ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

はまちはらみ

さいきん昼夜逆転気味だったこともあって、昼過ぎまで寝た。それまで一度も目を覚まさなかった。妻も低気圧にやられてか体調が優れないようで、同じタイミングで目覚めた。もう臨月だ。

起き出してすぐ、お腹か空いたという妻とコンビニへ向かう。月刊になったテレビブロスの重みに驚きパラパラめくっていると妻が「お腹空きすぎた!食べて帰ろう!」と言い出したので笑ってしまった。そのまま近くの回転寿司に行く。妻が、ぼくの頼んだはまちはらみをレーンから取り、首を傾げながら自分の手元に置いたので「それ、俺が頼んだ」と言うと「まちがえた」と言ってはにかんでいたのが、おかしかった。

いつもはタッチパネルを一緒に見ながら注文を決める。今日はなぜか各々で注文していたので、互いの注文内容がわからなかった。それもあって彼女は自分が注文した覚えのないものに首を傾げたんだろうけど、だったら「注文した?」とぼくに聞くのがごくふつうの流れだ。なのに、注文した覚えないけどまあいっか、と自分のものにして食べてしまおうとした彼女が非常に良かったなと思ったので今日は久しぶりにブログを書いてしまいました。

はまちはらみの味は覚えていない。

 

 

風が強い

今年の春は風が強いように感じるが、昨秋引っ越してきたこの土地が風の通り道として優れているからそう感じるのか、それとも東京でも風は吹き荒れているのかがいまひとつわからない。天気予報はたしかに「風に注意」とばかり言うが、東京の風もこれくらい強いのだろうか。わからない。

この町を気にいったのは風がよかったからだ。昨夏はじめて来たとき、海へとつづく一本道を吹き抜ける風がとても気持ちよくてここに住んでもいいかもしれないと思ったのだが、いざ秋に越してみると、その風は体感温度を下げ私たち夫婦の体と心をひどく強張らせた。やっと冬を越し春が来たが、今度は「春の嵐」というやつがおそろしく響く。夜半を過ぎた先ほどから、風が急に強くなりはじめた。木造アパートは風に揺れる。鳴る風を聞いてると、波を越えていく船のなかにいるような気がしてくる。そういえば、去年まで住んでいたワンルームは鉄筋コンクリート造だったからだろうか、風の音が気になったことはなかった。

 

二週間ほど前、通りを挟んで二軒隣の家が全焼した。通りは車一台が余裕を持って通れるほどの幅だから、火事は私たちの部屋から10メートルほど先のできごとだった。寝室の窓から様子を眺めていたが、やがて白煙は窓を覆い、視界はなくなった。あの日、今日くらいの風が吹いていたら、この部屋も燃えていたかもしれない。その日の前後は今日のような強風の日も多かった。不幸中の幸い、という言葉を妻との間で使っていたが、燃え盛る我が家を泣きながら眺める女性の姿のせいで、そのような物言いをした自分を少しだけ後ろめたく思った。二時間ほど燃えただろうか、鎮火した後にはあたり一帯に焦げた匂いが残り、私たちの部屋のなかに吊るされた服にも、その匂いはこびりついた。

 

ウエルベック『プラットフォーム』を読んだ。突然失われる未来を見せつけられ慄然とする。人は何を語っていても、どんなに先進的に生きて(いるつもりで)も、享楽をむさぼって満足しても、一瞬後には肉塊になるかもしれず、というか一瞬で肉塊になれたならまだ幸せなほうで、手足がもがれ苦痛に叫んだり、肉塊と化した愛する人を抱かざるをえないという劇的な瞬間が誰にでも起こりうる。それがテロの時代であるし、日本だったら地震や台風であろうし、いま私たちが住む海辺の街だったら津波かもしれない。

 

あの火事の日、火の手が通りを越えなくて本当によかった。風のない日でよかった。「よかった」は自分のたちの身に火の粉が降りかからなくてよかったであり、燃えおちた家の住人たちと私たちはこの「よかった」によって完全に分断される。

風は分断を吹き抜ける、あなたの耳にもこの強い風の音が聞こえているだろうか。

仕事たのしいです。

ニートのころは仕事がこわかった。バイトもろくにしたことがなくて、自分には何もできないと思っていたし、人から教わるのも叱られるのもイヤだった。

でもいざ教わったり叱られたりすると、案外素直に受けいれられるし、ありがたいとすら感じる。「仕事でしか関わらない」みたいな人間関係の美しさみたいなのもあるかもしれないとまで思いはじめた。

もちろん、理不尽だなと思うことはごく稀にあるし、至らない自分にイラだったり、単純に疲れてダウナーになったりもする。妻にはグチばかり言ってるような気がする(申し訳ないしかっこ悪いのでやめたい)。

しかし、渦中にいるときはしんどくても、次はもっといいものを作ろうとちゃんと思えてる自分に自分でビックリした。俺は、何でもかんでもすぐに投げ出す人間だったから。

 

投げ出さなくなったのは妻の存在が大きい。妻がいなかったらバックれてた取材、「やっぱり無理です」と言って投げ出す原稿、もう俺には構わないでくださいと断ち切る関係があった。ニート時代の俺だったら最後までやり通さなかったであろうことがいくつもあった。

でもなんとか、今のところは周りの人に助けてもらいながらやれている。それは妻がいるからだ。
妻とこれから生まれてくる子供のために稼がなくてはならないという責任があるからというのもある。でもそれ以上に俺は、俺について彼女を失望させたくないからやってるんだと思う。彼女を失望させたら、俺は人として終わる。

正直、俺の働きぶりはまだまだ足りない。金が足りない。もっと稼がなくてはならない。「仕事たのしい」とか言ってる場合じゃない、たのしくなくても粛々と手と足と頭を動かして、稼がなくてはならない。

でもまあ、はじめて仕事をたのしいと思えてるので、今夜だけ。

白いブラウスとグレーパーカー

新宿のガストで昼食をとる。まだ春休みなのか、中学生くらいの子供たちが多い。

 

向かいのテーブルに座る女子中学生ふたり。通路側に座っていたグレーのパーカーを着た女の子がトイレに立つと、壁際のソファに座っていた品のいい女の子が見えた。真っ白のブラウスを着た少女は真っ黒の長い髪をひとつに束ねている(小松菜奈に似ている、似せている?)。彼女はナイフとフォークを使いながら上品にハンバーグをつぎつぎほおばる。背筋もまっすぐだ。洗練されている。

彼女の前にはライスもパンもなく、ハンバーグの乗ったプレートと水の入ったグラスがあるだけだ。

 

トイレから帰ってきた女の子を正面から見た。剃りすぎた眉が野暮ったい。くたびれたスニーカーのピンク色はくすんでいる。パーカーの袖は少し短い。

 

彼女たちの話し声は聞こえない。たまに白いブラウスの少女がほほえむ。テーブルの下から足を投げ出したグレーパーカーの少女は、身ぶり手ぶりまじえていっしょうけんめい話している。

席を立つ直前、ブラウス少女は手鏡を持ち、口紅を塗りなおした。グレーパーカー少女はリップクリームをポケットから落とした。

 

子供の世界は残酷だ。たぶん、特に女の子は。自分の力ではどうにもならない所与によって世界のなかに位置づけられてしまう。親の稼ぎや趣味、教育方針が少女のフィールドを狭める。

大人になれば自分で獲得できる。勉強して、人に会って、働いて、お金を使って、恋愛をして、人は変わっていける。子供のころとは違って、大人は自分の力で世界に居場所を確保できる。世界を広げられる。変えたいという意志と若干の行動力があれば変われる。でも子供が子供のうちは、本当の意味で変わることはできないんだと思う。

 

会計を終え、店を出ようとドアに手をかけたグレーパーカーの少女は、店に入ってくるおじいさんのために、ドアを開けてやっていた。「ありがとう」と言われたのか、少女は照れくさそうに、首を前に伸ばし会釈した。

 

今日

サニーデイ・サービスのライブを見に渋谷に来た。早く着きすぎたので缶ビール片手に奥渋谷に向かい、緑道に座って飲む。妻と結婚するより前、なんなら付き合ってもいないころに、ここに並んで座ったのを思い出す。

 

暇つぶしにグーグルマップで現在地周辺を見ると、隣の路地に「中村警部補慰霊碑」というのがあるらしい。ググる

 

中村警部補は、1971年の沖縄返還阻止をめぐる「渋谷暴動事件」で中核派の学生・大坂正明らに鉄パイプで殴打され火炎瓶を投げつけられて死んだらしい。大坂正明は指名手配犯のポスターでよく見かける。

 

検索結果のページにふたたび目をやるとトップニュースのところに「黙秘一転、渋谷暴動事件の被告『大坂正明です』認める 6時間前」とある。驚いた。マップを開いて偶然見つけた「中村警部補慰霊碑」が、ちょうど今日配信された自供のニュースとリンクしてしまった。くらくらした。

去年逮捕されていた大坂正明と思われる人物はずっと黙秘していたが、今日になって自供したという。どういう気分の変化か、はたまた作戦変更か。

 

そういえば天皇が明日から沖縄を訪問するらしい。今上天皇としては最後の沖縄訪問になるだろう。このタイミングで大坂が「自供」したのは偶然かどうか。

 

そんなことはほんとうはどうでもよくって。

 

今日の空気のぐあいはサニーデイ・サービスを聞くのにとても向いている気がする。これからはじめてライブを見る。楽しみだ。

 

 

サニーデイ・サービス、最高だった。「花火」→「セツナ」の流れに思わず声をあげ、歌ってしまう。というか、しょっぱなの「泡アワー」から号泣。曽我部恵一の歌声が胸をわしづかむ。「金星」も「音楽」も大好きだったのでやってくれて嬉しかった。「冒険」の異様に長いアレンジが最高で笑ってしまった。

結果的には、『DANCE TO YOU』以降の楽曲を中心に組まれたセットリストに大満足。『DANCE〜』があったからサニーデイを聴くようになったのです。

娘の卒業式の日に書いたという「卒業」もよかった。曽我部さんみたいな父親になりたい。

 

 

われわれは妊娠している

われわれは妊娠している。

 

妻のお腹のなかに胎児がいる。去年9月にわかった。入籍は11月。そう書くと「授かり婚なの?」と思われるかもしれないけど、入籍は11月と以前より決めていたので、妊娠がわかったから結婚を決めたわけではないと最初に言っておきます。べつに「授かり婚」についてとやかく言いたいわけでなく、「授かり婚」についてとやかく思う人は一定数いるっぽいので、断っておきました。

 

できちゃった結婚なの?」と聞かれたことが何度かあって、いちいち「違うよ」と説明するのがめんどくさかった。「違うよ」と言うとき、「授かり婚」だと思われなくない、と心のはしっこで考えている自分を自覚した。ぼくには授かり婚を非難する気持ちがあるのだろうか……そういうわけではないだろう。

ぼくは「授かり婚」を否定しているわけじゃなくって、授からなくたってぼくらは結婚していたと言いたいだけだ。授かりはぼくらの結婚に何のきっかけも与えていないことを伝えたいだけ。でも、それを会話のなかで説明するのはだるい。

たとえば長く付き合ったカップルが妊娠をきっかけに結婚を決意するのはとてもいいことだとおもうし、それくらいのことがないと踏ん切りがつかないのが結婚とも言える。ぼくらの場合たまたま、妊娠に匹敵する「踏ん切り」が妊娠よりも前にあっただけだ。

 

ちなみにぼく個人としての「授かり婚」と「できちゃった結婚」の使い分けは、文章なら「授かり」、口頭なら「できちゃった」くらいのかんじアバウトな感じ。

「できちゃった」は「ちゃった」の部分が口に気持ちよくって思わず言ってしまう。でも、いまの趨勢としては「授かり」を使ったほうが無難だろう。個人的には「授かり」という言葉にはむずがゆくなる。子供を天から授かったという感覚がゼロだからかもしれない。

 

「妻が妊娠していて……」と何度も口にしてきた。そのたびにかすかな違和感があった。違和感の正体は「妻が妊娠している」には当事者意識が欠けているからだと、ふと気づいた。

「妊娠した」のが妻ということは、ぼくは「妊娠させた」のか。なんか違うなとおもう。妊娠はふたりのものだ。だから「妻が妊娠している」というより「ぼくらは妊娠している」とほんとうは言いたい。でもこれもまた、いちいち説明するのもめんどくさいし、なんだかセンチメンタルな感じもする。きれいごとっぽいので、わざわざ言葉にしないほうがよかったのかもしれない。

 

「われわれが妊娠」と言ったって、妻の体のしんどさをぼくは知ることができない。

おれはフリーのライター(フリーライターって言うのは、まだためらわられる。「の」が緩衝材になって和らげてくれる)で、残念なことに仕事は未だ少なく、夫婦で過ごす時間はふつうのカップルよりも断然多いから、妊娠中の妻のしんどさに接する機会もおのずと多くなる(妻もフリーランス)。妊娠は大きな負担を体に強いる。そばにいる時間が長いから知ることができた。妊娠はすさまじい。

 

「妊娠は病気じゃない」という定型句があるけど、とても厄介な言葉だとおもう。産婦人科医も「妊娠は病気じゃないから……」と言う。

たしかに「病気」ではない。でも、普段とは違う異常事態ではあるわけで、ふつうではない。ふつうとは違うからいつもと同じように生活できるわけはない。病院代もかかる、なのに保険は適用されない、病気じゃないから。欺瞞だとおもう。

 

 

男が妊娠について語るのはやっぱり難しい。ほんとうには理解できないから。「われわれは妊娠している」と書いたけれども、そう思いたいだけなのかもしれない。妻が読んだら「それは違うよ」と呆れるかもしれない。

 

男はあまりにも無力だ。子供とへその緒で繋がることはできないし、授乳することもできない。いくら男女平等ったって、体のつくりは同じではない。妊娠、出産、授乳、この3つはいまのところ男には絶対にできない。

村田沙耶香「消滅世界」では男も妊娠できる世界が描かれていて、とてもいいなとおもった。でもいまは、男も妊娠できる世界ではなく、男も女も妊娠しない世界のほうがいいと考えている。おなかの外で胎児が育つようになればいいのに。

そもそも、頭の大きくなりすぎた人間は本来子宮にいる期間よりも、胎児期間が2ヶ月短くなっているらしい。これ以上腹のなかで成長すると大きな頭がつっかえて、経膣分娩ができなくなるから。だったら初めっからおなかの外で育ったほうがいいのではないか。あるいはしかるべき大きさになったら取り出して、子宮を模した透明ケースのなかで育てられるようになればいいんじゃないか。そうすれば、大きくなる我が子を夫婦並んで見ることができるわけで、親としての自覚も芽生えるのではないか。

科学は子宮の外で胎児を育む方向に進んでいるのだろうか?そうであればいい。倫理もそちらに向かえばいいと思う。

そうすれば妊娠はだれのもでもないがゆえに、「われわれのもの」になる。そうなってほしい。女性は妊娠のつらさから解放されるわけだし。男女平等・同権ったって、現状でできることは限られている。これじゃあほんとうの意味での「主夫」なんて実現しっこない。

 

 

……と、いろいろ書いてきたけれども、そもそもぼくはもっと稼がなくてはならないという実際的な問題がある。もっと書いてもっと稼ぎたい。妻が稼げなくなるぶんを補わなくては。そういうやり方でしか現状のぼくは妊娠を共有できないのだし。

 

そういえば妻について話すとき、どの代名詞を使うか未だに定まらない。「妻」「奥さん」「カミさん」あたりで迷ってる。「家内」はあり得なくって、「嫁(さん)」もなんか違う。女房……なんか乳房っぽくてためらわれる。奥さんあたりがいちばん背伸びしてなくて、自然に出てくる。でも「奥」に一瞬のためらいを覚えるんだよね。ぼくより「表」だし。

 

行けなかったライブのこと

ぼくにとって銀杏BOYZ、ゴイステの曲は、峯田が歌うものじゃなくて、ぼくらが歌うものだった。

 

童貞ソー・ヤング、もしも君が泣くならば、星に願いを、駆け抜けて性春、グレープフルーツ・ムーン、援助交際夢で逢えたら銀河鉄道の夜、惑星基地ベオウルフ、夜王子と月の姫……ぜんぶぼくらの歌だった。沖縄にいた高校時代、廃部同然だった軽音楽部に籍を入れ、白球を追う青春からはほど遠い校舎の4階いちばん端っこの小さい部屋で下手くそなギターを歪みでごまかし“夢で逢えたら”を叫んだ。

放課後のカラオケは、ゴイステと銀杏が流れれば、いつでも全員で歌った。“童貞ソー・ヤング”、「やればできるなんて嘘っぱちだ!」を仲間うちで唯一童貞を捨てた男に叫ばせる。それがぼくらのセックス経験者への復讐だった。若者よ童貞を誇れ! 童貞!万歳!に続いて、今でも弾ける唯一のイントロが鳴る。
銀杏BOYZはぼくらが歌う歌で、だからぼくは銀杏BOYZのライブそのものには、いまにして思えば驚くほど興味がなかった。峯田のパーソナリティーに想いを馳せることもまったくなかった。峯田はライブで全裸になるらしい!そんな話を友だちから聞いてもどこか現実味がなかった。

 

ぼくにとっての大森靖子は、ぼくだけのものだった。高校時代から遠く離れてしまった東京のワンルーム、薄暗くほこりっぽいその部屋で若い時間をゆっくりと殺しながらぼくは、大森靖子の歌を聞いていた。“Over The Party”の「いかれたニートで いかしたムード」のフレーズに救われていた。「脱法ハーブ握手会 風営法 放射能」というフレーズを聴くだけで涙を流した。ぼくがちゃんと生きられなかった日々を、大森靖子が歌に遺してくれた。

親の金でだらだらと生き延びていたあの頃、変わりたいと思いながら一歩目を踏み出せなかった700日、大森靖子の歌がひとりぼっちのぼくを支えてくれた。彼女のライブに行っていることが唯一の誇りだった、親の金だったのにね。

『Tokyo Black Hole』というアルバムは、すべてがぼくのためにあるようで、特に、“給食当番制反対”と“少女漫画少年漫画”の2曲には、忘れていた情けない自分の過去を思い出し、見ないふりをしていた孤独を突きつけられた。明るい未来ではなく、その瞬間の悲しみや孤立無援に寄り添ってくれるのが大森靖子の歌だった。

思えば銀杏BOYZの歌もそういう類のものだったのかもしれない。みんなで歌っていたけれど、声を合わせながらもぼくらは、やっぱりどこかひとりぼっちで、ぼくらの声はひとつひとつだった。いっしょになることはなかった。

 

だから、ぼくにとって銀杏BOYZ大森靖子のツーマンは、ふたりを見にいく・聞きにいくんじゃなくって、あの頃の自分を肯定する行為だった。高校のころに聞いていた峯田の歌、ニート時代に寄り添ってくれた大森さんの歌、そのふたつに対するお礼参りのようなものだった。

 

ぼくは大森靖子銀杏BOYZのツーマンに行けなかった。ニートだったぼくはいつしか働くようになり、結婚した。4ヶ月間楽しみにしていたライブの1週間前、急な仕事が入ってしまった。その仕事はニートから脱出するきっかけのひとつとなった関係の継続だ。個人的に思い入れもある。相手の人にはとてもお世話になっている。だから、とても迷った。「すみません、先に決まっている予定があって」と言えば、カドが立つことはなく、すんなり断れたはず。とっさに迷った。仕事、断りたい。

 

仕事の依頼メールが来た瞬間、一緒にライブへ行く予定だった妻に「仕事断ってライブ選んだらどう思う?」と聞いてしまった、半ベソかきながら。かっこわるい。それくらい自分で決めろよ。
妻は「ライブを選んだら、まだ子供なんだなって思う」と言った。だよねー、と思った。子供はもうイヤだった。子供じゃないもん27だ。だから、ぼくは、仕事を選んだ。それはすごく正しくて、取材のあった乃木坂から海の近くにある妻の待つ家に帰る電車の車内、今ぼくはたしかに、自分を誇りに思う。でも、でも。

 

“駆け抜けて性春”って曲をはじめてCDで聴いた時、爆走するトロッコに乗りながら演奏する男たちをイメージした。今にも投げ出されそうになりながら、投げ出されてもいい、かまいやしない、そんな気迫でもって叩き、弾き、歌う男たちを想像した。こんなに疾走する曲をほかに知らなかった。とことん前のめりで、いつ顔面からズッコケてもおかしくない。

そんな曲がスローダウンすると、突如YUKIの声が入ってくる。彼女の歌声は生き急ぐ彼らをたしなめるように響いた。そこにYUKIをおいた銀杏BOYZ、彼らの女性に抱く幻想、憧憬、畏怖を感じた。だからこそ、高校生のころのぼくは、YUKI以外の人間があのパートを歌うのを聞きたくなかった。「私は幻なの」嘘つけ、と思う。同級生の女子がそのフレーズを歌っても、それはあまりにもリアルで、なんのイリュージョンもかかってなかった。YUKIが歌わなくては幻はほんとうにならない。

 

そのフレーズを、大森靖子が峯田と歌ったという。ツーマンが決まったときから、それを聴くのを楽しみにしていた。聴けなかった。大森靖子が歌う“駆け抜けて性春”はまぼろしになってしまった、ぼくにとっては。

 

今日のツーマンはまったく幻になってしまった。選んだ現実、仕事のほうは散々な出来だった。そこにいる誰も、ぼくを望んでいないように感じた。義理とか、お金とか、これまでとか、そういうのを安易に選んではいけないと思った。ぼくの行動はぼくの気持ちの正直な現れで、ぼくはほんとうに嘘がつけない人間で、仕事中、ふわふわしてしまった。自分の意志ですべてを選びとらなくては、選択の結果に責任を持たなくては。

 

ぼくがいま焦がれている女性は海に近い部屋で待っていて、ぼくが焦がれる音楽は、別の海の近くで鳴っていた。

ぼくはまだ子供なんだろうか、イヤだな。夢で逢えたらいいな夜の波を越えていくよ、おもしろいことほんとうのこと愛してる人ふつうのことなかったことにされちゃうよなかったことにされちゃうよ。

 

妻の待つ部屋に帰る。
けっきょく、妻も体調を崩してしまって、この日のライブに行けなかった。ちゃんと生きようと思った。今日のまぼろしを誰よりも鮮明に覚えながら。