ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

『ストレンジャー・シングス』の感想、僕の思春期はまだ終わってないという個人的な話

賢明であろうとすること、それが何よりも大切だ。パドルを握り、好奇心の航海に出る。書を携え、モンスターに立ち向かう。

 

シーズン1で、“you are not this stupid”とナンシーをたしなめたのは、バーバラだった。don't be stupid rulesを取り交わしたのはホッパーとエルだった。じゃあ、あの夜スティーブンの家に行ったナンシーはバカだったのか? com-promiseできず、日の光の中に飛び出したエルは愚かだったのか? 違う、そうじゃない。この物語の中では若い誰もが好奇心に抗うことはできないのだ。

 

ストレンジャー・シングス』を見てると心躍る一方で、自分の少年時代を思い出して少し悲しくなる。あの頃の僕は、好奇心よりも人の目ばかり気にしてうじうじ悩んだり、人の目の高さに合わせて振る舞ったりしてしまったものだ。自意識にとらわれていた。自分のことばかり気にしていると、自分は消えてしまう。あのころ、僕の自分はパーフェクトに見失われていた。

 

ウィルを取り戻す、という目的が『ストレンジャー・シングス』のど真ん中にいつもある。“Will”、つまり意志であり望み。思春期という嵐の中で、僕らは影に襲われる。影に飲みこまれ、自分を見失ってしまう。ウィルが言葉少なで、他の3人より個性が薄いのは示唆的だ。彼は登場人物というよりも、この物語の象徴のような存在なのかもしれない。

 

思春期の嵐にひとりで飲み込まれてしまった僕は、自分の意志を取り戻すまでに13年くらいかかってしまった。取り返せただけよかった。一生自分の意志を見失ったまま、さまよい続けるゾンビボーイはたくさんいる。

 

学校でも憧れの的であったろうジョイスと付き合えたことで自信を取り戻したように見える“ガリ勉ボブ”にはえらく親近感を覚えた。僕らはいくつになっても、学校の中にあったヒエラルキーを参照してしまう。あの頃イケてたやつらは、今も僕の記憶の中で輝いてしまっている。
でも、ボブは学校ヒエラルキーの上位連中に引け目を感じつつも、ガリ勉ボブであることをちゃんと引き受けた。
ボブはなんたってまっすぐにガリ勉で賢明で、彼が蓄えてきた知識は愛する人を救う。

 

僕の思春期の行動基準は「人からどう見えるか」だけだった。自分の好きの気持ちに向き合ってこなかった。遠くへ漕ぎ出すこと、深く潜ることを恐れていた。僕は自転車には未だにうまく乗れないし、車だってペーパードライバーだ。だから自転車で滑走するマイクたちは僕よりずっと大人びて見える。ましてやマックスは……。

 

ラスト、スノーボール。マックスへの淡い恋心が破れたダスティンはすぐに視線を移し、別の女の子に声をかける。無視されても拒否されても次の女の子を誘う。でも誰も彼を相手にしない。大学に入ってはじめて渋谷のクラブに行った僕は、誰にも声をかけられず、隅っこでうじうじへらへらして、終電に乗って町田に帰ったのだった。だからダスティンはむちゃくちゃかっこよく見える、悔しくて寂しくて涙を流すとこまで含めて。

 

“Not stupid”と一歩を踏み出し、“I've been stupid, too”と帰ってきたbitchin'なエルのように成長することは、今からだってできるはずだ。

 

自意識とは違った次元で、自分と向き合う必要がある。
遠くに漕ぎ出すこと、深く潜ることはとても怖い。自分の中のモンスターを知ってしまうのが怖い。でも僕はそれを知らないまま死んでしまいたくないと、いま思う。僕の思春期はまだ終わっていない、というか、始まってないのかもしれない。早く決着をつけたい。まだモンスターの姿は見えてない。

“Should I stay or should I go”、答えは決まってる。

 

『アウトレイジ 最終章』見たよ

アウトレイジ 最終章』ようやく見た。『龍三と七人の子分たち』がまったくハマらなかったので期待しないようにしてたけど、おもしろかった。

 

ありきたりなヤクザの内輪揉めを軸にしたストーリーに韓国人フィクサーを絡めつつ、北野武作品らしい主人公・大友の生き様(=死に様)を通奏低音として描く。ストーリーには何ひとつ意外性はなく、ひたすら安心して見られる。これは北野武の意図したところだと思う。アウトレイジ・シリーズおなじみの残忍な殺しのバリエーションも言葉が過剰で意味をなさない罵り合いもここにはない。権謀術数というにはあまりにも地味でチープな策略が繰り広げられるだけ。そのケチ臭い権力闘争の最中でひとり、金でも力でもなく自分なりの仁義にのっとって大友は動き続ける。しかし金にも力にも興味がないからといって大友は決して良いヤツなんかではない。自分を律しているわけではなく、ただ関心がないだけだ。

北野武も大友のことを「馬鹿」と評していたけどその通りで、大友は仁義にあついヒーローでは決してない。たまたま金にも権力にも興味のない「友」の感情を欲望するケダモノでしかない。友のために敵を殺す。友のためなら、友の感情や利害はどうだってよくなるのが大友だ。馬鹿正直にスジを通すことだけを欲望するのが大友。彼の唯一良いところは、自分が馬鹿だったことを理解しているところで、だからせめてものケジメとして、大友はためらいなく最期の引き金を引く。

 

ソナチネ』を思い出させるホテル襲撃(『キングスマン』!)や牧歌的なのに死の匂い立ち込める海のシークエンス、『BROTHER』の「ファッキンジャップぐらいわかるよ、バカヤロー」を思い出す塩見三省の悪態なんかは、北野武作品を見てきたからこそ喜べるサービスみたいなもんだと思った。楽しいし嬉しいけど、新しさはない。

 

この映画で北野武はことさらに新しいことをしようなんて考えてなかったように思う。斬新さや突飛さで観客を驚かせるよりも、観客をもてなしてやろうくらいの気持ちで撮っちゃったのではないか。俺はそれをすごいことだと思う。

 

テレビでも映画でも名声を手に入れ、しかし確実に老い、どちらのフィールドでも全盛期のようなパフォーマンスはできなくなった今、彼がやることは観客の欲望に寄り添うことだった。それはアウトレイジがシリーズ化されたことからも明らかだった。売れなきゃしょうがないと開き直って、自分にできる範囲(その範囲がめちゃくちゃ広いのだが)でエンタメ作品を撮り、その中でもチラチラとアーティストとしての感性の片鱗を見せる。このバランス感覚が並大抵ではない。

 

アスファルトやその上を走る黒塗りの車に照り返る済州島のネオンがめちゃくちゃ美しい。僕の記憶の中では、あんなに夜が美しく感じられたのは、北野映画では初めて。暗闇でしか光は輝かないのだと思った。

今の北野武は、場末のネオンのような諦念と開き直りの美しさをたたえていると思う。

 

 

横須賀の映画館で見たんだけど、上映中ごく当たり前に間延びしたケータイの着信音が聞こえ、男が普通に電話に出て会話しながら外に出たことまで含めて、最高のアウトレイジ体験でした。戻ってきた男のシルエットがスクリーンを横切った。

手帳買った

手帳を買ったがまだ開いていない。買った時は人生初めての手帳だと思っていたが、2度目だった。1度目は大学に入った時で、ブルーのポケットに入りそうなサイズの手帳を買った。

あの時は、この手帳が予定で埋まったらかっこいいな、と思って買ったのだった。しかしものぐさの俺は、予定なんてものが嫌いだったし、友達も少ないし、バイトもしていなかったし、学校もろくに行かなかったので、結局その手帳は白紙のまま、2010年の暮れ、ゴミ袋に放った。

 

予定が苦手だ。楽しみに思ってるはずのことも、予定になった瞬間少なからず色褪せる。そのイベントにいろいろな想像を巡らせる。想像を超えるほど楽しいことなんて世の中には滅多にありはしない。その日のために準備するのがひどく億劫だ。その予定が面接とかテストとかだったら最悪だ。辛いことのために準備をしなけりゃならないのは苦痛以外のなにものでもない。

そう思って生きてきた。

 

しかしそんなことも言ってられなくなってきた。納期が複数ある。いくつものタスクを並行して片付けていかないと間に合わない。気づいたら俺はそういったごく普通の人間らしい営みに突入していた。

だから手帳が必要になった。漠然と予定に憧れて買ってみた青い手帳とは違って、今回買った漆黒の手帳は、これからの自分が未来を生きることを象徴してるように思えた。

 

けど、まだ、ビビってるのかもしれない。だから手帳を開けない。

 

これから俺に降りかかってくる現実については、本当に想像がつかない。ここ一年の間に起こった出来事の数々は、自分の脳みそがこしらえる陳腐なストーリーをことごとく上回ったきたが、これからは想像を巡らす暇もないほどに、現実に右往左往させられることになるだろう。

それはきっと楽しい。

 

しかし、右往左往させられてばかりなのも癪だし疲れるので、手帳にはこれからの俺を支えてもらうことになるだろう。

手帳を開けば俺の1ヶ月が一望できる。でも、そこからこぼれ落ちる数々のイベントの方が、俺を形作っていけばいいと思う。手帳には支配されたくない。

生きてます

転居やら取材やら原稿やらで、しっちゃかめっちゃかな1ヶ月だった。恋人との同棲が始まったり、猫との共棲がスタートしたり、素敵なことも多かったので、それに関する心の流れみたいなものを書いておきたかったけど、日々にかまけて疎かにしてしまった。

しかし、この生活をしているのは本当におれなんだろうか。

 

いま、おれはライターを名乗っています。とはいえ、それだけではまだまだこれっぽっちも食ってけない。仕事が欲しい。と思ってしまっている。去年のおれはこんな気持ちになるなんて、まったく想像していなかった。

 

恋人と暮らし始めたので、親からの仕送りはストップする。でもおれはずるいので、まだ父には同棲を始めたことは言ってない。夏に、「秋には同棲する」とは言った。でも同棲してるよとはまだ言ってない。

ただ、来月には前の家の家賃が引き落とされなくなるので、父は気づく。なので、今月が最後の仕送りだ。

おととし死んだ母の墓が、来月ようやく完成する。そのタイミングで帰省するので、その時おれは父親に「仕送りいままでありがとう」と言わなくてはならない。

 

今のおれを見たら、母はとても喜んでくれると思う。就活をやめ、母にうわごとのように語っていた将来像みたいなものに、いまのおれは近づいている。母が生きていたらきっと喜んでくれた。

 

転居のために部屋を片していたら、母からの手紙が見つかった。捨てたと思っていたのにあった。読んで、もちろん泣いた。久しぶりに、母のために流した涙だった。最近のおれはしあわせすぎて、母を悲しんでいなかった。

 

いま、おれは恋人が温めてくれたベッドの中に横たわり、腹のうえに猫の体重を感じながら、これを書いている。

 

猫のためにベッドを買ってやりたい。

この家には暖房器具がまだないので、早く買わないと凍えてしまう。

取材に使えるいいカメラが欲しい。

金が要る。

 

最近は、財布から金を出すのに痛みが伴う。発泡酒も1日1本になりました。昨日、安上がりだろうと思い、ウイスキーのボトルを買った。今日は、恋人が漬けた梅酒のお湯割りを飲ませてもらったし、ウイスキーをダブルで飲んだし、発泡酒も飲んだので、なんだかんだけっこう飲んでるな。

しかし眠気はなくて、少し高ぶっている。

 

恋人の連れ猫は無事に懐いてくれてとても嬉しい。

最近はおれが忙しくて(おれがせわしい!)恋人といっしょのタイミングで寝られないのが少し寂しい。いま住むアパートは2LDKもあるので(田舎なので家賃が安い)、おれがリビングで仕事をしていると、恋人は寝室に引っ込んで猫と寝てる。

 

ちょっと前までは、ワンルームで、恋人の寝息を聞きながらパソコンをかたかたしてたのだ。

恋人が寝ている寝室にこっそり入るのは少し楽しい。

 

きょうのこと

この秋から恋人と同居する。部屋の契約はもう済んでいる。今日は俺ひとりで鍵を受け取り、部屋を確認してきた。東京から離れてることもあって、家賃のわりに部屋数が多い、3DK。がゆえに、ベッドをどの部屋に置くべきか迷っている。入居は2週間後。

 

日の暮れかけた部屋は薄暗い。緑の山が西日で霞んでいる。月が浮かんでいる。感傷に浸る間もなく、部屋の寸法を測る。汗だくになる。恋人にLINEで逐一報告する。3部屋もあるが、どれも似たようなサイズだ。全体としては真四角な間取り。実家以外ではワンルームにしか住んだことがないので楽しみだ。

 

 

行きの電車ではナルコスを1話消化した。ひとつの家族が爆発に怯えるオープニングで、ひとつの家族が爆発で損なわれ放心するというエンディングだった。家族と社会、そして戦争について考える。

戦争においては、絶対正義な陣営は存在しないし、絶対的な悪もありえない。ことの発端に絶対正義や絶対悪があったとしても、複数人関わってしまえば、すべての社会事象は正義と悪の二元論では割り切れなくなる。俺はそう思う。俺は正義でも悪でもなく、凡庸で平凡な夫になりたい。

 

不動産屋で鍵を受け取る。入居してすぐに屋根の工事が始まるらしいので、それだけが残念。

 

部屋に行く前にビールを1缶買った。部屋でひとり感傷に浸ろうと思ったのだ。なんかセンチメンタルな曲でも聴きながらビールを飲もうとしていた。

しかし部屋の間取りを測ってる間に室内は真っ暗になってしまったし(何もない部屋が真っ暗だと恐い)、恋人の待つところへ早く帰りたいし、大森靖子ライブ配信も見たいし、ということで、そそくさと出てきてしまった。ビールは一息に飲み干してしまった。ちなみにBGMはくるりの「リバー」と「ハイウェイ」にしてみたけど、まったく気持ちにそぐわなかった。これから好きになる曲はこれまでとはまったく違うものになるかもしれない。感傷に浸りっ放しの人生だったが、これから先は、そうはいかない。「これから幸せしかやってこないのよ!大変なことになってしまうわよ、これからの私は」(©︎愛子さん)なので、感傷に用はない。

 

帰りの電車でこれを書いていた。今住んでる部屋の最寄駅から新居の最寄駅までは2本の電車を乗り継いで、1時間かかる。今ちょうど乗り換えた電車が出発したところ。

 

マルシンスパに行った。

劇場の扉の前に着くと、ちらほらと人が佇んでいた。2人組かひとりきりの人たちが10組くらい、年配の女性もいれば、若い男もいる。

「到着したら電話してください」とメールで言われていたので電話をかけた。立ち話をしていた女性が電話を耳元に当てたので、手を上げて合図した。あ、という顔をして電話を耳か外した女は、今日はありがとうございますと声をかけてきた。

 

チラシ挟み込みのバイトだった。むかし通っていた講座のメーリングリストは今でも生きていて、そこを経由して届いたバイトの依頼だった。3時間で4500円。悪くないと思った。

着いた時は気づかなかったが、佇んでいた人たちはみなチラシの挟み込みにやってきていた。いろんな所属からやってきた人間たちが、自分らの宣伝すべき演劇のチラシを挟み込むためにやってきているのだった。ああいう分厚いチラシの束は、劇場の人が準備してるもんだとばかり思っていた。それに、いまどきは機械でやってるものだとばかり思っていた。劇団とかイベントの会社の人間がせっせと挟み込んでいるのだった。

 

部屋の中には3つの島が長テーブルで作られていて、ひとつの島の上には12種類のチラシが2列並んでいる。合計7000枚くらいあると言っていた。25人くらいの人間がその列の前を横歩きしながらチラシを1枚ずつ取っていき、最後にアンケート用紙でその束をまとめる。12種類のチラシがあるから12の企業や団体から人が集まってきたのだろう。人手の出せなかったところがバイトを雇っているらしい。

 

せっせとチラシを挟み込む。初めてなので要領をつかむのに時間がかかる。チラシの左上をつまむか、下側をつまむかで迷う。結局のところ、どちらでも良かった。というか、どちらの取り方もしなくてはならなかった。延々同じ動きをするわけだから、少しでも体をリフレッシュさせるために、今回は左上からつまもうとか下側をつまんで引っこ抜こうとかする。変化が体を凝りから遠ざけてくれる。

左手で山から1枚だけチラシを取り、右手にストックする。それを12回繰り返すとひと束できる。束をアンケート用紙で挟む。それを繰り返す。

自分の島で渋滞が起こり始めたら、臨機応変に島を変える必要がある。どうしてもミスはつきもので、誰もがチラシを取るのに手間取ってしまうことはあるので、渋滞は必ず起こる。

 

作業が始まる前は考えごとでもしながらやろうと思っていたが、とても無理だった。雑念が入ると手の動きは鈍る。チラシの絵や写真に見入ってしまっても動作が遅くなる。無心に手と足を動かすしかなかった。だから、どんなイベントのビラがそこにあったのか、僕はほとんど覚えていない。渡辺えりの出演するステージがふたつあったことだけ、やけに覚えている。

 

作業は結局2時間を過ぎたところで終わった。バイト代は3500円とあいなった。特に誰とも話すことなく、劇場を後にした。

 

3500円を握りしめ、国道20号線を西に30分ほど歩いたところにある「天空のアジト マルシンスパ」に初めて行った。

エレベーターで10階へ上がり受付をする。ロッカールームで館内着に着替え、階段を上がったところに脱衣所がある。棚に館内着とタオル類を置いて、浴室に入る。

ここのサウナはセルフロウリュができる。初めてだ。誰もいないので、思うままにやる。ストーンに水をかける。ひしゃくの柄が熱い。

サウナを好むようになってまだ半年くらい。入ったサウナはまだ10個くらいだろうか。しかしここのは今までのどれよりも良かった。

ほどよい暑さなのに今まで入った他のどのサウナよりも汗がかける、いつまでもいられる。ここのサウナなら眠れると思った。テレビもないから静かで良い。初めてサウナ時計の針が一周するのを見届けた。メガネをかけて入ったのだが、フレームがとても熱くなったので、タオルに包んで太ももの上に置いていた。

水風呂は痺れる手前の冷たさ。地下からくみ上げているらしい水は季節によって水温が変わるらしいが、この日は18度くらいだっただろうか。ちょうど良かった。前に入った三軒茶屋の「駒の湯」の水風呂は手足が痺れて痛くなるほどの冷たさで、あれはあれで気持ちいいが、やっぱりいつまでも入っていられるくらいの水温の方が嬉しい。

脱衣所で水を飲み、浴室内のデッキチェアで休む。窓越しの夕空に都会の高層ビルとナビタイムのおじさんが見える。ビルの上ではクレーンが2機交差していた。

僕はそこで初めてととのった。脳みそがふわふわ浮いた。夏の終わりの夕方、うっとりとした眠気に襲われそれに逆らおうとする時の心地よさを何十倍にもした感じだった。

 

サウナ→水風呂→休憩をせっせと3周した。90分コースにしたので慌ててしまったのが悔やまれたが、初めてなのでこれくらいで良いだろう。3回目の休憩のタイミングで、初めて屋外の休憩所の存在に気づいた。外気浴ができる!急いで腰にタオルを巻き外に出る。眼下には駅のホームが見える。向かいにはビルもある。東京の街中で、ほとんど裸になってしまえるなんて最高ではないか。少し興奮した。マルシンスパの浴室は11階にあるので、風が強い。都会の風を素肌に受ける。何も考えられなくなる。都会の真ん中にいるのに思考を停止できるというのは、革命的に素晴らしい。都会は常に思考を求めてくるから。頭の悪い俺は都会にほとほと、疲れてしまった。

時間が来たので館内着に着替えて、コーヒー牛乳を買ってもう一度外に出て、一息に飲み干して受付に戻った。

 

「会計済ませても食堂は利用できるか?」と聞くと「少しくらい遅れても大丈夫っすよ」と言われたので、チャーシューとビールを飲む。f:id:massarassa:20170929004552j:image

チャーシューめちゃくちゃうまいんだけど量が多いので飽きた。

 

気持ちよくビルから出て、電車に乗って恋人の待つ部屋に帰った。

 

 

 

 

 

 

ちゃんと

USBメモリーを無くしてしまったので、作業ができず途方にくれている。このまま見つからなければ、再度データをもらわなくてはならない。クソだ。締切まで時間も少ないというのに。

 

昔からよくモノを無くす。この悪癖まったく直らない、直さない。そろそろ直さないと本当にとんでもないことになる。

無くしてもいいようにする、というのも手かもしれない。今回の場合、一度USBメモリーを挿入した時にデータをパソコン側にもコピーしておけば、こんなことにはならなかった。あの一手間を惜しんだから今とても困っている。「コピーしておこうかなあ」と迷ったのにやらなかった。馬鹿だ。

 

今、人生でいちばん忙しい。というか、同時並行でやらなくてはならないことが複数個ある。それは一般的には忙しいとは言わないのかもしれない、たいていの人にとっては常態だろう。俺が今テンパっているのは、いくつもの行為を同時にこなした経験が乏しいせいだと思う。仕事をしたことがないせいだ。

優先順位を付けなくてはいけない。スケジュール管理を覚えなくてはならない。

 

やがて俺は転居する。引っ越す、という言葉はなんだか縁起が良くない気がするので使わないようにしたい(口語では使っちゃうけど)。「引いて越える」ってなんだか都落ち感がある。まあ確かに都内から出るので「都落ち」と思われるかもしれない。でも俺たちにとってこれはスタートだ。とても気持ちの良い町で、人生を仕切り直す。《さらぴんの生活》(©︎鳥飼茜『おんなのいえ』)を始める。東京に住んで7年かかったしやっと始まったとこなんだ。

そのために今持ってる余計な荷物は捨てたい。余計な荷物を捨てちまえば、USBメモリーも見つかるかもしれない。大切なものがゴミに埋もれてしまってはいけない。ゴミにまみれていると、もしかしたら大切なものが埋まっているかもしれないと思い込んで、いつまでもゴミ漁りにかまけてしまうのも問題だ。大切なものはもうこの部屋にはないかもしれないのにね。

 

ちゃんとしなくては。

「ちゃんと」ってなんだよ。