ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

大森靖子さんにインタビューしました

今日7月11日にアルバム『クソカワPARTY』をリリースした大森靖子さんにインタビューしました。

f:id:massarassa:20180711235053j:plain大森靖子、NEW ALBUM『クソカワPARTY』リリース・インタビュー。「このアルバムで“大森靖子”は死に、再生する。」 – DE COLUM

 

大森さんの話す言葉ってほとんど全部おもしろいんですよね。それは大森さんの言葉がいちいちほんとうのことだからで。

こう言うと、「正論はかったるいよ」なんて反発もあるかもしれないけど、それは誤解だな。「正論」がくだらないのは「正しい」からだ。「正しさ」って誰が決めたんだろうか。誰も答えられないだろう。正しさなんてものはこの世にないんだよ。ないのに、あるように振る舞う、茶番。そんなのつまらないに決まってるじゃないか。

大森さんの話す「ほんとうのこと」は大森さんにとってのほんとうのことだ。だから、それはぼくやあなたにとって受けいれがたいこともあるだろう。

しかし、自分にとっての「ほんとうのこと」をわかっている人ってどれだけいるのか? 自分のほんとうすら捉えられていない人ばかりじゃないか。自分のほんとうの気持ちにすら抑圧的で、だから当然のように他者を弾圧する。
自分だけのほんとうを掴んだ人の言葉は強くて魅力的だ。たとえ大森さんの思考がぼくにとって違和感のあるものだとしても、大森さんの思考はほんとうだから、ぼくは聴きつづける。

 

先月出版された『超歌手』というエッセイ集で大森さんは「MeTooはやめましょう」「InMyCaseをきちんと表現できる人間が増えればいいな」と書いていました。「同情がいちばん怖い」とも。 

超歌手

超歌手

 

同じ気持ちなんてないし、感情には正解も不正解もない。感情はただ生まれる。それをそれぞれが表現できればいい。ぼくの担当したインタビューで大森さんは「考えちゃったことは自分にとっては絶対的な正義でいいじゃないですか。考えちゃったことは、事実なんだし」という言葉で、その旨を説明してくれました。

 

 

大森靖子は「正しさなんてない」「正しいは怖い」あるいは「正しいはつまらない」という《ほんとうのこと》を我々に告げてしまう人だと、ぼくは思っている。

『クソカワPARTY』のジャケットには、ジョーカーに扮した大森靖子が佇んでいる。

 大森さんが説明するにはジョーカーはすべての言葉を操れる存在だから、それはつまり「バベルの塔」なき現代においても、すべての人類と意思疎通できる者を意味するはずだ。前作『kitixxxgaia』のリードトラック「ドグマ・マグマ」で“誰でもなれます GOD”と大森靖子は歌ったけど、それは神・大森靖子の誤謬だった。大森さんは自身が人類を高く見積もりすぎたことを知った。他者が大切にしているほんとうのことを受けいれられない人はどうしたって存在していて、もう彼らのことは相手にしてる暇もない。だから大森靖子は神から降り、死神になった。

 

大森さんはブリューゲルの「バベルの塔」を見たときのブログの最後に“わたしもわたしに関わってくれてる人やファンのみんなとBABELつくるんだー☺️”と書いていました。

 

 

ぼくもこのBABELに加担します。その意識でもって、インタビューに臨みました。
でも、当日、初めてまともに会話する大森さんにめちゃくちゃ緊張してしまって、ぼくはしどろもどろでしたが……。

 

 

ぼくが、このブログ「ひとつ恋でもしてみようか」にはじめて大森靖子のことを書いたのは2016年2月19日で、それは大森さん出産後初のワンマンライブの感想文だった。

 

 

当時25歳ニートだったぼくは、28歳フリーライター(稼げてないので仕事もっと欲しいです)・既婚・一児の父になった。それもこれも、いちばん辛い時期を大森靖子の音楽のおかげでやり過ごせたから。だからやっぱり少しでも恩返ししたい。青柳カヲルさんもおおたけおさんもめっちゃかっこいいじゃないですか。

 

 

 

レッテル貼りすることなく、創造的に書ける人になりたい。

 

そういえば、さっきリンクを貼った「最初から希望とか歌っとけばよかった 大森靖子「HELLO WORLD! MYNO. IS ZERO」雑感」の最後にぼくは大森さんの次のツイートを置いた。

 

このツイートを自分のブログに置いたのは、悔しかったからだ。
ナタリーで大森さんのライブレポを書いた男は、ぼくよりもずっと前から大森靖子を知っていて、ひたむきにがんばった末に、大森さんと仕事で再会した。当時ニートだったぼくはそのエピソードに嫉妬しつつも、希望として受け取った。自分もこのブログに大森さんのことを書き続けていれば、いつかチャンスは巡ってくるかもしれない。そう思えたのだった。

 

大森靖子さんについてはいっぱい書いてます。これからも書きます。

 

大森靖子「私は、死ぬことの希望よりも生きる方を選んだ」 「大森靖子VS大森靖子&シン・ ガイアズ」ライブ・レポート – DE COLUM

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ビバラポップ!が描いたアイドルの歴史と今この瞬間に生まれる物語 「VIVA LA ROCK EXTRA ビバラポップ!」フェスレポート – DE COLUM

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昔はもっと濡れていた

水に濡れた思い出は多い。

 

小学生のころの春の遠足では毎年川や池に落ちてずぶ濡れになるというジンクスがあった。5年生のとき「今年こそ濡れてたまるか」と思っていたのに、公園の池にかかる橋から水筒を落としてしまい、足で挟んで回収しようと発想したぼくは欄干に捕まり水面に足を伸ばした。足は空を切り、やがて手を滑らせたぼくは見事に3年連続濡れねずみ。遠足からの帰り道、5年生なのに涙が止まらなかった。

 

もちろんいい思い出もあって、小学4年生の半ドンの午後、豪雨にびしょ濡れになりながら男子も女子も入り乱れてびしゃびしゃになったのはすごく楽しかった、女子と分け隔てなく下心なく無邪気に遊んだのは多分あれが最後だ。

 

中学生のころは文化祭でお遊びのシンクロをやった。『ウォーターボーイズ』の影響である。夏休みは毎日のように集まって、水に潜り飛び躍動した。本番、所狭しと学生、先生、父兄らが所狭しと集ったプールサイドを、ブラック・アイド・ピーズ“Pump It”をBGMに走る。たまたま好きだった女の子の目の前がぼくのポジションだった。あの子の目の前、半裸で踊ったとき、ぼくを見て彼女はけたけた笑った……書きながら思い出してグッときてしまった。

シンクロのクライマックスは5段やぐらだった。本番1週間前、4段だと余裕だからもう1段増やそうということになったのだが、当日まで一度も成功しなかった。本番でも4回チャレンジしたが完成は叶わなかった。“Pump It”で颯爽と駆けたプールサイドを福山雅治“虹”でとぼとぼ退場する。全員が肩を落とし、中には涙を流す奴もいて、観客もほとんどみなおそらく心底からのねぎらいの拍手を送っていた(と感じるほどの主役感だった)。いつもはひょうきんなタイプの学生らが本気で落ち込んでるのだから、その拍手もだいたいが本気だったと思う。濡れた体を拭くこともなく、更衣室で泣き濡れるチームメイトたちを見てぼくはなんだか突然白けてしまったのを覚えている。失敗を美しくしようとする涙はずるいと思ったのだ。あのころのぼくは今よりずっとまっすぐな心根だった。そんな風にもやもやするラストではあったが、それでもあれはいい思い出だ。

 

大人になってからは水に濡れた思い出がほとんどないが、真っ先に思い出すのは、今の妻と結婚するずっと前、入江陽のライブを見に「月見ル君想フ」に向かう道で雨に濡れたときのこと。彼女の小さな折りたたみ傘にふたりで入っていた。ぼくがさしていたのだけれど、間違えてボタンを押してしまって傘は閉じた。ただでさえ濡れていた体がびしょびしょになった。彼女はあらかじめ「ここのボタン押しちゃうと閉じちゃうから気をつけてね」と言っていたのにぼくは間違えてしまった。でも、ぼくらはしたたかに笑いあった。あの夜の公園はどこだったか。ずぶ濡れのまま着いたライブハウスはえらく空調が効いていて寒かったけれど、楽しく音楽を聴いた。

他にもたくさん水にまつわる思い出はあるのだけれど、もうめんどくさいのでいちいち書くのはやめる。

 

水に濡れたときの思い出はなぜか鮮明に残る。特に太陽の記憶よりも雨の記憶のほうが強烈で、サザンが「思い出はいつの日も雨」と歌ったのは真理だと思う。大人になってからは水着姿になるのも億劫だし、梅雨明けをとても嬉しく思う、それが少しさびしい。

 

 

 

初夏にして君を想う

生まれてはじめて日射しを浴びた赤ん坊はつむっていたまぶたにシワを寄せる。総合病院のロビーは4階までの吹き抜けだ。天窓から差し込む正午の光が胸元に抱く赤子に当たらないように、僕は腰を曲げて日差しを遮ってやる。これからこの子を妻のもとへ連れていく。

 

ようやく生まれた赤子はうまく泣けなかった。

小林聡美によく似た医師が小さな命の塊に酸素を送りこむ。小林聡美に似ていると信頼感がある。分娩室にはどやどやと人が入ってくる。赤子を治療する医師や助産師たちと、妻の腹にのこった胎盤に対処する医師たちに別れて、双方忙しくやっている。彼らのコミュニケーションには「なんで泣かないんだろう?」「胎盤どうなってる?」という疑問はありつつも笑顔も見られる。だからあまり心配はしなかった。とはいえ、想像していなかった出産になり面食らった。僕らの赤ちゃんがうえんうえん泣き、夫であり父になったぼくはわんわん泣き、妻であり母である女は笑顔でさらさらと泣くという出産風景を思い描いていた。誰も泣いてない、ぜんぜん泣けない!

 

エコーを使って胎児を見たときは胸がつまり少しばかり泣いた、陣痛に耐える妻がふと「この子を幸せにしてあげられるかな」「いっぱいしあわせになろうね」と息も絶え絶えに言ったときも鼻の奥がツンとした。ふだんは「いっぱいしあわせ」なんて言葉のつなぎ方をするような人じゃないのに。

しかし、子供が生まれてからは、まだ一度も泣いていない。妻はどうだろう、少なくとも僕の前ではまだ泣いてない。

 

赤ん坊が処置されているあいだ、妻は胎盤を引っこ抜かれていた。医師は膣に腕を肘までつっこみ、胎盤を直接つかんで引っ張りだす。ようやく赤ちゃんをひねり出したのに、腕をつっこまれるのはあんまりだ。実際、これがいちばん痛かったとのちに妻は言った。つっ立って妻の頭を撫でてやることしかできないぼくは、赤ちゃんに目がいきつつも、妻を気にかけることにした。

 

赤ん坊は肺気胸をやらかしていたらしく、けっきょく別の病院に運ばれることになった。うまく呼吸ができないらしいので、ベッカムカプセル的な装置に入れなくちゃならないらしい。設備が整っていると考えてこの病院を選んだのに、ここにはベッカムカプセルすらなかった。

誰もがそんなものかもしれないが、自分の子供が他病院のNICU行きになるとは思わなかった。

 

そういうわけで、わが子を満足に抱くこともなく、僕らははなればなれになった。救急車に乗せられるわが子を、車椅子に座る妻と見送った。僕らの子供なのに、僕らには何もできないというのがおかしかった。こういう無力感をこれからなんども味わうのだろう。

 

5日経ち、ようやく娘を生まれた病院に連れて帰った。ぼくはひとりで赤ん坊を引き取り、タクシーに乗って、妻の待つ病院に向かった。緊張する。いつもの猫背も自然と正される。「揺れない道行きましょうか?」というタクシー運転手のやさしい申し出を断り「できるだけ早く着くルートでお願いします」と言う。このもろい生きものとふたりきりの時間はなるべく短いほうがいい……。

 

タクシーを降り、病院に入る。緊張しているから、背筋はまっすぐ伸びたままだ。ロビーにはたくさんの人がいて、幾人かが小さな娘と僕を交互に見る。恥ずかしくなってうつむきながら歩く、胸元の赤ちゃんを見つめる、天窓から差しこむ光は娘の薄いまぶたを貫く、光を遮ってやるために僕は猫背に戻る。

この子のために、僕が自発的にやったはじめての行動は猫背だった。

 

夜が来た。妻と娘を残して僕はひとり川沿いを歩き駅へと向かう。家に帰る。猫が飯をねだって足元にまとわりつく。洗濯機を回し、エサをやり、缶ビールを空け、ソファに座る。Lampの『ゆめ』を聞く。1曲目「シンフォニー」が沁みる。なぜか無性に寂しくなる。妻と娘がはじめていっしょに夜を過ごす、そのことを思うと、孤独を感じた。ちょっと泣きそうになる。

 

出産はある種の失恋だ。ぼくと妻は失恋した。これからは親としてパートナーとして歩いていこう、恋も思い出しながら。

しかし、陣痛中の妻は綺麗だった。弱々しい目元、青白い肌、垂れ下がる前髪。いつもはわりとハツラツしている妻が見せた衰弱と薄幸感に僕は欲情してしまった。

そんなふうに、ときおり変化を見せる僕らは失恋してもまた恋を再開するだろう。何はともあれ、ひとまずご苦労さま。これからいっしょに、子育てがんばりましょう。たまにはふたりでお出かけしたいよ。

 

小沢健二「春の空気に虹をかけ」雑感。見ること見られること

小沢健二のツアー「春の空気に虹をかけ」は初日の国際フォーラムと日本武道館1日目に行った。

国際フォーラムのあと、同じ会場にいたという友人と話す機会があって彼は「国際フォーラム良かったけれども『魔法的』のほうが何回も見に行きたいツアーだったよね」と言ってて深くうなずいた。2年前の魔法的ツアー、ぼくははじめてのオザケンライブということでドキドキした。そしてなによりも、ファンの誰も聞いたことのないすばらしい新曲たちが矢継ぎ早に放たれていく事件性にえらく興奮した。小沢健二を見るうえでは「魔法的」のほうが今回の「春の空気に虹をかけ」よりインパクトは大きかった。

しかし今回のライブは36人編成のファンク交響楽団だった。36人のなかには満島ひかりもいる、あの満島ひかりだ。今回のライブは、小沢健二だけを見るのではなく、アルペジオで名前を呼ばれた36人全員(プラス、カメラマン)を見るものだった。そう考えれば「魔法的」同様に「春の空気に虹をかけ」も間違いなく事件だった。こんなに多くの登場人物に視線を注ぐよう促すなんて、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』かよ。

国際フォーラム、ぼくは19列目で、そこはステージからとても近くはないけど、それでもあの満島ひかりと同じ空間にいるという実感はほかのアーティストからは得られないものだった。かけがえのない満島ひかりの神聖さ。あらゆる邪を知ったうえで彼女自身のたゆまぬ努力と類まれな才能(なんて凡庸な表現なんだろう、「たゆまぬ」と「類まれ」で片付けられるものじゃないよな)のうえに築かれた、ような神聖さ。それはなんとなく、凡なぼくらにも想像できるじゃないですか。

iTunes小沢健二満島ひかりの対談、あの傘のエピソードには鳥肌がたった。こんな感性があるんだ、と素直に驚いた。「いちょう並木のセレナーデ」の静かな感動は、ステージに座り弾き語る小沢健二に、満島ひかりが傘を差してやったことにある。人びとの視線を遮る雨傘のなかが好きだと言った満島ひかりが、そのバリアで小沢健二を守る。この演出によって「いちょう並木のセレナーデ」の親密さは際立った。「いちごが染まる」での謎なパフォーマンスもそうだけれども、今回のオザケン満島ひかりに守られているように見える場面があった。「ある光」は満島ひかりが歪んだギターで先導し、「フクロウの声が聞こえる」では照明まで操ってみせた。

人の視線に晒されるということ、その快楽と不快の両方を文字通り痛いほど知っている人間が、国際フォーラムの5000人、武道館の10000人の視線を受けとめて、普段やってる演技とは異なるパフォーマンスをすることを今回引き受けた。しかもあの小沢健二の横で。偉大なミュージシャンとパフォーマンスすることへの溢れる喜びと強烈なプレッシャーは想像を絶する。

しかし、この日の満島ひかりは見られることに終始しなかった。自らの手に持った小さなミラーボール(?)でスポットライトを乱反射させ、会場の人間ひとりひとりを照射した。ひかりにあてられたときぼくは、彼女の放つ光を浴びる喜びに浸る一方で、ぼくも満島ひかりの目に映る存在なのだと気づき少なからず緊張した。ぼくらは一方的に見る存在ではなく、見られる存在なのだと思い出した。ぼくらは見られるように振る舞わなくてはならない。きちんとしていなくちゃならない。人はよく勘違いするけれども(特にこんな時代には)、見るほうは決して主体じゃない、視線を受けるほうがいつだって《主》だ。

オーディエンスにシンガロングを執拗に求め、踊りに誘う小沢健二からも、主体的であれというメッセージをぼくは受け取った。そういえば初日が終わった後の楽屋からの中継、満島ひかりはお客さんの顔が思ってた以上によく見えた、と言っていた。

 

国際フォーラムでは砂かぶり席だったこともあり、小沢健二満島ひかりの目に映るかもしれない自分が少し恥ずかしくなって、集中の途切れる場面もあったけれど、武道館は2000円席だったから高みの見物でライブを把握するにはよかった。「魔法的電子回路」の彩りや人びとの表情をうかがうには最高のポジションだったし、なんなら音も国際フォーラムよりもずっと良く聴こえた気がした。でも、やっぱりスタンド席に座って見るライブでぼくはオーディエンスでいつづけることになった。「フクロウの声が聴こえる」のサイケな極彩色の照明を浴びながら音の洪水にまみれる体験は、武道館のスタンド最後方よりも、国際フォーラムの砂かぶりのときのほうが気持ちよかった。

とは言ったものの、スタンド席でも常に歌い踊る人はけっこういて、ファンク交響楽団はしっかり武道館中を熱狂させていた。ぼくがまだ見られる側になれなかったというだけだ。自意識の問題……。

 

先日「今度、小沢健二見に行くんですよね」と自慢げに言ってみたら「でも、世代じゃないよね」と言われた。

武道館2日目(ぼくは行かなかった)、「私はオザケン世代じゃないので」という満島ひかりの話を受けて小沢健二は次のように言ったという。

 

 

まったくその通りだな。「世代を越えて愛される」なんて言葉すら拒否する強度のあるMCだ。

 

 

 

 

はまちはらみ

さいきん昼夜逆転気味だったこともあって、昼過ぎまで寝た。それまで一度も目を覚まさなかった。妻も低気圧にやられてか体調が優れないようで、同じタイミングで目覚めた。もう臨月だ。

起き出してすぐ、お腹か空いたという妻とコンビニへ向かう。月刊になったテレビブロスの重みに驚きパラパラめくっていると妻が「お腹空きすぎた!食べて帰ろう!」と言い出したので笑ってしまった。そのまま近くの回転寿司に行く。妻が、ぼくの頼んだはまちはらみをレーンから取り、首を傾げながら自分の手元に置いたので「それ、俺が頼んだ」と言うと「まちがえた」と言ってはにかんでいたのが、おかしかった。

いつもはタッチパネルを一緒に見ながら注文を決める。今日はなぜか各々で注文していたので、互いの注文内容がわからなかった。それもあって彼女は自分が注文した覚えのないものに首を傾げたんだろうけど、だったら「注文した?」とぼくに聞くのがごくふつうの流れだ。なのに、注文した覚えないけどまあいっか、と自分のものにして食べてしまおうとした彼女が非常に良かったなと思ったので今日は久しぶりにブログを書いてしまいました。

はまちはらみの味は覚えていない。

 

 

風が強い

今年の春は風が強いように感じるが、昨秋引っ越してきたこの土地が風の通り道として優れているからそう感じるのか、それとも東京でも風は吹き荒れているのかがいまひとつわからない。天気予報はたしかに「風に注意」とばかり言うが、東京の風もこれくらい強いのだろうか。わからない。

この町を気にいったのは風がよかったからだ。昨夏はじめて来たとき、海へとつづく一本道を吹き抜ける風がとても気持ちよくてここに住んでもいいかもしれないと思ったのだが、いざ秋に越してみると、その風は体感温度を下げ私たち夫婦の体と心をひどく強張らせた。やっと冬を越し春が来たが、今度は「春の嵐」というやつがおそろしく響く。夜半を過ぎた先ほどから、風が急に強くなりはじめた。木造アパートは風に揺れる。鳴る風を聞いてると、波を越えていく船のなかにいるような気がしてくる。そういえば、去年まで住んでいたワンルームは鉄筋コンクリート造だったからだろうか、風の音が気になったことはなかった。

 

二週間ほど前、通りを挟んで二軒隣の家が全焼した。通りは車一台が余裕を持って通れるほどの幅だから、火事は私たちの部屋から10メートルほど先のできごとだった。寝室の窓から様子を眺めていたが、やがて白煙は窓を覆い、視界はなくなった。あの日、今日くらいの風が吹いていたら、この部屋も燃えていたかもしれない。その日の前後は今日のような強風の日も多かった。不幸中の幸い、という言葉を妻との間で使っていたが、燃え盛る我が家を泣きながら眺める女性の姿のせいで、そのような物言いをした自分を少しだけ後ろめたく思った。二時間ほど燃えただろうか、鎮火した後にはあたり一帯に焦げた匂いが残り、私たちの部屋のなかに吊るされた服にも、その匂いはこびりついた。

 

ウエルベック『プラットフォーム』を読んだ。突然失われる未来を見せつけられ慄然とする。人は何を語っていても、どんなに先進的に生きて(いるつもりで)も、享楽をむさぼって満足しても、一瞬後には肉塊になるかもしれず、というか一瞬で肉塊になれたならまだ幸せなほうで、手足がもがれ苦痛に叫んだり、肉塊と化した愛する人を抱かざるをえないという劇的な瞬間が誰にでも起こりうる。それがテロの時代であるし、日本だったら地震や台風であろうし、いま私たちが住む海辺の街だったら津波かもしれない。

 

あの火事の日、火の手が通りを越えなくて本当によかった。風のない日でよかった。「よかった」は自分のたちの身に火の粉が降りかからなくてよかったであり、燃えおちた家の住人たちと私たちはこの「よかった」によって完全に分断される。

風は分断を吹き抜ける、あなたの耳にもこの強い風の音が聞こえているだろうか。

仕事たのしいです。

ニートのころは仕事がこわかった。バイトもろくにしたことがなくて、自分には何もできないと思っていたし、人から教わるのも叱られるのもイヤだった。

でもいざ教わったり叱られたりすると、案外素直に受けいれられるし、ありがたいとすら感じる。「仕事でしか関わらない」みたいな人間関係の美しさみたいなのもあるかもしれないとまで思いはじめた。

もちろん、理不尽だなと思うことはごく稀にあるし、至らない自分にイラだったり、単純に疲れてダウナーになったりもする。妻にはグチばかり言ってるような気がする(申し訳ないしかっこ悪いのでやめたい)。

しかし、渦中にいるときはしんどくても、次はもっといいものを作ろうとちゃんと思えてる自分に自分でビックリした。俺は、何でもかんでもすぐに投げ出す人間だったから。

 

投げ出さなくなったのは妻の存在が大きい。妻がいなかったらバックれてた取材、「やっぱり無理です」と言って投げ出す原稿、もう俺には構わないでくださいと断ち切る関係があった。ニート時代の俺だったら最後までやり通さなかったであろうことがいくつもあった。

でもなんとか、今のところは周りの人に助けてもらいながらやれている。それは妻がいるからだ。
妻とこれから生まれてくる子供のために稼がなくてはならないという責任があるからというのもある。でもそれ以上に俺は、俺について彼女を失望させたくないからやってるんだと思う。彼女を失望させたら、俺は人として終わる。

正直、俺の働きぶりはまだまだ足りない。金が足りない。もっと稼がなくてはならない。「仕事たのしい」とか言ってる場合じゃない、たのしくなくても粛々と手と足と頭を動かして、稼がなくてはならない。

でもまあ、はじめて仕事をたのしいと思えてるので、今夜だけ。