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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

あいかわらず

日記

朝日が照らし出した人影はカーテンを歩く。朝。昨日は飲みすぎた、と思ったが、昼過ぎから飲んでたってだけで、量はそんなに飲んでいないはず。今年のはじめから、俺の住むアパートは鉄の足場で囲まれている。足場を男たちが歩く。

春が来たら足場は撤去されるという。毎日少しずつアパートの壁や床が直されていく。

目覚めてから1時間経つが、まだ水も飲んでいない。

 

 

東南アジアでの研修旅行を終えた地元の友人は、地元行きの飛行機に乗り換える前に、東京に住む俺と会った。半日ふたりで過ごした。

 

彼とは高校1年のころからのつきあいで、かれこれ10年になる。正午過ぎから2時間居続けた渋谷センター街の「一軒め酒場」の有線から、菅田将暉の歌う「キセキ」が流れる。2008年の曲だと友人は言った。東京に住むようになってからの7年は、GReeeeNの「キセキ」を歌えてしまう自分から逃れたいと、心のどこかで思いつづけていた気がする。「e」の数を正確に書けてしまう。

 

東南アジア帰りの彼は東京を寒がって銭湯に行きたがっていたので、空港へのアクセスを考慮し、蒲田温泉に行くことにした。山手線に乗って、品川で降り、京急線に乗り換え、蒲田で降りる。睡眠不足でアルコールの回りが早かった俺と、旅行の疲れで同じく酔っぱらった友人は、山手線のなか、ややでかい声で卑猥な話ばかりしていていけなかった。彼が東南アジア帰りだからしょうがない。何千バーツで女が買えるなんてとんでもないよな、ハマる人がいる理由もわかる、とか言っていて、話してることはあいかわらずエッチなことのはずなのに、高校生のあのころとは全然違ってしまっている。

なんで童貞のころの自分ってあんなに輝いてみえるんだろう。童貞のころの俺は、いまの俺になることを一瞬でも想像しただろうか。45番のバスに乗って学校から帰るとき、俺たちはどんな話をしていたんだろう。

 

蒲田温泉は駅からそう遠くない銭湯だった。俺は東京に住んで長いが、去年の秋はじめて銭湯に行った。風呂に入る習慣がないから、銭湯に行くという発想がなかった。そのときは恋人に誘われて行った。銭湯はいいもんだった。

東京に住んでいない友人が「銭湯行きたい」って提案するのに驚いた。俺の地元はどちらかといえば本州よりも東南アジアに近い気候なので、風呂に入らずシャワーで済ませる人が多い。

銭湯なんて初めてだろ?と聞いたら、「こないだ『湯を沸かすほどの熱い愛』って映画を見て行ってみたくなった」と、彼は髪を洗いながら言う。あいかわらず素直だ。彼はあいかわらずメロコアバンドをやっている。えらいな、と思う。

 

あいかわらず恋人のできない友人は、かといってモテないわけじゃない。モテるわけでもないが。ふたりの姉と仲のいい末っ子の彼は、女と仲良くするのは上手だ、女が気を許しやすい雰囲気みたいなのをまとっているらしい。俺は男だから、彼がなぜ女に言い寄られるのか、本当のところはよくわからない。

こないだは、飲み屋で出会った離島から遊びに来た女と寝たという。本島滞在中の彼女と3回寝たらしい。付き合ってみりゃあよかったのに、と言ってみたら、「遠距離恋愛なんてできる気がしない」と真面目な顔して返された。「どうせ付き合うんなら会いたいときに会いたいからさ」とか言ってて、それは好きってことなんだからやっぱりつきあってみるのが正解なんじゃないの?と聞いた。「そっか、俺は彼女のことが好きだったのか」としんみりしやがる。笑える。

「でも、彼女がちょっと重くてさ」とも言う。

恋した女はみんなメンヘラなんだぞ、と言ってやった。大森靖子の受売りだ。

大森靖子⚫️キチxxxガイア on Twitter: "世の中の彼女という存在は全員メンヘラ。メンヘラじゃない彼女なんかセフレですよ。ポップコーンラブ http://t.co/eHhQy6Dccd"

メロコアのように2分半で爽やかにさっぱり終わる女なんてつまらないじゃないか。

 

慣れないサウナに入り、水風呂に入りきれず、電気風呂に笑って更衣室に戻る。体重計に乗る。体重を見られた。彼女のメシが美味くてさ、と言い訳した。ふたりで缶ビールを飲んで銭湯を後にした。

 

飛行機の時間にはまだ余裕があったので駅の近くのニイハオに行く。焼き餃子とか水餃子を食う。具がシャキシャキ歯ごたえあってうまい。水餃子の皮はもちもち分厚い。ほんとうはチャーハンとか食いたかったけど金がなかったので注文しなかった。青島ビールとメガハイボールを飲んだ。4800円だった。研修旅行ほとんど金使わなかったから、と言っておごってもらってしまった。ワリカンにすれば払える金額だったのに。財布のなかに入ってたのは借りた金だったが。

 

店を出ても名残惜しく、コンビニでハイボールを買って公園で飲んだ。日の落ちた公園では、日曜を名残惜しむように、少年たちが鬼ごっこをしていた。向こう側のベンチではホームレスが寝床を準備している。友人は2時間後には空のなかにいる。せっかく東京にいるのにこんな辺鄙な公園で飲みながら酔っぱらった彼は何度も何度も今日は本当に楽しいと言っていた。なんだか泣けてくる。せっかく銭湯で温まった体はとっくに冷え切ってしまった。

 

「みんないろんな決断をしていろんな風に生きてるけど、けっきょく何が正解かなんて今は誰にもわからんし、決めたらとにかくやるしかないんだよな、だから、俺はお前に何も言わない。まあ1年に1回は会えたらいいな」と言う彼は疲れているけど、翌日からまた働くのだ。

再会するたびに「地元帰ってこいよ」と言っていた彼は今回「お前ずっと東京にいそうだな」と呟いた。なんで?と聞いたら「直感」とこたえる。「俺、お前以外の人間には『なんとなく思ったこと』って話さないけど、お前には話しても『まあいっか』と思ってる」とかまっすぐな目で言うから、俺は目をそらす。

 

空港まで見送ろうと思い、京急の改札を通ろうとしたら、財布がない。俺はまた財布を忘れたらしい。あいかわらず俺は忘れっぽい。やっぱりここで別れよう、俺財布忘れたから公園戻るわ、と笑ったら、彼は真剣な顔して「はあ?しょうがねえなあ、俺も戻るよ」と言っていっしょに駆け出してくれた。たくさんの少年はまだ走り回っていたけど、俺の財布はちゃんとベンチに落ちてたので、目のあった少年に、ありがとう、と言ってみたらきょとんとされた。

 

保安検査場を通るとき、友人はいちども振り返らなかった。そういうやつだ。

 

羽田の国内線ターミナルで人を見送ったのは、上京してきた母とキョーダイを見送った以来だろうか。せっかくなので、展望デッキから友人の乗る飛行機を探した。見つかった。62番搭乗口から伸びる通路がANAの機体につながっている。

彼と俺が好きだった、もっと言うと母も好きだったエルレガーデンもアップルミュージックに入っていたのでそれを聞きながら、飛行機と東京の夜景を眺めることにした。「Supernova」「スターフィッシュ」「Make a Wish」と聞いたところで、彼の乗る機体が動き出した、ふと空を見上げると、オリオン座が目に入る。大森靖子「オリオン座」を聞きながら星を見続けた。涙が出てくる。飛行場に目を戻すと、友人の乗る機体がどれだったか、わからなくなってしまった。

 

そんなことを、眠る前、電話で恋人に話したら「君らしいね」と笑われて、うとうとしながら俺は嬉しかった。

 

 

涙を流しながら展望デッキを歩いていたら、小さい女の子が暗闇のなかを笑いながら走っていた。ときどき立ち止まって、両親を振り返る。床には青と緑の電球がいくつも埋め込まれていて、女の子はしゃがんでそれに手をかざす。自動ドアのところまで走っていった女の子は立ち止まり、ここではじめて不安げな表情を浮かべる。彼女はまだこの先にひとりではいかない。遅れてやってきた父親に抱きかかえられた女の子は、両親と3人して空港のなかに戻った。

涙を止めた俺は、空港の中華料理屋でチャーハンを食って帰った。

 

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中学生男子ふたりして公園。

日記

ふたりの中学生男子が柵から身を乗り出して池を覗きこみながら話している。

「『マリー&ガリー』録画した?」「してない」「えー!じゃあ早く帰らなきゃ!」「うん、そうだね!」「ブランコ乗ってく?  ブランコ乗ってく時間ならあるよ!」「うん!」と言って駆け出したふたりは、前を通り過ぎる犬の姿に目を奪われ立ち止まる。犬は後脚を二本ともダメにしていて、犬用の車椅子の助けを借りて散歩していた。犬と飼い主が立ち去りやや経ってから、池に戻ってきたふたりは眼下を泳ぐ鴨の傍らに石を落としながら何か話していた。少し離れたところにあるベンチに座っていた俺には、彼らが何を話しているのか聞き取れなかった。

犬を目撃する前に駆け出したワケを思い出したのか、彼らはブランコの方へとつぜん駆け出した。興味の赴くままに、無邪気に動く彼らがかわいらしかった。

 

季節は春に向かっていて、だから俺はちょっと足を伸ばして公園に来てみた。コンビニでコーヒーなんか買って。

天中を過ぎた陽光を真正面から浴びるベンチに座ったが陽射しが眩しかったので、柱で日陰になっているところに落ち着くため、尻を右側にずらした。柱は藤棚を支えているものだ。藤棚の下にベンチが五脚ある。ベンチたちは公園の真ん中にある池に向かって設置されている。その五つのベンチの、池に向かっていちばん右端のベンチに俺は腰掛けていた。右端のベンチの右端に座っていた。中学生男子ふたりは、藤棚から外れたところにいた。

 

ブランコから戻ってきた彼らはまた池を覗きこみながら何か話している。こんどは聞こえてきた。

「亀ってなんでも食べるんでしょ」「へえそうなんだ!じゃあ鴨も食べられちゃうね」「さすがに生きてるのは食えないよ!」

この池を泳ぐ亀は、人間の死骸をくわえていたことがある。ふたりはそのことを知っているんだろうか。

 

中学生のころの俺は何を考えていたんだろうか。ブランコには乗らなかったし、池を眺めながらくっちゃべることもなかった。俺の実家の近所には、ブランコや池のある公園はなかった。学校の近くにもなかった。高校生になって学校近くの公園に行ったらブランコがあったので乗ってみた。そのとき俺はブランコをこげなかった。そういえばそのときの俺にはブランコをこいだ記憶がなかった。

 

中学生ふたりはやがて去っていった。家に帰って『マリー&ガリー』を見るんだろう。それは夕方のEテレでやっている5分間のアニメ番組らしい。手元にあるスマホで調べたのでわかった。俺が中学生のころ、そのチャンネルは「教育テレビ」と呼ばれていた。教育テレビ(Educational Television)はその英語表記からもじってEテレになった。わかいの、国家に教育されてたまるかってんだよな。Eテレの番組に出てくる女の子でしこったらいい。マリーだかガリーだか知らんけどそのアニメの娘たちに欲情してもいい。君らの年の頃の俺は、授業中辞書で卑猥な単語のページを開いては興奮しているような人間だった。君らの方がよっぽど楽しいと思う。がんばって楽しみ尽くすがいい。教育の裏をかくのだ。まあ、かかなくてもこかなくてもいいけど。

 

ふたりが去った。彼らの会話に耳を奪われていた俺は我に帰った。膝頭はすっかり冷えてしまった。指先もかじかんでいる。手元のスマホは求人情報を表示している。

いまの俺は、中学生のころと身長は変わらないが、だいぶ太ってしまった。あのころ着ていた学ランに再び袖を通すことはできないだろう。俺はいま26歳である。

《いま》

日記

目が覚めたので朝っぱらに書く。

 

今朝(2月14日の朝)、父が末期ガンになる夢を見た。おまけにその夢は、父が死ぬ直前、母まで末期ガンを宣告されるという救いようのないものだった。夢のなかの母は、俺が思っていたよりずっと気丈に振る舞った。

 

さっきのは夢の話である。死の間際にあった実際の母がどんなふうだったのかは、まだ父に聞けてない。すごく聞きたいのに、聞けない。

父は心を病んだことがある。今だって、いつぶり返すかわからない。だから、彼の心を乱すような問いはなかなか容易にはできない。母の最期の言葉を聞いたのは父だから、彼の心情は察するに余りあるので、なおさら聞けない。いちどは愛した女の死、曲がりなりにも最後まで共に一家を守ったパートナーの死、に直面した父に、その最期の光景を思い出させるのは、俺だって気がひける。父のことがわからないから、なおさら億劫になる。

 

突然の発作に気を失おうとする母は、ただただ痛がっているだけだったと、母が死ぬ直前、父は言った。そのときの父はかなりの錯乱状態だったので、父の伝えてくれた「母の最期」は、いまでもあんまり信じられていない。

死を目前にした母は、俺たち子供のしあわせを願うに決まっている、と思ってしまうのが、いまの俺だ。

 

 

歯を剥き出しにして父母の死を願ったこともある俺なので、2017年2月14日の朝、夢から覚めてかなしくなることはなかった(ちなみに、母の死は1年半も前のことである)。でも、前にも母と父が同じ棺桶に入って焼かれる夢を見たことがあるから俺は、両親へのこだわりが捨てきれない自分を自覚して、だからこそ目覚めて少しだけ落ちこんだ。俺は物理的にも精神的にも両親から離れられていない。離れたいとは思うのだけれど、ずっとベッドに張り付いた俺の背中をシーツから剥がすのは、なかなか難しい。

 

 

オチなんてない。こんな状態をオチにしたくないから。

ドラマ版『火花』のラストはつぎのようなセリフで締めくくられる。

 

「生きている限り、BAD ENDはない。僕たちはまだまだ途中だ」

 

 

 

この文章は、東京のどこかで、《いま》生きている人によって書かれた。「いまを生きる」人ではない。いま生きている人だ。

 

 

 

AbstracTokyo

雑記

心が鬱々としているときは死にたいなあとか消えたいなあとかぼんやり思うもんだが、実際に体調が悪くなると死にたくないよおと泣く。

 

でも最近は心が鬱々としているときでも死にたくないなと思っている。死にたくない。死んでほしくない。こういうのって、死にたい消えたいってかすかに思うようになってからは初めてのことだ。死にたいとか消えたいとかって上京してから思うようになった。

 

上京がゴールだったから、故郷にいるころは辛いことがあっても死にたいとは思わなかった。東京に行きさえすれば、東京は俺を変えてくれるという希望があったのだ。まだ見ぬ東京に甘えていた。俺の心のなかで東京は具体的な像を結んでおらず、東京は抽象的な希望ってやつの別名に過ぎなかった。希望の実態を知りたくなかったからなのか、東京についての情報は全然入れてこなかった。

まばゆい光を放っているように見えた東京の実際は、俺のような甘えた田舎者の希望と欲望を飲みこむブラックホールだった。光さえも飲みこんでしまう黒い穴。東京が明るく見えたのは、東京に飲み込まれていく人たちが最後に放つ閃光のせいだったのか?

その点、ハナから東京に住んでいる人は東京を希望なんてシロモノと結びつけずに飄々としていらように見える。かっこいい。

 

東京イメージに甘えていた俺は、存外冷たい実際の東京にぜんぜんかまってもらえなかった。かまってもらう努力もしなかった。生粋の田舎もんは、東京に媚びることさえできなかった。辞書で「生粋」を引くと、「年が十六で、生粋の江戸っ子で」と用例が出てくる。谷崎潤一郎の自伝的短編「異端者の悲しみ」の一文らしい。

俺もふるさとほしいわあ、とのたまう生粋の江戸っ子や、たのしそうに踊ってる田舎もんを、暗い部屋のなか柔らかいベッドのうえで指くわえてスマホから眺めていたら死にたくなったり消えたくなったりした。

 

 

明日私は死ぬかもしれないんだよ、と言われてハッとした、イヤだ、と明確に思った。誰かが死ぬことを想像して本気でイヤだと思ったのは多分はじめてだ。言い過ぎだろうか?  両親が死ぬのを想像して悲しくなったこと、俺にもあっただろうか。俺はいつも彼らが死ぬことを考えていた気がする。それは甘美な想像だった。彼らが死ねば変われると思っていた。歯をむき出しにして彼らの死を願ったこともある。ふつうに愛されていたはずなのに。

 

私が養ったっていいけど、私がもし死んだら、その後きみがどうやって生きていくのか心配だ、と言われる。そんな風に率直に「心配しているよ」と誰かに言われたことがなかったから、嬉しかった。そして同時に心配をかけていることを申し訳なく思った。

両親はそんなこと俺に言わなかったが、恋人と同じように、心配していたんだろうか、心配しているんだろうか。母は死にまつわる話をきらった。縁起が悪いとイヤがった。そのわりに、電気を消したリビングに敷いた布団のうえでX JAPANの「Forever Love」を聞きながら「この歌聞くと死にたくなる」と言って、まだ幼いキョーダイを泣かしていた。

キョーダイはいつも「お母さんが死んだら自分は生きていけない」と言っていた。でも、まだ生きている。死なないでほしい。あ、キョーダイが死ぬのも心の底からイヤだな。しあわせになってほしい。

 

死は案外とつぜんやってくる。死は案外だらだらやってくる。いずれにせよ、自分が死んだら自分の死は他人ごとだ。だから、自分が生きるのは他人のためなのかもしれない。

恋人が死んだら俺が悲しむように、俺が死んだら恋人も悲しむ。俺よりも感受性が豊かだから、よけいに心配だ。だから、ちゃんと健康に生きなくちゃならない。今はもう自分だけの身体じゃないのだ。しっかりしたい。

 

生粋の江戸っ子と恋できたから、東京にしがみついててよかったと心から思う。しがみついてると言ったって、ここにいるだけだけど。それでも今は「俺はしがみついていた」と言いたい。

 

自力で這い上がるのは次の段階。引っ張り上げてくれる人がいるから自力だけじゃないが。

差し伸べられた手を掴むのも勇気が必要だった。掴んでしまったら、自分もがんばらなくちゃならないから。また人を裏切るのはイヤだったから。

でもがんばってみようと思えたのは、希望をいっしょに見られそうだから。希望はいまはっきりと像を結びつつある。東京で。

風船

日記 雑記

橙色のゴム風船が駅東口の吹き溜まりで風に巻かれ行き場をなくしていた。仕事に向かう恋人を改札で見送り、自宅に戻るときに見た光景。多分どこかの店頭で柱なんかにくくりつけられていたやつが、なにかの拍子で転がってきたんだろう。なんとなく目が離せなくて、駅に向かう人たちの流れのなかで、立ち止まってしまう。

 

うんと幼いころ、父とふたりで祭りに行った。父は風船を買い与えてくれた。帰り道、嬉しくてその青い風船を振り回した。すると手から離れた風船は、夕焼け空に飛んでいってしまった。嬉しかった分、とても悲しかった。父は慰めるどころか僕を叱った。怒鳴られたのは、あれが最初で最後だ。300円もしたんだぞ、と言われた。

あれから20年以上経った。あの風船の何百倍もの金を父は毎月送金してくれる。

 

飛べる風船と飛べない風船とがある。中に何が入っているかで、そいつが飛べるかどうかは決まる。そいつのなかに空気より軽い気体、水素やヘリウムを入れて膨らまし、あなたが手を離したなら、その風船は天高く飛んでいく。もしもそいつのなかにあなたの呼気が入っているなら、手を離せば地面に落ちる。どちらの風船も針でひと突きすれば破裂して二度と元には戻れなくなる。気体を入れすぎても同じだ。

 

風の船、とは粋な名だ。「風船」は元々、気球を言い表す言葉だった。それがおもちゃとしての「ゴム風船」を言い表す言葉になったのは、ウィキペディアによれば1929年のこと。巌谷小波という人の書いた童話『風船玉旅行』がブームになったからだという。「ゴム風船を沢山つけた子供が冒険する話」とある。この童話を翻案、というか大胆にリライトしてできたのが『カールじいさんの空飛ぶ家』である、というのは僕がいま思いついたつまらないウソ。

 

風船というのは元々、乗物を言い表す言葉だった。風船イコール移動だった。

しかしいま「風船」と聞いて僕らが思い浮かべるのは子供を喜ばせるゴムのそれだ。ふわふわ飛んでいくか、地面を転がるか、破裂するか。

 

「風船玉」という言葉もある。ふわふわして落ち着かない人のたとえだ。僕は、ふわふわして落ち着いていない人なのか、それとも、針で突かれてしまった後の死骸なのか、どちらだろうか……どちらでもない。

父の仕送りでパンパンに膨れ上がりつづけている。父の口が僕を離さず、そこから吐かれる息が僕を膨らませていく。そうだとしたら、破裂する前に逃げださなくてはならない。でも、どうやって逃げればいいのだろう。父が口を離した瞬間、最後っ屁の暴走をした後で、そう遠くはない場所で完全にしぼみ、僕は地面に横たわるだろう。誰かの手を借り(もちろん父の手でも良いわけだが)、僕の口を結んでもらわなくてはならない。そうしなければ何も始まらない。

 

 

最近、恋人のまえでよく泣いてしまう。思わぬところで泣いてしまう。自分で思っている以上に自分はパンパンに膨らんでいた。口を結ぶ前に、話さなくてはならないことがたくさんあるらしい。少しずつ吐いて、適切な大きさになったら、いっしょに飛んでいきたい。できるだけはやくできるだけとおく。

 

節分

日記 雑記

節分が好き。他の年中行事と比べて、資本主義に乗っ取られていないし、幸福なひとたちが浮かれるというよりも、幸福になりたいね、とか、幸福でいつづけようねといったニュアンスがある、いや、というよりも、最低でも不幸にはならないようにね、みたいなコンセプトが好きなのかもしれない。そんなコンセプトではないのかもしれないけど、俺はそう捉えている。

 

唯一資本主義の魔の手が口にねじ込んでくる「恵方巻き」もアホらしくてハッピーでパーティー感ある食べ物なので好き。ひとり暮らしでも、コンビニで気軽に買って行事を味わえるのがいい。門松とかツリーとか、鏡餅とかクリスマスケーキとか、わざわざ飾らないし、ひとりで買って食べるのもちょっと勇気がいる。その点恵方巻きは心強い。恵方を向いて黙々と食ってりゃあなんとなく良いことした気分になれる、いろんな具材が米に巻かれていてとてもおいしい。

俺は、ひとりきりでも豆まきだってする。翌朝豆を踏んでイヤな気持ちにならないように、落花生をまく。大豆よりも片付けが簡単でいい。ベランダにもひとりでまく。こればっかりは少し勇気がいるけれど、やっぱり良いことをした気分になる。

 

お正月とかお盆、ひな祭り、端午の節句、クリスマスってのは自分のためじゃなくて、家族や親戚との関係があってはじめて成立するイベントだ。対して現代の節分は(節分に対する歴史的理解はないのでこのまま進める)、自分の一年の前途に災難が立ちふさがらないことを、そしてあわよくばちょっとした幸福がやってきてほしいなと、ひっそり願うことのできる行事だ。

黙って太巻き食ってれば、「鬼は外、福は内。鬼は外、福は内」とひとりごちて豆まいてれば、ひと仕事終えた気分になって、ささやかな幸福が自分のもとにもやってくる気がする。だから、コンビニが恵方巻きを売ってくれてることをとてもありがたく思う。千葉県もありがとう。

 

 

あと、なんだかんだで、幼いころの俺にとっても、節分はいいものだった覚えがある。

お正月は父が家に居座ってるから母が少しイライラしていたし、こどもの日にはなぜか遊園地に出かけるのが恒例でその道中の車内で両親がケンカしてた記憶があったりする。お盆には父の実家でイヤミを言われる母がかわいそうだったし、クリスマスにディナーを食べに行ったらメシが出てくるのが遅すぎて父がキレてた。もちろんそれぞれ楽しい記憶もあるけれど、イヤな思い出もある。

それに比べて節分は、父親自ら鬼の面を被ってくれてそれに向かって思い切り豆をぶつけられて楽しかった。「お父さん」はふだん家族に影で疎まれていた。「鬼は外」。「鬼」が門を出て角を曲がって見えなくなるまで豆を投げつける。

豆おいしくないーイヤだーと言いながら年の数だけ食べるのは実はそんなにイヤじゃなかったりする。イヤなフリをするのがたのしい。食べなさい、お母さんなんか35粒も食べるんだよ、なんて言われるのが愉快だった。俺もはやくたくさん食べれるようになりたいと、あの頃は思っていた。

 

 

節分ってとてもいい行事だと思うし、廃れる気配もないけど、節分を題材にしたポップミュージックってないんだろうか。金にならない行事のためのポップソングなんて、もったいないからつくらないのかしらん。

 

 

『マッドマックス 怒りのデス・ロード ブラック&クロームエディション』

映画感想

マッドマックス 怒りのデス・ロード ブラック&クロームエディション』見た。タイトル長ったらしいけど要するに『怒りのデス・ロード』モノクロ版。

 

正直みんながV8V8言ってるころは全然ノれなくて、1回しか見てなかったから、これも見る予定はなかったんだけど、いっしょに見ようと言ってくれたから見た、ら、これがめちゃくちゃよかった。

 

https://youtu.be/n4htDY30vYQ

 

スクリーンに映る情報量がめちゃくちゃ多いオリジナルの『怒りのデス・ロード』は見ていてとても疲れたんだけど、そこから色を抜いたことによってシェイプアップ、かわりに描線と運動がくっきりする。

『ブラック&クロームエディション』はシンプルでわかりやすく、処理能力の遅い俺の脳みそにもすんなり入ってくる。だからようやっとカーチェイスのどこに焦点を合わせれば楽しめるのかとか、深いシワの刻まれた婆さんの顔の味わい深さとか、画面の中央以外にいる人物の視線や表情の妙とか、そういうのを楽しめた。あとカーチェイスは完全に『駅馬車』って感じだった。

一向が鉄馬の女たちと出会った日の夜の映像は白黒になったことでより鮮明に映っていた。パーフェクトに異世界。

 

白黒といっても白と黒のあいだのグラデーションがあまりにも鮮やかで多分オリジナルの豊かさは少しも損なわれていない、というかまったくべつの映画になっているといっても言い過ぎじゃないはず。ブラック&ホワイトで燃えさかる炎はとても美しい。

 

オリジナルを見たときは全然ストーリー、というか個々の人物に思い入れを持てなかったけど、今回はニュークスの生き様とか、マックスとフュリオサの友情とも恋愛とも言えない、無理して言うなら兄妹関係みたいな視線の交換やら血のやりとりとか、種を胸に抱いて微笑みながら息をひきとる婆さんに涙した。

 

なんか思ったけど、2015年の俺は無職になりはじめたばかりでえらく疲れていて映画を見て何かを感じるどころじゃなかったのかもしれない。『怒りのデス・ロード』は世界観の提示というよりも世界の創造なので、そんなのにはとても入り込めなかった。俺自身の世界が破綻しているところに別の世界を見せられても「知らねえよ」となるしかない。優れた映画も愚鈍な観客の前では空回りしちゃう。

今はもう開き直ってたのしく過ごしているので映画を見る余裕がある。これでいいのだ。