

会計を待つあいだ椅子に腰かけぼうっとしてたら思い出した、いま17円しか持ってない、金おろさなくちゃ。

受付に「お金おろしてきます」とことわって病院をいったん出る。2分くらい歩いてゆうちょATMの前に立つ。ジャンパーのポケットを探る。財布がない。ズボンのポケットにも、カバンの中にもない。また財布を落とした。俺は1週間前にも財布を落としている(http://massarassa.hatenablog.com/entry/2017/02/20/110536)。ATMの前で大きなため息をつく。受付に保険証(被扶養者)を渡したからそのときはまだ財布はあった。ということは、病院内か病院からATMまでの道のりに財布は落ちているはず。

 

道中にはなかった。じゃあ病院にあるだろう。受付の人に「財布の落し物なかったですか」と尋ねる。「特に届いてないですが、診察室も確認してみますね」と言ってくれる。5分後、診察室から俺とそう年の変わらない私服の男が出てくる。それから少し経って、先の受付の人が財布を持ってきてくれた。

何度も財布を落としてきた俺だが、財布を無くしたことはいちどもない。

 

ありがとうございます、と言って再び病院を出て、ATMに向かう。

 

三度病院に入る。さっきはありがとうございました、すみません、というと「1070円です」と言われる。ぴったり支払う。「お大事に」と言われる。

 

そういえば病院に着いてから病院から帰るまでの1時間、いちども腹痛くならなかったな、と思ったら痛みが蘇る。

 

帰り道、病院行ってきたよ、とLINEする。「えらい」と褒められる。「約束守ってくれて嬉しいよ、ちょっと泣きそう」とまで言われる。こんなことくらいで褒められたら逆に惨めだわ、と返信しながらも内心ちょっと嬉しい。嫌だ嫌だと避けがちな病院にようやく行けたことで、少し自信がついた気がする。

 

俺には根拠のない自信はあるのだが、根拠のある自信がない。根拠のある自信をつけるために、ずっと悩まされている副鼻腔炎と痔の根治手術に踏み切るというのは、案外良い手かもしれない。手術に対する膨らみすぎた恐怖と、術後に訪れるらしい未知の痛みを我慢しただけで自信がつくうえに、いまより日常が快適になるのは、悪い話じゃない。今日のところはそう思っている。健康になりたい。

 

 

 

 

夢日記(ゴルフコース)

体調が悪くて今日はずっと寝てた。夢を見た。

 

 

実家からほど近いゴルフコースに、家族4人で来ている。誰もゴルフをする気はなく、各コースのティーからカップまで、4人全員それぞれの速度でひたすら歩きつづけている。それぞれの速度で歩いているが、先に行く者もいなければ、集団から遅れる者もいない。付かず離れずの距離を互いに保ち、何か話しながら、比較的ほがらかに、春のゴルフコースを散歩している。

 

6番ホールで水分補給のために我々は足を止めた。このホールには華奢な女子高生の膝小僧くらいの大きさの穴があって、そこから湧き出す水はうまいと評判だ。その穴は隣の7番ホールとの段差に穿たれている。7番ホールには大きな池があって、そこの水が地下を通って、この穴から出てくる。池から直接すくった水は血のような味がするのだが、この穴から出るときには、水は柔らかく、そして甘くなる。穴に紙コップを当て、水を注ぐ。みんなそうやってここの水を飲む。

 

座って水を飲んでいると、小高くなった7番ホールの方の木々の隙間から、青ざめた女の顔が見えた。ゴルフ場に入ってから私たち以外の人間をみとめるのは初めてだった。立ち上がってその方を見てみると、女の足元には小さな男の子が痙攣しながら倒れている。

 

父は彼女たちの元に駆け寄った。「大丈夫ですか」と声をかけると同時に、向こうからゴーカートに乗った救急隊がやってくる。父は私たち家族の元に戻ってきて、いっしょに事のなりゆきを見守った。

 

その男の子の母親が言うには、男の子は石ころを喉に詰まらせたらしい。馬鹿な子だ。ふたりの救急隊は真剣な表情をして、男の子を芝生のうえで転がしていた。そんな方法で石ころは出てくるのだろうか。疑問に思うが、私たちは一切口を挟まない。

 

1分くらい男の子は転がされ続けたが、彼はまだ石ころを吐き出さない。やがて痙攣も止まり、まったく動かなくなってしまった。

 

すると私の斜め前で腰に手を当て事態を見守ったいた父が、男の子の元へ歩き出した。救急隊を押しのけ、「しょうがねえな」と言いながら父は男の子の足を片手で掴み、彼を振り回し始めた。どこかの外国人プロレスラーが入場時に鎖を振り回すパフォーマンスをしていたがちょうどあんな感じだ。

 

男の子は何度も芝生に叩きつけられた。父は制止しようとする救急隊を、男の子で殴り倒した。男の子の母親は気を失い、私と母とキョーダイは、立ち尽くすしかなかった。私は自分の体格を思い出し、自分が父に振り回されることはない、という事実を思い出して安堵した。やがて警察が来て、父は逮捕された。賠償金の支払いで私たち一家は路頭に迷うかもしれないと思いつつ、パトカーを見送った。

 

夕暮れのゴルフ場に横たわる男の子はもちろん事切れていて、彼の母親は、柔らかく甘い水で、息子の汚れた頰を濡らしつづけていた。男の子の喉につっかえてた石はいま、母の左手のなかにある。