ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

“しあわせあかつ計画”を僕も応援します。

年末のクロちゃん“モンスターハウス”騒動で若干気持ちの離れていた水曜日のダウンタウン」。しかし今夜放送された“しあわせあかつ計画”には歓喜してしまいました。そしてその喜びのままにあかつのインスタグラムを発見し、涙。あかつ家に幸多からんことを祈る。

 

あかつ (@akatsu_sumo) • Instagram photos and videos

 

「“しあわせあかつ計画”説タイトル100個暗記できたら100万円」という企画に、相撲モノマネで知られるあかつがチャレンジした。

水曜日のダウンタウン」の説タイトルの覚えにくさを象徴するのが次の一文だ。 

国道1号線に落ちてるポイ捨てタバコのフィルターを拾いながら歩いたら名古屋くらいでそばがら的なマクラ完成する説”

この説タイトルの難しさは長さだけではない。言い回しもあやふやで独特だからふつうの暗記以上に骨が折れる。「落ちてる」は「落ちている」でもいいし、「名古屋くらいで」の「くらい」もぼんやりしている。「そばがら的な」も「そばがら」そのものじゃないから難しい。
この一文には「あってもなくてもいい言葉」がたくさん含まれている。だからなかなか覚えられない。そんな説タイトルが100個ボードに並ぶ。


思い返せば、「水曜日のダウンタウン」は数多の「あってもなくてもいい説」を、立証できたりできなかったりしてきた。「あってもなくてもいい説」だから言葉もあやふや。その現象(未満の仮説)にはまだ名前が付いていない、あるいは付けるまでもない。
今回の説タイトル暗記チャレンジは、この番組のアイデンティティを確認する企画になってもいた。

 

いきなりチャレンジの結果を述べてしまうと、1週間の暗記期間を経たあかつは、くせものタイトルを100個すべて見事に諳んじてみせた。
チャレンジに成功し、100万円を手にしたあかつは、二人目の子供が生まれて手狭になった家から引っ越すべく不動産屋に家族全員でおもむく。そんな温かいシーンで今回の「水曜日のダウンタウン」はエンディングを迎えた。
しあわせ家族計画」という和田アキ子がやっていた番組のオマージュ企画に挑戦し、まるで「大好き!五つ子」のごとくホットプレートを多用するあかつ家。
小学生時代の僕の憧ればかり思い出してしまったのも含めて、なんだか胸が熱くなってしまった。

 

その熱に浮かされたまま、「あかつってインスタやってるのかな?」と思いインスタグラムを検索したら、そこで新たな憧れを見つけてしまった。あかつと娘の愛だ。

 

 

番宣するあかつの娘。以前から「水曜日のダウンタウン」の説に何度か登場していた娘さん(「子供が拾ってきたペットを親に隠して飼うあのパターン マックス人までいける説」や「親子リアル脱出ゲーム」)。
彼女のチャーミングさはこの番組ですでに知っていたので、この投稿を見た瞬間、僕は妻といっしょに身悶えた。

 

あかつのインスタグラムは2015年から始まっている。そこにはあかつの娘の成長があった。あかつのインスタを見た我々は、娘への愛に満ちたあかつの眼差しを通して、彼女の成長を見る。と同時に、娘があかつを眼差していることも知るだろう。その軌跡に涙すること間違いないです。以下、僕が選ぶあかつ娘コレクション。

 

4月から小学生になる娘の卒園式

 

急に四股を踏み出した娘

 

あかつのものまねをマネる娘

 

そして極めつけがこの動画。

海辺の娘

 

おぼつかない足取りで砂浜を歩くあかつの娘。小さな足跡が律儀に刻まれていく。途中、スキップのように駆け出しもする娘は、ふと立ち止まる。
砂浜を見下ろす位置に佇む撮影者・父・あかつ。娘は振り返って父を見やる。あかつを見上げた彼女は「パーパー!」と叫ぶ。遠くにいるパパ・あかつに声を届かせるためか、一瞬口元に手を添えた娘は直後、その手を、腕を、めいいっぱい広げて、パパに自分の存在をそれとなく見せつける。こんなにもすべてを物語る「パーパー」を、僕はほかに知らない。

 

あかつ自身「なんかこれ見ると、がんばろうっ!ってなる!」とコメントを付けたこの投稿を見た瞬間、夫婦で涙した。インスタで泣いたのはじめて。この動画を見た後に100万円を取ったあかつを思い出すと「ほんとうによかったねえ」と心底しみじみしてしまう。見事に、してやられました。

  

あかつのパパぶりを見習って、僕も娘を今以上に愛し生きていこうと思った。「くだらない説」にいつも熱心に(タバコを吸いつつ)取り組むあかつへの憧れが止まらない。

 あかつ、Twitterアカウントもあります。


あかつ家のかわいげに、そのふてぶてしさに、その愛のまなざしに、僕はすっかり撃ち抜かれてしまいました。

 

 

 

 

などと言っていたら、あかつの娘・のどかさん専用のインスタグラム(母運用?)を見つけてしまい、なんだか胸騒ぎしてきた。

 

ボキャブラリー・言葉のない世界・走光性

商店街の路地を入ったところにマンションはある。昼間だというのに室内はしんとしていて、部屋を取り囲むようにしてある細い庭には、晴れた日のこの時間だけ(正午前後)木漏れ日が射す。それをカーテンの隙間から見る。眼鏡は外しているから、緑と黄の木漏れ日は、ぼんやりと滲んで見えて綺麗だ……と思った瞬間に、この光を書きつけようと思いたち、さっきまで読んでいた本をカーペットの上に置いて、刺さっていたケーブルをスマホから抜き、画面のうえに指を滑らせていく。この慌ただしさ、なんだか貧乏くさくないだろうか、どうだろう。思った瞬間にブログに書き留める節操のなさ、みっともなくないか。なんでこの感動を自分の心のなかに留めておくことができないのか。誰かにこの美しさを伝えたかったから?違う、自分のなけなしの感受性を見せびらかしたいからだった。ほんとにしょうもない、貧乏くさい。

 

庭に植わってある木の名前、ひとつも知らない。今の今まで知ろうとも思わなかった。名前をひとつも知らないまま、洗濯を干すのに邪魔だった葉と枝は、大家に断ることもなく切り落とした。この部屋は賃貸で、植栽はすべて大家のしたことだから、俺がそれら植物の種類を知らなくても不思議はないのだけれど、もし多少なりとも植物の名前を心得ていたら、ここまで安易に剪定することはなかったかもしれない。

 

世界に当てはめることのできる言葉の数の多寡が、世界への認識を深めるのだろうか。豊富な語彙がそんなに重要なのかどうか、最近はよくわからない。語彙は、あなたが社会のどの辺りにいるのかを知らせるマーキングでしかなく、あなたの世界を見る目の精度を上げてくれるわけではない。むしろ、語彙は世界をデジタルに分割していく。言葉を多くもつことで、世界の解像度はたしかに上がるかもしれない。しかし、デジタル的に美しい映像がすなわち世界への理解と等号で結ばれるかといえばそうじゃないだろう。光をそのまま網膜から脳に焼きつけられれば言葉なんて要らなかった。

語彙の数だけ、他者との共通言語が増えるから、自分がアクセスできる人間の数は増えるかもしれない。しかし、いろいろな人と話したほうがいいとは今の俺には思えないので、やはり俺に豊富な語彙は必要ない。

 

「この感情に・現象に名前をつけてくれ」という定型文を拒絶する。名付ける必要はない。名状しがたい感情や現象をそのままにしておく。名付けは暴力だから、娘につける名前には、できるだけ想いを込めたくなかった(自分たちの付けた名前に込められた意味や意図を、人からあれこれ想像されるのは気恥ずかしいという自意識も多分にあったけど。いずれにせよ、意味はともかく、かわいい音の名前をつけられた、とは思ってる)。

俺の名前には「和を重んじて、人びとを導くリーダーシップある人間になってほしい」という願いを込められているという。由来をはじめて聞いた子供のころはそういう自分の名前をかっこいいと思ったし、今でもこの名前は嫌いじゃないけど、でも、名前の通りの人間になれなかったことは少し残念だし、生まれたばかりでまだなんの意思をも表示できない人間には荷の重い名だとも思う。

娘には生まれた季節の名前を付けた。名前なんて、好きなように変えたらいいと思う、インターネットでみんながやっているように。王子様がそうしたように。

 

などと供述しながら、まだ言葉を持たない娘には、早く言葉を得てほしいと、父であるところの俺は思ってる。はやく彼女と話せる日が来ればいい。でもやっぱり、言葉のない世界にいられるのは人生のほんの一瞬の間のことで、それも尊い

 

日光の明るい窓辺に向かって這っていく娘。生物が光刺激に反応して移動することを「走光性」という。光に向かっていくのは「正の走光性」、離れていくのは「負の走光性」。太陽に向かって枝葉を伸ばす植物や光に群がる虫は正の走光性をもっていて、地中に潜るミミズは負の走光性を備える。そんな単純さでもって生きられることへの羨望。

娘は光の射す方へ手を伸ばす。俺もそうしよう。光の脳に焼きつけよう。

 

 

 

上の文章が書かれたのは1週間くらい前のこと。いまテープ起こしをしていたら偉い人の憤りのコメントが聞こえてきた。

「名前を知ることによって世界はひらけるんだよ。今の若い子は、木の名前も、花の名前も、鳥の名前も、なんにも知らない。何を考えて生きてきたんだろう」

自分の書いた1週間前の戯言を思い出した。どうせ言葉から逃れられない俺は、言葉に埋もれていくしかない。どんどん潜っていこう。

窓を愛す、もしもの話

遠くが見えるようになった。視力がよくなったわけでも、物事を考えるうえでの視野が広くなったというような比喩的な意味でもない。寒さがやわらいだから、遠くが見えるようになった。

寒風に身を縮こめたり、冷えで肩がこわばったり、寒さから逃れるべく早足になったりすることがなくなり、俺は、じつにゆったり、のしのし歩き、視線はまっすぐで、なんなら肩もそびやかしている。商店街の入口から突き当たりまで見通せる。商店街の終わりにべったりと貼りついた「台湾足裏専門店」の看板を見つめながら、泰然として歩く。

 

ぜんぶ「寒さ」のせいだったんじゃないか、と思えてくるほどに、気分はいい。すべての過ちを過ぎゆく季節のせいにして忘れさせ、前を向かせてくれるのが春だ。

 

天気とか、眠気とか、空腹とか、性欲とか、痛みとか。体を保つのは難しい。自然、それは俺たちを取りまく環境だけを指す言葉ではなく、自分のこの体も自然のひとつだ。そいつらを掌握できたら、この人生はどれほど楽だろう。寒さのピークは過ぎたというのに、このごろ痔が痛む。痔という自然現象を克服する手段は現在しっかり確立されている。なのに、俺は処置していない。体を保つのは難しい、心があるから。また逆も然り……。

もしもあのときすぐに痔の手術をしていたら……なんてことを想像しても意味がない。過去にあてはめる「もしも」ほど無意味で惨めなことはない、そういうのはもうやめにしようや。

 

コインランドリーで乾燥機が回っているあいだ、町を徘徊する。

金曜の夜に灯るマンションやアパートの部屋たちの光を見やる。荒涼、淡々、悶々、吸引、団欒、猥雑、暴行、吐息、寝息……あの光の部屋には、いろいろな夜があるはずだ。

名もなき人々の営みをかわいらしく思うやさしさが消え失せて久しいけれど、「もし、俺があの部屋に生きてたら」と思うやり方なら、他人の人生にも興味を持てるかもしれない、と、今ふと思った。自分の人生が定まってきたことの証左だろう。もう、俺の人生はこのルートしかありえない。他の道はありえないから並行世界を夢想する、束の間の夢だからこそ楽しい、無数の灯りに夢想を投影する、そんな遊びがこの町では大いにはかどるだろう。

 

過去とも未来とも違う、俺たちの与り知らない並行世界に「もしも」を投下する。もしも俺が女子高生だったら、もしも俺が宝石商だったら、もしも俺がムスリムだったら、もしも俺が建築家だったら、もしも俺がタクシードライバーだったら……並行世界に投下したつもりの「もしも」は、今ここに炸裂する。そしてこの人生の軌跡はいっそう明晰になる。そういうやり方もあるんだって、今ようやっと気づいた。

 

ロマンチックな夜の飾り

すごく悔しいことがあって、花粉症の薬をもらいに病院へ行った帰り道はずっと、いつか手にいれた星の数を数えて自分を慰めた。

俺は嫉妬や羨望が感情が強い。「なんであいつがもてはやされるんだ」「俺のほうが全然いいのに」「俺もあの人みたいにちやほやされてえよ」……そんなことばかり言ってる、自分と人とを比べてひがむ、そんな物言いがすっかり染みついて、羞恥もなくなってしまったほどだ。

以前、友人に「妬んだり羨ましがったりするのって『自分もそれに値するのに与えられてない』という不満があるからだよね」とたしなめられたことを思い出す。なんにも行動を起こしちゃいないのに、嫉妬したり羨ましがったりしてはいけなかったのだ。

 

自宅に帰ってから妻に「俺の文章のいいところ教えてくれ」と泣きついたら「今日は絶対そういうこと聞いてくるんだろうと思った」と笑ったあとで叱られた。

「駄目だよ、そうやってインスタントに肯定感得てもなんにも変わらないよ。好きなように書いたらいいんだよ。なんで人に聞くの」

俺は「好きなようにとか、ないから……」と半笑いで答えた。自己防衛の半笑い。そうでもしないと泣いてしまうほどに、妻の言葉が効いていた。

 

小学6年生のときに「死ぬかもしれない」と思いながら走り、高台で津波を眺めた少年は今年成人していた。夕方、震災を振り返る特番で見た。

 

あの日俺は大学1年の春休みで、バイトもサークルもしてないし友人も少なかったから、ひとり部屋にいた。実家から持ってきた上等なコンポでサザンオールスターズを流しながら、何十回目かの日記書き初めをしていた。日記を続けられなくなるたびに、過去に書いたページを破り捨てる。そうして薄くなっていくノートに「最初の」文字を書き込む。そんなことを何度も何度も繰り返す。俺の大学生はそうして終わった。続かない日記と薄くなっていくノートブックは、25歳くらいまでの俺を象徴している。完璧でありたくて、でも完璧がなんなのかわからなくて、かといって完璧を捉えようともがくこともせず、幻の完璧に怯えて自己否定を繰り返し、去勢されていった。

そんな俺が変われたのはどん詰まりまでいったときに立ち上げたこのブログを読んで褒めてくれる人がいたからだった。いくつもの薄くなったノートブックを捨てたのと同じように、このブログにたどり着くまでの間に何個ものブログを開設しては消してきた。「ひとつ恋でもしてみようか」が今も続いているのは、ひとえに、読んでくれる人のおかげだ。自分だけのために書くなんてこと、俺にはできなかった。

 

8年前、大学の友人に電話してもみんなほかの誰かとすでに一緒にいたから、ひとりで一夜を過ごした。また大きな地震が来て水道が使えなくなったときのためにバスタブには水を貯めておき、窓ガラスが割れたときのためにベッドサイドにはスニーカーを置き、テレビを点けたまま眠った。もしかしたら人生でいちばん孤独な夜だったかもしれない、その夜にいた俺は興奮状態にあって自分の孤独を自覚できていなかったけれど。

12歳の少年がからくも生き残り20歳を迎えるまでの8年。俺だって自身をとりまく状況はだいぶ好転しているのだけれど、嫉妬や羨望にかぎっていえば8年前よりだいぶ増している。

自分の性格・能力・境遇と折り合いをつけて、いい着地点を探したほうが賢明だろうし、そのほうがずっとラクになれると思うのだけれど、まだどこかで諦めがつかず、うだうだ言ってやがる。「はやくじいさんになりてえなあ」とうそぶいたかと思えば、次の日には「俺はもっとビッグになるんだ!」と口ばっかり達者になってみたりする。

 

昨日妻に「どんなふうにビッグになるの?」と聞かれて「年収1千万」と答えたら、彼女は「しょぼ!」と言って落胆していた。俺もそう思う。ほんとうは、なんか、あるんだよ。一生完璧なんかにはなれない俺だけど、幻じゃないビッグな輪郭はおぼろげに見えていて、でもまだ全然言葉にはできないし、そいつの正体がわかったところで手にいれられるかどうかはまた別の話だからと思って、半笑いしたりテキトーな数字でごまかしたりしてた。かっこわるいな。甲斐性は皆無で、体も性格も悪くて、すがれるような過去の栄光もない。そんな俺にあるのは未来だけなんだから、嫉妬や羨望に身をやつしてる暇があったらロマンチックに生きろ。またここから星を集めて星座を描け。その星座を道しるべに船を漕げ。夜はきちんと寝て朝すっきり目覚めろ。おやすみなさい。

大森靖子「VOID」とんでもなく好き

硬質なアコースティックギターストロークから、短いシャウト、少し間があって舌打ち。この曲の衝動、焦燥、疾走を象徴するパーフェクトなオープニングに、甘えにも似た苛立ちの青さを嗅ぎとって、動揺する。今までの大森靖子の楽曲には意外と感じなかった性急な余裕のなさ。変わりゆく季節に間に合おうと必死に駆け出すような。一発録りのギザついたバンドサウンドに支えられて「VOID」は完成した。

 

“友達でもない 恋人でもない”名前のある関係にあてはめることのできない「僕ら」のあいだには、けっきょくなにごとも起こらないし、おそらく「僕」は部屋から出ることもない。「君」は「僕」のことを“女友達に話さない”、なかったことにされちゃう。“本当は本当に何もできない”。なんもない《けど/から》なんかしたい。なんとかしたい。

 

ふたりは恋とか愛とかではないし、もちろん友情でもない。void、つまり空虚。リアルではなんにもないのかもしれない。でも「僕」と「君」はたしかに(かつて/今/これからも)存在していて、「君」がいたから「僕」はいる。「君」は「僕」なんかいなくても飄々と生きてるんだろうけど。でも、もう歌になったから、とにかくやっぱり「僕ら」はずっといる、この歌が歌われるかぎり。“わたしはまぼろしなの”と歌われたって、もう、すでにいる。“夢のなかにいる”わけじゃないし、触れても消えない。ずっといる。

 

やっぱりどうしたって「駆け抜けて性春」を思い出してしまう。大森さんも「自分が峯田さんに言ってほしいことを描いている」と公言しているから、銀杏BOYZを想起するのは当然のことなんだけど。

俺はこの曲をはじめて聞いたとき、このバンドは、巨大な台車に乗って、アンプもエフェクターもドラムセットも一緒に乗っけて、ものすごい速さで坂を落ちていきながら演奏してる、と思った。途中で台車がひっくり返るかもしれないし、降りきった先でコンクリートの壁にぶち当たるかもしれない、けれど、そんなこと全然考えずに、ただひたすら疾走しながら弾いて叩いて歌って叫んでる。そんな絵が浮かんだ。音を聴いてるだけなのに演奏してるバンドメンバーの姿がビジョンになって目に浮かぶ楽曲は、俺にとって他にはない。

 

銀杏BOYZは、男の恋を歌う。女性を彼岸に置く童貞の世界は、月の光を浴びて煌めく。女性を神聖視したがる心は女性を人間視しないことと表裏一体とも言えて、だから銀杏BOYZの歌を聴くとむしろ世界から拒絶されているように感じる人もいたかもしれない。

とはいえ、銀杏BOYZの歌に高校生の俺はずいぶんと救われた。峯田和伸のパーソナリティにはぜんぜん興味なかったし、彼らのライブにだって行かなかったけど、銀杏BOYZはあの一時期、まちがいなく俺の歌だった。銀杏BOYZは、イヤホンで聴いて身悶えたり、軽音楽部の部室で演奏したり、カラオケで歌い叫ぶためのものだった。“ベイビー ベイビー ガールフレンドが欲しいよ 世界のどこかにきっと僕を待っている人がいる”、“君が好きだという それだけで僕は嬉しいのさ”、“僕の愛がどうか届きますように”……誰かに愛されたくてしょうがなくて、それ以上に誰かを愛したくてたまらなかったあのころの、俺たちの歌。毎朝、校門から校舎まで続くだだっ広いラクダ色したグラウンドを横切る、そのとき俺の数メートル先を歩いているあの娘に今日こそ「おはよう」って言うんだ、と何十回思ったことだろう。あのころは叶わない想いのほうがロマンチックで、誰かを好きでいられることがしあわせで、そんな思春期のBGMが銀杏BOYZだった。

童貞の気持ちを歌ってくれるのが銀杏BOYZで、だいぶ救われたけど、もうあのころから干支はひとまわりしていて、『DOOR』と『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』を熱狂的に聴くには俺は歳をとりすぎた!そんな俺をも救ってくれるのが「VOID」だ。

この人生には別に恋とも愛とも違う名前のない関係がいくつかあるし、男とか女とかそういうラベルがなければもっとシンプルに通じあえたかもしれない二度と会うこともない人間もたくさんいる。だから、童貞ソーヤングな歌はもう十分で、もっと自由にしてくれる歌が欲しくて、そんな俺に「VOID」は寄り添ってくれた。

 

「VOID」の歌詞は“家を抜け出して僕の部屋においで”と始まる。大森靖子ほど部屋(家)を歌う歌手はいないんじゃないか。

 

“家汚いけど ベッドの上だけ 綺麗にかたして 幸せのステージ”(あまい)

“社会に勝ちたい 部屋を出ずにね”(SHINPIN)

“買ったけど着たことない ビキニがあるからお風呂はいろ”(みっくしゅじゅーちゅ)

“仕事がない日は行くとこない 今日3回目のシャワー 溶けそう @YOUTUBEさんからあの娘の端っこ かじって知ったかぶりさ”(魔法が使えないなら)

“エアコンの風がティッシュペーパーを揺らして ザラつく生活 君に届くな”(君に届くな)

“遠い町の君のお部屋 ダンボールのテーブルで シャララン 乾杯いたしましょう”(お茶碗)

“a. 叫びを閉じ込めたその部屋こそが居場所だろ”(流星ヘブン)

“僕の部屋だけバグってる 夜も昼もうまく来ない 君を太陽にして無理やり起きてる”(非国民的ヒーロー)

 

「部屋」というワードを使わずに部屋を歌っている楽曲も合わせて、ざっと思い出せるだけでもこれだけある。

大森靖子の描く「部屋」は、ドラマチックな現場だ。

 

“ここが君の本現場です いちばん汚いとこ見せてね”(呪いは水色)の「ここ」は部屋でもあるはずだ。誰にとっても一番汚いとこ見せるのは部屋だから。

ニートで半ひきこもりだった俺は、いつも部屋で感情に苛まれていた。名状しがたい、荒れ狂う感情。抑えつけるためにコンビニ飯を食らいオナニーして、発散するためにツイートしてブログを書いた。あのとき俺に寄り添ってくれたのはイヤホンから流れる大森靖子の歌声だった。あの密閉された白いワンルームにまで、大森靖子は救いの手を突っこんできた。部屋のなかにいながらにして、生身の人間にちゃんと救われた。

部屋は、ドラマチックな現場だ。

そして、“事件現場”にもなる。

 

“となりのババアは暇で風呂ばっか入ってるから浴槽で死んだ”(音楽を捨てよ、そして音楽へ)

“おっさんの留守部屋の隅で縛られ眠る昼下がり”(夏果て)

“子供が子供を育て 子供が子供を殺め 子供が子供と子をつくる 子供だけの青い部屋”(青い部屋)

“ママに作った手編みのマフラー カーテンレールにぶら下げて 赤く消えてゆく”(給食当番制反対)

 

俺たちは部屋にいても生きている、から、そこで死にもする。部屋に生きるのだって命がけだ。生きてるだけで死ぬから。

 

オアシスが“So I'll start the revolution from my bed”と歌っていて、俺はいつもそれになんとなく勇気づけられていたけれど、その革命のほんとのところは大森靖子がやってくれた。部屋は日常であると同時に、ファンタジーだ。というか日常すなわちファンタジー。ファンタジーを生きよう。

 

峯田は“僕の部屋は僕を守るけど 僕のことをひとりぼっちにもするよね”と歌っていたけれど、大森さんは“アンダーグラウンドから君の指まで遠くはないのさiPhoneのあかりをのこしてワンルームファンタジー”と歌う。大森靖子は、部屋に居たって希望があると歌ってくれた。ひとりぼっちでもいいと言ってくれた気がした。

 

 

 

そして、《部屋=現場》だったら、《部屋=ライブハウス》でもある。「VOID」は、イヤホンで聴くか、ライブハウスで浴びたときに自分の歌になる。スピーカーで聴くのは勧めない。車で聴く音楽ではないし、間違ってもiPhoneの小さな小さなスピーカーでは聞かないで。イヤホンやライブハウスで、ひとりで聴くのがいい。空間を満たす音楽ではなくって、最短距離で皮膚を、鼓膜を、脳を揺らしたときにあなたを撃ち抜いてくれる音楽だから。

 

「VOID」でもっともグッとくるのは“嫌われたくない ひとりになりたい だけどさみしい 傷つかれたくない”ってところで、これって「寂しがりやの一人好き」というmixi世代の感性をもっとも繊細に、丁寧に、やさしく歌った最高のワンフレーズじゃないかい。このフレーズにどれだけ忠実に生きれるかが、俺の今後の人生のテーマだって思う。

未だ言葉にできてない想いもぜんぶほんとうの気持ちだから、ひとつ残らず叶えたいよ。“なんもない=なんかしたい”から。なんかを一刻もはやく捉えよう……こんなことをずっと言ってる気もする。真理にたどり着くには手数だって、大森さんは言っていたので、たくさんやるしかないね。

去年の大森靖子銀杏BOYZのツーマンライブに行けなかったのは今でも悔しいけれど、あのライブがなかったら「VOID」も生まれてないはずだから、この曲をずっと聴きながら、手を動かしつづけよう。

 

大森さんの銀杏BOYZ峯田和伸への愛憎はすさまじく、いつかどこかで『光のなかに立っていてね」はまだ聞いてないとぶっきらぼうに言っていた記憶がある。「ぽあだむ」のMVもまだ見られないから、「愛してる.com」のMVは「ぽあだむ」のマネではないとも話していた。「VOID」はそんな大森さんの愛憎へのけじめでもあるのかもしれない。

 

VOIDが収録されるシングル「絶対彼女」は大森靖子いわく“業が深い”作品で、表題曲は“私のなかで唯一無二のアイドル”という道重さゆみとコラボ、2曲目「LOW hAPPYENDROLL –少女のままで死ぬ–」は平賀さち枝と歌っていて、大森さんは平賀さんとのことを“全世界が無意味になるほど、壊してしまいたいほど、ふたりのことはふたりのこと”と言っている。そして3曲目が「VOID」なわけで、今の大森靖子を形作る愛憎や憧れ、怒り、苛立ち、敬愛、青春、かわいい、が、どろどろに溶けて混ざりあって詰めこまれている。発売日が待ち遠しいです。

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相談できないのは、ことばを持たないから。

相談したことがない。

 

中学や高校での進路相談も、行きたい学校は決まっていたので相談することはなかった。親も「自由にしなさい」というタイプだったので、進路についてはそれほど話した記憶がない。

行く先が決まっていれば勉強するだけだ。勉強方法を聞くってことはありえたのかもしれないけど、学校の先生と親しく話せたのは小学生のときが最後で、小学生のときはさほど勉強しなくても授業には着いていけたので、先生に直接指導してもらうことはなかった。

浪人時代の予備校の先生はとても親身に指導してくれたけれども、それも俺が「どうしたらいいですか?」と教えを乞うわけではなく、先生から個別指導を申し出てくれたり、課題を出してくれたら、導いてくれていた。

 

大学でも恩師になるような人とは出会えなかった。それは俺が積極的に学問に励まなかったから。

サークルも2年生の夏休み前に辞めたし、バイトもしていなかったので、先輩も少なかった。数少ないゼミの先輩たちは優しかったが、なんとなく好きになれなかった。相談する目上の人は皆無で、友人とも与太話ばかりしていた。

もちろん就職活動も誰にも頼れなかったし相談もしなかった。「出版業界に行きたいんだよね」と言ってしまえば、周りの人たちは「そうなんだ、すごいね」と言ってそれ以上は聞いてこない。自分のほうでも当時は就職というものをまったく真剣に考えていなかったから、誰かに話を聞いてもらうなんて考えにまでたどり着かなかった。一度だけ友人が「一緒にES書こうよ、面接練習も付き合うよ」と言ってくれたのだけれど、ヘラヘラしてうやむやにした。あの学芸大学駅のホームでの会話は俺の情けなさの極点で、だから忘れがたい。いつも一緒にヘラヘラしてた友人の、はじめて見せた真剣な眼差しを俺は受け止められなかった。

 

就職活動に関して、俺は相談するレベルにすら達してないと思っていた。もっとしっかり自己分析やら企業研究やら活動してから、その先に相談があると思っていた。かといって、もっとしっかり活動する気持ちもなかった。

 

ニート時代、「どうすればこの窮状から脱せるだろう?」なんて相談、誰にもできなかった。故郷の家族や遠距離で付き合ってた女性には、電話で「面接、今日もダメだったよ」なんて嘘の報告をしてお茶を濁す。たまに会う友人にもほんとうのことは言えない。

就活生のはずが、ほとんど家から出ることもなく、ただひたすらにコンビニ飯を食らって怠惰に日々をやり過ごしている、そんな真実は伝えられなかった。自分を恥じていた。午前7時に、明日から変わるんだ、と思いながら眠りにつく毎日だった。

 

その後、ブログに戯言を書いていたら、それを読んでくれた人が助けてくれて、徐々にニートからは脱せたのだけれど、そのときもやはり泣き言は言ったかもしれないが、相談はしなかったと思う。

「ライターとかやりたいですねえ」と当時出会った友人たちに伝えると、人を紹介してくれた。そこから伝って、なんとかお金をもらえるようになったのがここ最近のこと。

 

相談ができないのは、自分の向かいたい方向がそもそも無いからだし、自分の置かれた現状が言語化できてないからだ。相談のとっかかりがないのだ。いつだって、なんとなく、生きてきた。どん詰まった、と思ったときには、人が助けてくれる。その繰り返しでなんとかここまでやってきた。生かされてきた。

 

妻には相談するようにしている。例えば仕事のメールの書き方、微妙な立ち振る舞い、原稿を見てもらったこともある。いま取り掛かっている業務に関する教えを乞うことはできている、学生時代はそんなことすらできなかったのだ。ただ、未来のことになると、途端に相談できない。いつも話は愚痴に逸れていってしまう。自分のなかで問題や目的や欲望が言語化されていないからだ。言葉がないのに未来のことを話してみたところで相談にならない。現在の自分のダメさ加減を自嘲して、ツイッターで見渡せる範囲の連中の気に食わなさを口汚く罵り、なんとなく溜飲を下げた気になって酔っぱらってるみたいなことばかりだ。

 

「相談しないのは悩んでないからじゃないの」と言われたこともあったようななかったような気がするが、そしてその言葉をもらった当時は真剣に悩んだり未来を憂いたりしてなかったのかもしれないが、今は悩んでいる。このままじゃいけない。もっと先に進みたい。相談もしてみたい。そのためにことばが必要だ。

 

はじめての公園

思いのほか予定時刻よりもはやく着いたので、セブンイレブンでビビンバおにぎりと牛肉コロッケを買って近くの公園に向かう。

昔から…どれくらい昔かというと、それこそ中学1年生のころから、おにぎりとホットスナックの組み合わせで腹を満たしてきた。
土日の部活動の昼飯、塾の帰り道、腐れ大学生からニート期にいたっては、日が暮れてから自宅から徒歩1分のコンビニに行き、その日はじめての食事にする弁当とカップラーメンと一緒に、おにぎりとチキンも買い、コンビニからの帰り道(徒歩1分)で歩き食いした。
もちろん家に帰ったらすぐに弁当を温め食べながら、ラーメンの3分間を待っていた、狂ってた。

この人生、どれだけの数のおにぎりと、スパイシーチキンと、コロッケを平らげてきたのかを思うと、途方にくれるしかない。

 

はじめて降りた駅なので、Googleマップを開き、駅近くの公園に見当をつけて向かう。

40メートル四方くらいの小さな公園に着く。公園の中央には4本の木が立っている。それを囲む芝生は養生中らしく、けばけばしいグリーンのプラスチック柵で覆われている。

 

公園の端にあるベンチに腰かけ、おにぎりとコロッケを食べながら、あたりを見わたす。

 

公園にはたくさんの親子がいた。ふたりの子供を連れた男親が、ふたりいる。子供を砂場で遊ばせて話しこんでいる女親たちもいる。他にもたくさんの親子が出入りしている。ひとりきりは俺だけだ。

俺の娘くらいの大きさの子、生後9ヶ月過ぎの子はひとりもおらず、みんな安定して走れる程度に成長した子ら。外出中の今、娘は妻に見てもらってる。

 

だるまさんがころんだ、をしている親子がいる。緩急をつけた「だるまさんがころんだ」の声が公園に響く。親も子供も笑顔だ。

彼らの攻守交代(?)を4回見た。見ながら、俺は「だるまさんがころんだ」の遊び方をよく知らないことに気づいた。なんとなく遊んだ記憶はある。しかし、「だるまさんがころんだ」と言って振り返り、言われて立ち止まる、を繰り返した覚えしかない。今、目の前で親子がやっている、鬼にタッチしたあと歩数を数えながら鬼から遠ざかり、遠くに行った子を鬼が触りにいくくだりが、よくわからなかった。「はじめのいっぽ」というかけ声もはじめて聞いた。

 

子供のころの俺はたしかジャングルジムが好きだったから、「だるまさんがころんだ」をしなかったのかもしれない。だからルールをよく知らないのだろう。

保育園にあったジャングルジムのてっぺんがとても好きで、毎日そこに立って遠吠えをあげていたと母から聞いたことがある。
小学校の校庭には全長20〜30メートルのジャングルジムがあってよく遊んだ。高さは6〜7メートルくらいあったかもしれない。巨大な鉄のジャングルで、毎日のように鬼ごっこをした。

俺が卒業して数年経ち、そのジャングルジムは解体された。老朽化も理由のひとつだけれど、保護者たちがジャングルジムで遊ぶことを危険視したことが、解体の直接のきっかけだと伝え聞いた。まあ、あの巨大なジャングルジムで子供が鬼ごっこしてると聞いたら、俺が親でも不安でしょうがない。大きな事故が起きなかったのが不思議なくらいだ、俺が知らないだけかもしれないが。

 

目の前で遊んでいる3歳くらいまでの幼児たちは、この瞬間をきっと忘れる。

俺は自分が幼児どころか小学生のころ、なにを考えていたのかほとんど思い出せない。「大人になっても、俺は今思っていることを忘れない」と確信していたことだけは覚えている。その確信以外のことは、ほとんど忘れてしまった。

 

いじめられっ子を庇ったことをキッカケに自分がいじめられるような正義感だけは強い子供だったのに、その数年後にはいじめっ子側に回ってしまった俺は、いったいぜんたいなにを考えていたんだろう。

クラス替えのたびに好きな子がころころかわっていた俺は、当時その子たちのことをどんな風に好きで、その子たちと仲良くなってなにがしたかったんだろう。

小学生のうちから早稲田大学に行きたいと、なんで思っていたんだろう(けっきょく早稲田には行けなかった)。

自転車に乗ることを親に禁じられていたのに、俺が不自由をあまり感じなかったのはなんでだろう。

電車に乗ったことのない子供だったのに(沖縄には電車がない)、「赤いやねの家」という歌が好きで好きで仕方なかったのは、なんでだろう。

俺あの高いジャングルジムの上から、自分のランドセルをどんな気持ちで投げ落としていたのだろう。

 

子供時代、思い出せないことばっかりだ。当時の俺をいちばんよく知っていたであろう母が他界して3年が過ぎた。今となっては、幼少期に俺が抱いた感情どころか、幼いころの俺の言動すらも、この世から忘れさられてしまった。

 

こんなことをつらつらと考えていたら、予定時刻間近になっていた。ベンチから立ち上がろうとしたとき、うんていで遊んでる息子と、彼にスマートフォンを向けている女親の姿が目に入った。誰でも気軽に動画や写真を撮れるこの時代はいいものだ。特別な瞬間だけでなく、日常も残せるのだから。

 

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