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ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

心残り

九龍ジョーが「SPADE」という雑誌に書いたエッセイ「東京で聖者になるのはたいへんだ」を読んだ。2016年11月12日から同年同月18日までの、彼の11月の7日間が書かれた文章なのだが、しかしその1週間は、高学年の「アリマ」による「圧倒的な暴力」にさらされた小学生時代の幡ヶ谷から、火葬場のある幡ヶ谷の道で「迷えなかった」ことまで、つまり彼の人生のさまざまが鮮明に思い出される日々で、色濃く分厚い。
そして、雨宮まみが生きられなかった2016年12月以降を、緑のワンピースを着た「永遠なる23歳」たちに託しつつ、彼女たちからもらったもので自分には何ができるのかを深く内省したようなエッセイになっている。

 

 

いろいろな雨宮まみが書かれた文章を読んだ。

 

まみのこと | 尼のような子だったけか

 

サマー★ダイアリー2016パート9 : 松本亀吉weblog

 

さようなら – sociologbook

 

雨宮まみさんのこと: 伊野尾書店WEBかわら版

 

雨宮さん : あまいしね【コピペ推奨】

 

追悼しない - 能町みね子のふつうにっき

 

 

彼女と実際に交流のあった人たちの文章を並べた。べつにこれは網羅したものじゃないし本当はもっとたくさんあるんだろう。
「あのお別れ会の場にいたひとたちも、その場にいなかったひとたちも、いちども会ったこともないひとたちもみんな、『自分にとっての雨宮まみ』を持っていると思います」と岸政彦が書いたように、読者が書いた文章もたくさんあった。みんながみんな自分の人生を書きながら雨宮さんのことを悼んでいた。雨宮さんについて書くことは、自分について書くことになる。みんな雨宮まみのように文章を書いてしまう。

 

でも、俺にはそれができなかった。『女子をこじらせて』を読み感銘を受けたし、『東京を生きる』のような文章が書けたら、とも思った。けれど、俺は雨宮まみの文章を「わがこと」にまではしていなかった、と彼女が死んだときに感じた。だったら彼女について話したり書いたりする必要はないので、あんまり話したり書いたりしなかった。

 

 

去年のはじめ、村田沙耶香雨宮まみの対談を聞きに池袋の三省堂書店に行った。『コンビニ人間』が出る前のことだ。その日のことを俺はブログに書いた。

 

じぶんだけの真実を探さざるを得ない人 「『消滅世界』出版記念トークイベント 村田沙耶香×雨宮まみ」の感想 - ひとつ恋でもしてみようか

 

そうしたらツイッターで雨宮さんからリアクションをもらった。

 

 

1日3回どころじゃなく頻繁にエゴサする雨宮さんは、俺の文章も読んでくれた。
俺が間違えて書いた「前面に大きなトラが金色で描かれた」服について「そうじゃないけどその方が面白かったかも」と感想してくれて嬉しかった。
訂正します、と返信したら「おもしろかったのでそのままでもいいですよw」と言ってくださった。

 

おもしろければ事実と少し違ってもいい、自分がトラ柄の服を着ていたことになっても構わない、なんなら着ていけばよかった、なんて言ってくれるのはありがたかったし、雨宮さんらしいな、と思った。
でもやっぱり俺には「雨宮まみ」らしさなんてもの、1ミリもわかってないのかもしれない。

 

 

九龍さんが書いたエッセイにある最後の日付18日、その日の俺はZEPP TOKYO大森靖子のライブを聴いていた。この日のライブは心底最高で、そのことを忘れたくなくて、俺にしては珍しくその日のうちに感想文を書いた。

 

「あなたをフォローしています」 大森靖子 Tokyo Black Holeツアーファイナル in ZEPP TOKYO感想文 - ひとつ恋でもしてみようか

 

 

感想文には書かなかったけど、この日のライブを聴きながら、俺の頭の片隅にはずっと雨宮さんのことがあった。大森さんのTOKYO BLACK HOLEというアルバムは『東京を生きる』がなかったら生まれなかったのではないか、とか勝手に思ってしまった。「死を重ねて生きる世界を壊したい」とか「魔法は解けない、呪いは効かない」とか「人が生きてるってほらちゃんと綺麗だったよね」とか、ほんとうにいちいち正しくて、でもその正しさを俺は大森さんが歌うまで知らなかった。
おなじように、雨宮さんが書くまで知らなかった正しさがたくさんあって、それが誰かを救ってつぎにつながっていくんだろうな、そんなお行儀の良いことが思い浮かぶ。

 

 

雨宮さんは「おもしろかったのでそのままでもいいですよw」と言ってくれた。彼女が大切にしていた服を俺はちゃんと見ていなかったのに、彼女はそんな誤解をも受け入れて「そのままでおもしろい」と言ってくれた。のに、俺は訂正した。したけど、じゃあけっきょく何を着てたんですか?とまでは問わなかった。
まあ聞き方も難しかったし、失礼に失礼を重ねるから聞かなかったというのもあったのだけれど。なんだかその聞かなかったこと聞けかなかったことがずっと気がかりだった。彼女が亡くなった今、そのことは心残りになっている。

 

というようなことに「東京で聖者になるのはたいへんだ」を読んで1日経ってようやく気づいた。

 



俺はふだん、作家とかアーティストの方と接触できる機会があっても、いろいろな言い訳をしてその機会を捨ててしまうが、村田沙耶香雨宮まみの対談が終わった直後、その日はなぜか、サインを待つ列に並んでしまった。
何日も、誰とも、話していないのに、いきなり村田沙耶香雨宮まみを目の前にして俺は口が聞けるんだろうか、ありがとうございます、の一言、まともに言えるだろうか、とわなわなした。
いざ、村田さんの前に立ち『消滅世界』を差し出す、震える声で、「星が吸う水」を読んで以来ファンです、みたいなことを案外すらすら言えた。ありがとうございます、とやさしく言ってもらえた。
そのまま流れて雨宮さんの前にも立った。しかし村田さんとの会話で張り詰めていた緊張の糸がほどけてしまった俺は、なんだかぽかんとしてしまって、雨宮さんの前で少し黙ってしまった。
アホになった俺の言葉を待ってくれる雨宮さんに、あの、『東京を生きる』とか好きです……と当たり障りのないことを言ってしまってなんだか申し訳なくなったけれど、雨宮さんはキリッとした瞳で、ハッキリした声で、「ありがとうございます」と言ってくれた。

 

 

 

食べまくりたい

コンビニ弁当やら半額のお惣菜やらでだらしない体になってしまい、実家にいるころはそれなりに良いものを食べさせてもらって繊細に守られていた舌も今は完全にチューニングが狂ってしまった、と思っていたのだけれど、最近手づくりの料理を食べさせてもらう機会が多くてなんとなく少しだけぜい肉が落ちた気がするし、舌にまとわりついた泥も落ちたようで気持ちがいい。タバコを止めた人がよく「禁煙してからご飯がおいしい」と言うけれど、そんな感じかもしれない。

誰が作ったのかわからない加工食品は味にもやっぱりモザイクがかかってる気がする。いくら食べてもぼやけていて食べてる気がしない。だから食べ過ぎてしまう。そのことがわかったのは、手づくり料理を食べる機会が増えたからだ。久しぶりに、と言っても3日ぶりくらいだけど、コンビニ弁当を食べてみたら、味がわからなくて驚いた。

ちゃんと出汁をとったりして食材からしみ出る旨味みたいなものを引き出してるメシって、食べ過ぎることがない。もちろんうまいうまいってな具合に食べまくることはあるんだけど、食べ過ぎたみたいな罪悪感はない。まあそれは俺が今まで不摂生を重ねてきたからってだけかもしれないけど。ふつうの人は加工食品だろうが手づくり料理だろうが、食べまくったら反省するのかもしれない。

 

こないだ、お店で鍋を食べた。ねぎとか白菜とかキノコとか、あとなんかいろいろ(忘れた)を昆布出汁で煮て、脂の乗った魚をしゃぶしゃぶして食ってポン酢につけて食うのは最高だった。シメのうどんもうまかった。

いっしょに食べてた人がこの世の中には「常夜鍋」という粋なシロモノがあると教えてくれた。昆布出汁に日本酒を入れたものに、ほうれん草と豚肉を突っ込んで煮たやつらしい。俺は食に全然興味がないので(食べることは好きだけど)、そんなものがあってそんな名前がついてることも知らなかったんだけど、これは食べてみたい。毎晩でも食べれるほどうまいから「常夜鍋」って名前がついてるらしい。いいな。家にカセットコンロと鍋を導入したら俺にもできる。カンタンな料理だし、これくらいならできそう。

 

だったらすぐやれよ、って話なんだけど、俺はまだカセットコンロも鍋も買ってない、買う予定もない。ちょっと頑張ればすぐにでも買えるんだけど。でも「できそう」と思えたことが何よりも大事なのだ。いままでの俺は自分が家で鍋やるなんてありえないと思ってたから。というか、この部屋で鍋するなんて発想がなかった、これだったら俺にもできそうって思えるのは本当に良いものだ。今シーズン中に常夜鍋やりたい。

かなしみだけ覚えていたい

帰京して3週間近く経ったのに、まったくブログを書かなかった。体調が悪かったり、治ったり、遊んだり、少しだけ(ほんとうに少しだけ)働いたり、寝てばかりいたらあっというまに3週間近く経った。いろいろなことがあったし、いろいろなことがなかったけど、まあそれなりにたのしい。「それなり」というのは照れ隠しのようなものだろうか。まあ、たのしくない時間もあるから「それなり」と書いただけで、あんまり意味はない。でもやっぱり、「たのしいね」って言ったり言い合ったりするのは、ごく親しい人との秘め事のような気がして、あんまり人前にさらけ出したいとは思わない。俺は他人とは情けなさとかみっともなさとか苦しさみたいなマイナスの感情によってゆるくつながって、共感しあったり慰めあったりしたい性分なのかもしれない。だから、たのしい話をここに書こうとはあんまり思えない。

 

しかし、たのしいことも書かないと忘れてしまうのでそれはとってももったいないような気がする。書いたって忘れる俺はもちろん書かないともっと忘れるので、書いた方がいいと思う。たのしさは、ブログ以外のスペースに刻んでいけばいいんだろうか。でも、誰にも読まれない前提で何かを書けるようなストイックさは俺にはないし、ただただひとりで言葉と戯れてるのがたのしい、みたいな気持ちもない。怠け者で、つまらない人。じゃあ「たのしい」はどうやって覚えようか。

 

まあそもそも別に覚えなくたっていいのかもしれない。記憶のなかの「たのしい」は、「たのしかったな」、「たのしかったね」になるわけで、そんなこと言っているよりも、「たのしいな」、「たのしいね」って言いつづけてる方がずっといい。だから、あんなにたのしかったのにもう忘れちゃったの?とか言いたくないし言われたくない。そんなこと言わせないでほしいし言わせたくない。もちろん「たのしかったね」って言い合うのがたのしいってことも多々あるけど、いまはそういう話してるんじゃない。

 

たのしかったことより、かなしかったことを覚えていたい、と思った。たぶん俺は、自分のかなしみを忘れたくないし忘れてほしくないから、辛気臭いことばかりブログに書いてきたんだと思う。

たぶん、そういう人は少なくないんじゃないか。自分のあんなにかなしかった気持ちを、なんでお前はすぐに忘れるんだよ、酷いじゃねえか。

 

俺は、自分のかなしみには敏感だけど、人のかなしみには鈍感だ。その人をかなしませたのは俺なのに、忘れてしまってることは少なくない。いや、「多い」とハッキリ言ってしまおう。酷い人間だと思う。だからこれからは、かなしみだけ覚えていたい。そのために書いていたい。たのしいなたのしいね、と笑いながら、その笑顔の裏でお互いにかなしみを湛えているなんて、めちゃくちゃかっこよくない?

 

あーでも、「たのしい」が過去になっていくのは「かなしい」ので、「たのしい」を書くこともまた「かなしい」を書くことと同じなのかもしれない。うだうだ言ってないで、なんでもかんでも書きゃあいいんだよ。

ずっと

帰省初日の大掃除がたたって鼻炎悪化ノックダウン。鼻炎がもたらす倦怠感はインフルエンザのそれに匹敵する……。マスクしててもホコリにやられた。今日は午後5時まで寝ていた。とは言っても、眠ったのは午前5時で、それから11時くらいまでは、眠る、悪夢、覚醒。眠る、悪夢、覚醒……の流れを5回くらいしていたので、全然寝れてない。ずっと眠っているのは、ずっと眠れてないからだ。

 

昨日か一昨日かの夕食時、父とキョーダイとテレビを見ていた。とんねるず石川遼やイ・ボミらとホールインワン対決をしていた。特別ルールとして、男子プロ以外の参加者のために、本来のカップとは別に3つのカップが用意されていた。女子プロととんねるずは4つのカップのどれに入れてもホールインワンとのこと。

何巡目か覚えていないが、イ・ボミの打った打球がグリーンに乗ったとき父は「あれ、なんでカップがたくさんあるんだ」と言った。

俺たちはみんな黙々と食べながらテレビを見ていたはずなのに、父はようやくグリーンにカップが4つあるのに気づいたらしかった。

父が食卓を去り自室に引っ込むと俺はすぐに「父さん、延々テレビ見ているのにテレビの見方ヘタだよな」とキョーダイに言った。キョーダイは「ずっと見てる人って案外何にも見れてないよね」とこたえた。

父は一日中テレビを見ていて仕事始めなはずの今日も自室にずっとこもっていた。あの部屋にはテレビとベッドマットと仏壇しかない。

 

ずっとずっとずっとずっとずっとずっと。

 

実家には故人の遺した衣服や化粧品なんかがたくさんそのままになっている。最近の俺は、過去の品を捨てることにためらいを無くしつつあるので(モノに未練を残すタイプの人間だったけれど、「なんで捨てるのそんなにためらうの、過去にとらわれてたらダメだよ」と言われたので、おそるおそるだけどモノを捨てるようになってきた)、故人の遺品も処分・整理したいけれど、その考えを父に言うのは、なんとなくためらわれる。父がずっとこの家で故人の痕跡に囲まれながら生きるのはしんどいのではないか、と思うがしかし、憚られる。

そういえば故人は思い出の品を綺麗に残しておくタイプだった。俺の部活着なんかそのままタンスにしまってあった。

 

こないだ、洗面所の戸棚を開けたら生理用品がいくつか置いてあったのでキョーダイに「こういうのもう捨てた方がいいよなあ」と聞いた。そしたらキョーダイは「それ、お母さんのじゃないよ。お母さん、とっくに上がってたよ」と笑った。

 

ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。

 

実家②

実家に帰ってきた。帰ってきてすぐ元自室の掃除、窓拭き、犬小屋周辺の掃き掃除をした。最初は自分の寝る場所を確保するための掃除だったけど、窓拭きあたりから意識が変わってきた。

これまで当たり前に綺麗だった実家は、母が死んでからあっというまに汚くなった。窓は、母が一生懸命磨いていたからぴかぴか透き通っていたんだと、夏の潮風、秋の台風、冬の涼風でべたべた汚れたそれを拭きながらはじめて実感する。

 

掃除がひと段落したから、キョーダイといっしょに近所のスーパーまで歩いてった。近所といっても1キロ以上ある。真っ暗の農道をふたりで歩き、国道を渡って明るい24時間営業のスーパーに入る。

食べそびれた年越しそばやカレーの材料を買う。キョーダイがクイックルワイパーや薬用石けん、消臭スプレーなんかの日用品をカゴに入れていく。

俺はキョーダイより年上だけど、ろくに働いてないし金がないから、キョーダイが祖父からもらったお年玉で全部支払ってもらう。「父さんに言って実家にいる間の食費もらおうよ」と俺が言うと、キョーダイは「おじいちゃんからもらったお金は早く使っちゃいたいからこれでいい」とこたえた。

 

1万円分の買物だった。店員が有料のレジ袋にどんどん詰め込んでくれたおかげで、2つの袋ははち切れんばかりだった。このスーパーにやってくる客はふつう車に乗ってくるからこんなむちゃくちゃな詰め方でも問題ないんだろうけど、俺たちは歩いてきている。もしレジ袋を手にぶら下げて歩いたら、農道の途中で袋の底は抜けてしまうか袋が伸びきって千切れてしまう。だから俺とキョーダイは膨らんだ白いレジ袋をひとつずつ胸に抱えて、来た道を帰った。

したたか重い。汗が噴き出す。縮んだ二の腕の筋肉が痛い。暑い。俺は何度か立ち止まってしゃがむ。キョーダイは「立ち止まったらもう進めなくなる」と笑いながら、ゆったりゆったり歩きつづける。畑に囲まれた暗い一本道のはるか向こうに赤く点滅する信号機が見える。そいつを目標に進む。

左手の丘の上から、空に向かって白色の細い光が伸びている。なんの明かりだろう、UFOかな、UFOだったらいいな、イヤだよ殺されるよ、なんて話しながら家を目指す。

 

俺はペーパードライバーだから近所のスーパーまでも運転できない。お金がないからタクシー乗ろうよなんて気軽に言えない。貧弱な体だから筋肉はすぐに悲鳴をあげる。下のキョーダイの前で情けなかったが、いまさら取り繕ってもしかたない。これがいまの俺だ。暗い農道でヤケになって奇声をあげながら重たい買い物袋を胸に抱えて歩くのがいまの俺。周りに建物がないから、声は反響することなく吹き抜けていく。

「無になる練習してるから話しかけないで」と言いながら重い荷物に顔を少し歪ませてぺたぺた歩くキョーダイがかわいらしくて、申し訳なかった。あともう少しで家に着く。

 

ようやく家に着く。門扉を蹴って玄関へ急ぐ。家に入ると真っ先に洗面所へ行き、体重計に買い物袋を乗せた。俺が持っていたのは11キロ、キョーダイが持っていたのは6キロだった。それらをダイニングに持って行ったら、居室から出てきた寝巻き姿で寝癖もそのままの父が、俺たちの苦労も知らずレジ袋に手を突っ込んで惣菜をひっつかみぱくぱく食べはじめた。

 

父の苦労があったおかげで俺がだらだら生きていられたという事実を、帰省した俺はさまざまな形で突きつけられている。

これからは2月に1度くらいは帰省しようと思った。

 

実家 - ひとつ恋でもしてみようか

 

 

彼/女

ちょっと今日会えないかな、とメールが来た。朝と昼のあいだのその時刻、俺は女とビーチにいた。そう伝えると「じゃあ海浜電車で今から向かう」との返信。

これから友だち呼んでもいいかな、と尋ねると女は「ダメって言ってもいいの?」と笑った。

 

2時間後、パラソルの下、手をつないで水着のまま寝ていた俺たちの元に、彼はやってきた。彼は肩を揺すって俺を起こした。最初、彼が誰だかわからなかったが面影はあった。その底意地の悪そうな、しかし頼りない目に、見覚えがある。お前か?と聞くと彼は「ああ」と答えた。

 

タイトで極彩色のワンピースの印象は、ビーチというよりアマゾンだ。唇がぶあつく真っ赤に塗られていて、肌は小麦色に焼けている。刈り上げのショートボブは持ち前の鋭角的な輪郭と調和している。

 

まだ寝ている女を放っておいて、俺は彼といっしょに海の家に行った。海の家といってもそれは真っ白の7回建てホテルの屋上にある。そのプール付き屋外ラウンジで、かき氷の代わりにうまいモヒートを飲ませてくれる。深夜になるとゲイたちが躍り狂うらしい。

 

モヒートを受け取ってテーブルに着く。ストローを抜き、一口飲んでからようやく、急にどうした、と声をかける。

 

「実は俺、もうすぐ死ぬんだ」と彼は言う。「もっと聞きたいことあるだろうけど、今日はそれが本題」と微笑んだあと、彼はストローに口をつけた。

なんで、と聞くと「末期ガンだって」と言った。そっか。

 

 

彼とは大学1年の入学式で知り合った。なんでもそつなくこなせるのに(から)破滅願望のあった彼は、俺といっしょに過ごしたがった。俺の不真面目をすぐに嗅ぎつけたのだろう。結局7年かけていっしょに卒業した。

 

卒業後、彼は大手通信会社に入社し、半年後地方転勤となった。卒業してもぷらぷらしていた俺は、金のある女に拾われて今も遊んで暮らせている。最近は女に帳簿を付けるのを手伝わされているけれど。資格を取ろうと簿記の勉強をはじめたところだ。

 

彼と会うのは4年ぶりだった。在学中の悪友ぶりが嘘のように、卒業してからの俺たちは、とんと連絡を取らなくなった。俺は友だちが少なかったから、彼のうわさを聞くようなこともなかった。

 

 

「お前は年上の女の方が似合うな」と彼は言った。8歳年上、と答えると彼は「ヒモかあ、うらやましいなあ」とじっとりした目で俺を見つめ、またストローに口をつけた。ズズズズズ、と音がする、もう飲み切ったらしい。

 

同じのでいいか?と聞きながらグラスを持って立ち上がると、彼は「私もう行くから」と言う。言った後ですぐ「俺」と付け足す。いつも通りでいいよ。

グラスに入ったストローの先は紅に染まっている。「この格好するとやっぱり女になるんだよ」と自嘲気味に笑う。

 

カウンターに行って水のペットボトルを2本もらった。1本300円もする。

フタを空けてから彼女に手渡す。

 

「ありがと」と言って受け取る彼女の指は角ばっていたが、真紅に塗られた爪は彼女の後ろで光る青い海に映えていた。

 

「もうこれで最後だと思う」、彼女は言った。

いつからなんだ、と聞くと彼女は「ガンの方?それともこっち?」と言いながら自分の胸を突いた。どっちもだわ、と言いながら俺は笑ってしまう。

「ガンを知ったのは春。気づいたときには手遅れっていうよくあるやつ。女になりたいと思ったのはその後。この胸はもちろんパットだけど」

 

大学生のころの彼は生粋の女好きだった。顔が特段良いわけじゃないのに努力で身につけた人当たりの良さと本来の底意地の悪さのギャップがなぜか女にウケた。女には困らないのに、卒業前には風俗狂いにもなっていた。ずっと恋人がいたのに彼はそんな調子で、彼の色情狂いを知ってか知らずか、とにかく彼と恋人の関係は卒業まで続いていた。その後のことは知らない。

そんな彼が今際の際近くで「女になりたい」と思うのは意外なようで、すんなりと理解できた。

 

「もう行こうかな」。陽が傾きはじめている。海の向こうから大きな雲がやってくるのが見える。高いところにいるからか、潮風が少し冷たい。海の上を走る線路が、彼女の背景に見える。

駅まで送るよ、と言うと「彼女はいいの?」と聞いてくる。大丈夫だよ、と言って彼女のペットボトルのフタを閉めてやる。

 

大勢の人で賑わうリゾート地なのに駅舎はボロボロで閑散としていた。みな車でやって来るから誰も改修なんて要求しないのかもしれない。俺も、女の運転する車に乗ってビーチにやってきた。

潮風で朽ちた木造の駅舎にはしかしちゃんと自動改札機があって、情緒が削がれるように思ったけれど、いまどき自動改札機なんて当たり前だから、俺の勝手なセンチメンタルでしかない。

 

はじめてだから俺も中入りたいわ、と言って入場券を買った。先にホームに入っていた彼女を追う。

駅舎正面の改札機に切符を通し、幅広の階段を5,6段上がるとそこはもうホームだった。ホームの向こう側は透き通るような青の海だ。ホームの50センチ下に海面がある。

寄せては返す波の音がホームに反響している。右手に目をやると彼女が白に塗られた木のベンチに腰掛けていた。彼女の元に行こうとすると背後から滑るように電車がホームに入ってきた。滑るよう、というのは大げさでもなんでもなくて、電車が来ていることに本当に俺はまったく気づかなかった。しかし気づいてみるとそれは案外大きな音を立てていた。電車の跳ね飛ばした海水でホームが濡れている。終着駅だというのに誰ひとり降りてこない。折り返しで始発になる。

 

立ち上がった彼女は、俺の両手にぶら下がった2本のペットボトルを受け取り、中に残った水を捨てながら、ホームの端へ行き、海水を汲んで戻ってきた。

 

発車のベルが鳴る、片方のペットボトルを俺に差し出して彼女は「なんかよくない?」と言った。なんかシャレてるよな、と答えて俺はそれを受け取った。

 

電車が去ると、また波の打ちつける音がした。ぽちゃんぽちゃん、ぽちゃんぽちゃん。電車と入れ替わりで雨雲がやってきた。海にたくさんの細かい雨滴が打ちつける。ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち。大学時代、チャペルの前の芝生でスコールに打たれたことを、ふと思い出す。避難した学食の窓辺で大きな雷の音を聞いた。視界がかすむほどの光も鳴った。そのときの彼はどんなだったか、いまはもう覚えていない。

 

スマホを見ると、女から「車で待ってる」とLINEが入っていた。ビーチサンダルについた砂をはらって駅舎を出る。細かい雨に濡れながら舗装された道を駐車場へと向かって歩く。ペットボトルに入った海水をバシャバシャと振りながら歩いていたらいつのまにか雨は止んでいて、そういえば俺は駐車場の場所を忘れているな、と思う。

シンゴ

今日こそ勝つ、と決意した。

背の低いシンゴの太い首を握る右手に、俺は力を入れなおした。ここで手を離すから、いつも逆襲を喰らうのだ。でも、もう潮時だ。勝たなくてはならない。

これまでの俺は勝利におびえ、勝者の責任から逃れたくて、負けていたのだ、と思った。勝利の栄冠はどう扱ったらいいのかわからないし、勝者として敗者にどう相対すればいいのかなんて、見当もつかなかった。

負けたシンゴを見たくなかった。敗者・シンゴとはもう二度と関われないような気がした。

でも、今日の俺は両手で彼の首を絞める。

グッと絞まったシンゴの首に再び、青く太い血管が浮き上がる。ハンサムな顔に、焦りの色が出た。大きな瞳が血走り丸く見開かれている。色白の頬がくすんでいく。

 

 

シンゴとはずっと仲が良かったのだが、ちょっとしたキッカケで---使い古された言葉で言うなら、ボタンの掛け違えってやつで---気持ちがすれ違っていった。

あの頃の俺たちはあまりにも若くて、周りの連中にボタンのずれたシャツを着ていることを指摘されても、わざとやってんだよ、とうそぶいた。

ほんとは、シャツのボタンを全部外して胸のうちを見せ合い、それからボタンを掛け直したかった。でも、シャツの下の素肌を見せ合うのは恥ずかしかった。胸毛が生え始めたころのことだ。

 

いつもふたりでいたシンゴと俺は別れた。離ればなれになった俺たちの身の処し方は対照的だった。

 

俺は、学年のどのグループとも関わらなくなった。これまで、シンゴを通して他の連中と関わっていたからそれは必然だった。今ならためらいなく訂正できる。俺は誰とも関わらなくなったのではなく、関われなくなったのだ。

休み時間になると4〜6組の教室前にあった多目的スペースの、片隅にある棚の上に寝転がり、寝ているフリをするようになった。

 

その一方でシンゴは、ひとりになったことの寂しさを埋めるように、今で言うところの「スクールカースト」トップの集団に食い込んでった。もともと明るいヤツだったからすぐに「権力者」グループに溶け込む。それまでの彼は俺と一緒になって「権力者」然として振舞う「権力者」たちを疎ましく思っていたのだけれど。まあ、仕方ない。

俺の通っていた学校で、スクールカーストトップは「権力者」と自称し、下々の者たちもその呼称にならっていた。あの頃はその呼び名自体には何の違和も感じなかった。

 

孤独に埋まっていった俺と、孤独を埋めていったシンゴの差はすぐに出て、スカしていた俺はときどき「権力者」のなぶりものにされるようになった。彼はあちら側からボロボロになっていく俺を見ていた。手は出さなかった、見ているだけだった。

でもまあ時間というのは着実に過ぎていくもので、苦痛と屈辱に耐えているうちあっという間に卒業となった。

 

学校を卒業してからも、毎年同窓会が開かれたため、そのたびに俺は当時の「権力者」たちと顔を合わせた。欠席は逃げだと考えた俺は、毎回出席した。それに、進学先でできた友人たちに、俺が同窓会に行けない側の人間だと思われるのも癪だった……という理由で出席したのは、正直に言うと、最初だけだ。

最初の同窓会、酔っぱらった勢いで絡んできたシンゴと、なぜか拳を交えることになった。俺は再戦を期待して2回目の同窓会に行ったのだ。

俺たちのケンカは毎年恒例となった。元「権力者」の立会いのもと、俺とシンゴは毎年殴り合った。

 

シンゴは俺よりも20センチくらい小さかったが、それゆえにスピードがあって小回りがきき、ちょこまか逃げながら、俺のボディに的確なパンチを決めてくる。

サッカー部でストライカーだった彼のキックはまた強烈で、俺の太ももとふくらはぎとすねは、悲鳴をあげるのが常だった。

とはいえ、所詮素人のケンカ。上背と力では俺が勝っているから、勝てるはずだった。なのに、俺はいつも負ける。

シンゴの首を掴み、彼の意識が朦朧としたところでその頬をぶん殴る、それが俺の頭のなかにある必勝パターンだった。しかし俺はそのパターンをいちども実行していない。

俺の周りをコバエのように動き回る彼の首を右手で捉え、壁に押しつける。彼は手足を振り回すが、俺の体には届かない。こうなったらもう俺の勝ちは決まったも同然。首を絞めての失神KOは味気ないから、彼の意識がちゃんとあるうちにぶん殴って終いにしたいと思う。

しかし、酸素が薄れ目がとろんとしてきているシンゴの顔を見ると、俺はいつもためらってしまう。半開きになった口のなかは真っ赤で、その舌は下の前歯の上で、のたくっている。白い肌に浮かぶ色は毎年違っていて、頬が赤く染まるときもあれば、白がくすむことも、青白くなっていくときもあった。

彼の大きな瞳が濡れていくのがわかる。

 

その目に見つめられた俺はいつもきまって手を離してしまうのだった。そうするとレフェリーであるところの「権力者」は俺とシンゴのあいだに割って入る。シンゴの息が整ってからケンカは再開される。このときの俺には闘う気力はもうない。

彼の繰り出すボディとローキックで重心を下げられた俺は、半ばジャンプしながら繰り出す彼の右ストレートを左頬にくらって倒れる。歓声と踊るシンゴの足元を見ながら「今年も負けでいいや」と思うのだった。

 

 

でも、今年は違った。学生時代から付き合っていた女とのあいだに子供ができ籍を入れたシンゴの左拳が俺のみぞおちを掠めたとき、俺の心は決まっていたのだろう。すがるように俺の右手首を握るシンゴの左手を見た今、そのおぼろげな決心が、決意に変わった。

彼の首に左手もかけた。両手で彼の首を締めていく。苦しそうなはずのシンゴの表情は、恍惚としているようにも見える。

気を失いかけるシンゴを平手打ちで覚ます。覚めたところではじめて彼の顔面をぶん殴る。3,4回殴ったところでレフェリーが止めに入る。ほとんど気を失ったシンゴはレフェリーに抱きかかえられる。彼の元に友人たちが集まる。ひとりの俺は、どす黒い鼻血のついた拳を舐めた。

 

30分後、シンゴは目覚めた。

「俺、負けたの?」と聞く声に気づいて、仰向けに寝ている彼の顔に目を向けると、彼は天井を見つめたまま微笑んでいた。唇の端が切れているのに気づいたシンゴの「痛ててて」と言う情けない声に俺まで笑ってしまう。シンゴの長く黒いたっぷりとしたまつ毛が蛍光灯に照らされている。白い肌に鼻血の跡が残っている。結婚したんだってな、と俺は声をかける。

 

シンゴに勝ってしまった俺は、来年の同窓会には行かないだろう。俺たちはいくつになっても「権力者」に勝ってはならないのだ。「権力者」は常に勝者で、だから、今回の俺の勝利はエラーでしかない。

生まれてくるシンゴの子供の顔を俺はFacebookで見続けるだろう。