ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

美しいぼく

ぼくはずっと不幸を知りたかったのだと思う。だからニートになったのだろう。でも、それが偽りの不幸だとしても、アナグラにいちど落ちると、這い上がるのはなかなか難しい。そこは暗くて孤独でつらかった。ぼくはたまたま書くことで誰かと繋がれて、その先には結婚まであった。ラッキーだ。今はもう、ただただしあわせが継続することを祈りつつ、PCを凝視し、指を動かしつづけている。

「世の中はくそったれ」らしい。ぼくにはそのことがよく分からない。このブログで何回か「世の中はクソだ」的な物言いをしたことがあるけれども、それは本心ではなかった。いや、瞬間的には思ってたのかもしれない。でも、ぼくは絶望を知らない。誰かが世界に向けるくそったれの嘆きをなぞっていただけだ。

不幸を経由しないと、高みに登ることができないと錯覚していた。
中流家庭集団のトップに位置する家庭でぬくぬくと育ててもらい、なんとなく上京して大学に通い、テキトーにスクールライフをうっちゃってる自分が心底イヤだった。不幸を知らないぼくが、自傷的にニートになったというのが、これまで人生に対するひとつの視点だ(そもそもニートという選択がぬるいということにも、当時のぼくは気づいてなかった)。
もちろん、他の視点もある。けれども、そんなことはもういちいち書かない。問題はいつだって複合的で、だから立ち止まったぼくらは問題をためつすがめつし、それをぐるぐる周回してしまう。でも、大抵の場合は問題から離れてしまった方がラクになれる。そのとき軽い気持ちで振り返ってみれば、岩山は全体像を明らかにする。そうだ、問題は岩山のようなもんだ。ハナっから登れるわけない山を眺めて、どうやって征服すればいいんだ、と懊悩する時間とたわむれていたにすぎない。もちろん、登れる人間もいるんだろうが、ごく限られた人間だけだ。
ニートだったころの自分をかんたんに思い出せる現在地よりも、もっと遠くに行くまで、あのころのことなんか振り返るべきではないのだ。時間もないのだし。高く登ることだけが価値じゃない。

 

ぼくには世の中がくそったれだという意味がよく分からない。社会はたしかにくそったれなのかもしれない。いろんな酷いことが起きている。でもそれはニュースの話で、ぼくのリアルはぜんぜん汚染されていない。
社会なんてクソみたいなもん肥料にして、世界はもっと咲きほこっているように思える。平和ボケなんだろうか。

ぼくは27歳なのに、いまだに社会をよく知らない。いままでそれをコンプレックスに思っていたけど、たぶん幸運なことなのだ。幸運はこれ以上はつづかないのかもしれない。ぼくはこれから、クソを見ることになるのかもしれない。
まあ、そのときはナイーブに嘆いてみせよう。そのためにも、いまのこの肺を清く保っておきたい。何も自らすすんで粉塵を吸いこむ必要はないのだ。ぼくは美しい。

 

そういう気分なんです。

 

 

 

 

 

トイレは落ち着く

トイレに入ってるとドアの向こうで猫が鳴く。鳴かれながらだと、トイレでゆっくり、なんて気持ちにもなりにくく、用が済んだらさっさと出てしまう。

 

トイレに長居してしまうタイプだ。トイレは落ち着く。これはひとり暮らしの時もそうだったし、外で用を足すとき変わらない。狭い個室のなかは、いつでも出られるという保証がある場合にはとてもリラックスできる。本を読んだりスマホを見ていたりすると、あっという間に30分はすぎてしまう。

タモリが「トイレで読書は理にかなってるんだよ、出しながら入れるから本の内容が頭によく入る」みたいに言ってるのを聞いて、トイレで本を読む自分は間違ってないんだと思った。

 

「トイレに長居」は、お尻によろしくないらしい。便を出そうと力んでなくても、パンツをおろして便座に座れば自然に肛門に圧がかかるとかなんとかで、痔になりやすいとかなんとか。ぼくは痔持ちなので「トイレはサッと済ませてください」と医者に言われるのだけれども、トイレはやっぱり落ち着く。ぼくにとってトイレは喫煙所みたいなものなのかもしれない。

 

ぼくや妻がトイレに入っていないときも、猫はトイレの前に座って鳴くことがある。トイレのドアをガシガシと叩いたりもする。猫もこのトイレで落ち着きたいのかもしれない。自分のトイレは落ち着かないのだろうか。自分のおしっこやうんちまみれの砂の上ではリラックスできないか。ぼくはやっぱり和式便所だったら用が済んだらすぐに個室を出てしまうな。

ビール飲みたい

痔が悪化したので、病院に行って処置してもらった。それが1月4日のことで、それ以来酒を飲んでいない。もう5日目になる。

飲みたい。ビールが飲みたい。さっき、尾野真千子が瓶ビールをビールグラスに注いで飲んでいる映像を見てしまって、羨ましかった。

 

ビールの何がおいしいんだよって子供に聞かれたら僕は「子供にはわかんないだろうなあ」と薄ら笑いを浮かべてごまかすだろう。あれをどうしてうまいと感じるのか、僕にはてんでわからないからだ。理由はわからないけど、やっぱりビールはうまいと思う。単に中毒な可能性もあるけど。

 

酒を飲まなくなると、代わりに清涼飲料水を飲んでしまう。コカコーラ、ジンジャーエール、スプライト、リプトン、そういうのを飲んでしまう。

今日は朝のゴミ出しのついでにコンビニに寄って、午後の紅茶 レモンティー ホットを買った。帰りながら飲んだ。これが、ぜんぜんおいしくなかった。

午後の紅茶 レモンティー ホットは、甘ったるいだけの生温かい砂糖水で、そこにはレモンの風味なんてちっとも感じられないし、それどころか紅茶を知覚することもできなかった。あんなに好きだった午後ティーのことが、もうこれっぽっちも好きじゃなくなってた。中学生のころからずっと飲んでた午後ティー、その味がもうまったく受け入れられないのだった。

午後の紅茶 レモンティー ホットが気に食わないのは、甘ったるくて、「レモンティー」と銘打ってるのにちっともレモンも紅茶も感じられなくて、「おれはいったい何を飲んでいるんだ」という不安にさいなまれるからだ。単純明快。

 

午後ティーが受け入れられなくなった理由は説明できるのに、ビールを好きな理由はぜんぜん説明できないのは、なぜなのか。説明できる気がしない。というか、ビールを飲めない今、僕はビールの味を思い出すことができない。ひょっとして僕はビールをちゃんと味わったことがないのかもしれない、とまで思えてきた。「ビールはのどごし」だなんていうけど、確かに僕は舌で感じてなかったのかもしれない。はやくビールを飲んで、ビールのことを思い出したい。

 

ビールを飲んでいる時間はあっという間に過ぎ去り、飲めないときにはひたすらに恋しくなる。

今度ビールを飲めたそのとき、僕がその味を「とらえるぞ!」と力んだと同時に、ビールはするするっと喉の奥に逃げていくんだろう。それを僕はきっと好ましく思うだろう。

もしかしたら僕は、ビールそのものではなく、ビールを飲むという行為を好いてるのかもしれない。「恋に恋してる」みたいな少年少女のように。

 

酒を飲まなくなって5日目、指のむくみがとれたのか、結婚指輪がゆるくなったような気がする。

正月とおじさんとクロちゃんのこと

年末年始を実家から遠く離れたところで過ごすのは初めてだ。去年は大森靖子のカウントダウンライブに行ったので、年越しの瞬間は東京にいた。でも1月2日には沖縄の実家に行ったので、東京で年末年始を過ごしたという気分にはならなかった。

今年は妻とふたり、東京から少し離れたアパートで年末年始を過ごしている。猫もいる。

人生ではじめて年越しそばを食べた。沖縄にいるころは、沖縄そばを「年越しそば」と呼んで食べていたのだけれども、今年はそば粉でできたそばを啜った。沖縄そばよりも啜りやすくて、「麺を途中で噛みちぎっちゃダメ」という教えを守りやすかった。沖縄そばは太いので麺の半ばで噛みちぎりたくなる。

妻はお雑煮も作ってくれた。濃い味でとてもうまかった。

 

コンビニに行こうと家を出たら、いつもより上手なピアノの音色が聞こえてきた。どこかの家に、いつもピアノを弾いてる少女よりも、おねえさんのピアニストがやってきたのだろう。きっと、その家の少女はいとこのおねえさんに憧れてピアノを始めた。一年に一度、会うお姉ちゃんの音色を追いかけて、少女はピアノを毎日弾き続けているんだろう。昼間、家の中で過ごしていると聞こえてくる拙いピアノの音色が、いっそう愛おしくなる。

 

コンビニでは若い男が4人して酒を物色していた。「そんなに飲まねえよ、明日おばあちゃん家行くんだよ」と言っている男がひとりいる。きっと大学生の彼らは、ふだんはちりぢりで、今日は近況報告しながら酒を飲むんだろう。

 

今日は焼肉を食べに行った。寝正月なので、久しぶりに外気に触れると、とても清々しい。焼肉屋はにぎわっていた。近くのテーブルではどこかのプロチームに入団が決まったサッカー選手がいた。マネジメントはどこの会社なのかとか、マレーシアでは月給200万円もらえるらしいとか、なんだか具体的な話をしていた。

 

正月早々、「メンヘラおじさん」について考えなくてはいけなくて、少し気が滅入る。手はじめに鈴木涼美『おじさんメモリアル』をパラパラと読んでいたら、暗澹たる気持ちになる。


「性と愛を混同して病む男」とか「顔が若干よかろうが脂ぎっていなかろうが禿げていなかろうが、等しくオヤジはオヤジであり、オヤジはオカネである」、「おじさんの『俺が女にしてあげる』癖はひどくなる一方だった」などなど、キラーフレーズが満載。
僕もすぐにおじさんになる、というか、メンタリティーはわりとおじさん寄りだと思う。


結婚してよかったことはたくさんあるんだけど、そのうちのひとつに「恋愛から降りられてよかった」というのがある。もう僕は妻以外の人間と恋愛しなくていいのだと気づいたとき、とてもラクになれた。
不特定多数の女性により良く見られたい、つまり「モテたい」と思って空回りしなくて済むのだ。別にモテるために努力したことはないけど、女性と相対するときはやっぱり変に意識してしまって、気の利いたこと言わなきゃとか思ってしまったものだが(言えた試しがないのに)、これからはそんなことを一切気にしないで生きられるのだ。


年末「水曜日のダウンタウン」の「フューチャークロちゃん」に笑いながら「これは俺のことだ」と思った男性は少なくないはずだ。
ヒコさんはかつて「クロちゃんの”歪さ”に対して、何かこう根源的なシンパシーのようなものを覚えてしまったのだ。だって、私も貴方も、ああならないとは言い切れない」と書いていた。

すごくよくわかる。クロちゃんは《男》の業を煮詰めて固めた結晶体だ。
僕に小金があったら、クロちゃんみたいにバカラのグラスをプレゼントしていただろう。
この歳だから間接キスに対してなんの思い入れもないが、小学生のころはやはりあの娘の「リコーダー」に対して欲情の萌芽を感じた。
クロちゃんの嘘ツイートのように、いつだって自分のことを実際より少し良く見せたいと思ってしまう。

クロちゃんがすべてをさらけ出してくれるおかげで、僕らは凡人は救われているのだと思う。
レイちゃまにフラれたあと、タクシーの後部座席でうなだれるクロちゃんの姿に、『マスター・オブ・ゼロ』のデフを重ねてしまってグッときた。

 

なんだか、おじさんの話をしてしまったがために、書きはじめたときの目論見とは違うところに文章が進んでしまった。

あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。

2017年、このブログで思い入れのある5つの記事(プラス1)

ブログを書きはじめて2年目。今年は1年目の半分しか記事を書けなかった。今年の半ばあたりから、フリーライターとしてぼちぼち仕事をもらえるようになったことや、今年のはじめ、恋人ができたことが理由だ。恋人とは11月に結婚したので、いまは妻である。

仕事で文章を書くようになったことで、ブログに割ける時間、体力、気力が減ったこと。そして恋人ができて孤独から脱出し、ブログで孤独に酔う必要がなくなったこと。それがここに文章を残す機会が減った理由だ。

 

でも、100記事以上は書いたので、今年思い入れのある記事をここにまとめておく。

 

僕の幻を実現させた恋人との散歩についての文章。付き合い始める前から、僕らはよく歩き、よく飲んだ。いっしょに歩いて楽しい人となら、一生いっしょにいられるな、と思った。いま、妻とはとても風の冷たい町に住みはじめたこともあって、なかなか散歩の機会には恵まれてない。春が来たら、また歩きたい。

 

これも同じく散歩記事だけど、これは一人きりの散歩。読み返して、この記事はとてもよく書けていると思った。同時に、僕はもう当分こんな散歩をすることはないのだろうな、と少し寂しい気持ちにもなった。ニートだからできた、気楽な甘く切ない散歩だ。このころの僕はまだ、世界の傍観者だった。今はひとりのアクターとしてあくせくしている。別に、この時代に戻りたいとは思わない。ひとつの区切りがついたんだな、という感慨がある。

 

これは大森靖子さんとYogee New Wavesの件が炎上したときに書いたものだ。僕はまったくYogeeに思い入れがなく、大森さんにしか感情移入しようがなかったのだけれど、インターネットでは「大森靖子ファンはもっとお互いの言い分とかちゃんと読んでから発言した方がいいと思う」みたいな冷ややかな発言が飛び交っていて、とても違和感を持ったのだった。
僕は、大森さんのファンだし、大森さんには恩すら感じているし、どんなことがあっても、大森さんと反対側に立つことはないと思う(大森さんからしてみたら、反対に立ってしまってることはあるかもしれない)。
その人のことをほんとうに愛してるなら、その人に非があるときは、ちゃんとたしなめないと、とかお利口なこと言う人にはアホかよって思う。愛は歪だし、愛している人が傷ついてるときには、たとえその人が過ちを犯した結果傷ついてるのだとしても、まずは寄り添いたいと僕は思う。愛っていうのはそういうことだと思うのだ。
それに大森さんはこのとき何も間違っちゃいなかったのだからね。
余談ですが、Yogee New Wavesに言及するときに「Yogeeなんちゃら」と書いてしまう人にも首を傾げてしまう。そういうのは、ちょっと下品だなと思います。

大森靖子「私は、死ぬことの希望よりも生きる方を選んだ」 「大森靖子VS大森靖子&シン・ ガイアズ」ライブ・レポート – DE COLUM

あと、大森靖子関連でいうと、今年はついにライターの仕事して、大森さんのライブレポを書かせてもらえたのが、本当に嬉しかった。
このライブに赴く前、僕は妻と婚姻届を出しにいったのだった。
ライブレポの仕事が決まる前から、11月22日は、婚姻届を出してから、大森靖子のワンマンに行こうと、妻と約束していた。だから、大森さんのライブレポ書きませんか?と媒体に言ってもらえたとき、実は少しためらってしまった。結婚という人生の節目の日、妻と二人きりでライブを見るはずだったのに、それが叶わなくなってしまう。それは少し寂しいことじゃないか。
でも妻は、「大森さんだよ!他の仕事だったらともかく、一番好きなアーティストについての仕事ができるチャンス逃しちゃダメだよ」と言ってくれた。

結果、多くのファンの人に読んでいただけたし、大森靖子のバンマスを務めるsugarbeansさんには、「とても素晴らしかったです!ちゃんとやっていることが伝わっていて、音楽やっててよかったと思いました。ありがとうございます」とまでリプライをもらえて、感無量でした。ほんとうに嬉しかったな。
2017年11月22日を裏切らないように、一生を生きていきたいと思う。

 

結婚しました、と報告したら、思っていたよりも多くの人に「おめでとう」と言ってもらえて驚いた。人びとに混じりけなく祝われた経験がなかったので戸惑うと同時に、とても嬉しかったです。僕は何かを頑張って達成したり、成功したりしたことがないので、お祝いの言葉をかけてもらったことがなかったのだ。
ブログを書きはじめた2016年1月、2年足らずで結婚するとは思わなかった。でもまあ結婚は愛し合っていて、紙さえ出してしまえばできちゃうわけなので、結婚はここから先が大事なんだろう。大森靖子の楽曲「オリオン座」には《最高は今 最悪でも幸せでいようね》という歌詞がある。結婚する前からずっと最高なんだけど、長く連れ添っていれば、「最悪」だなって日もあるだろう。それでも幸せでいられるように、毎日を共に生きていきたい。

 

最後はこないだのこれ。ブログを書きはじめてからの2年弱をわりと丁寧に書いてみたつもりです。きっかけはなんであれ、手を動かしはじめてから、僕の人生は動きはじめた。立ち止まることに意味を見出してしまってはいけない。時には立ち止まることも必要なんだけど、立ち止まりすぎると、久しぶりの一歩を踏み出すのがとにかく億劫になる。
この記事を書けたから、僕はニートだった自分を忘れずに済むだろう。

 

いろいろ思い入れのある記事をあげたけれども、ブログの記事に限っては2〜3時間で書き上げたものばかりだ。来年はもうちょっとがっつりと文章を書いてみたい。下書きして、寝かせて、書いて、推敲したい。書くことは生きることだ、とか言ってみたいので。

 

よいお年を! というか、よい年にしましょう!

あ、あと、結婚してお金が欲しいので、何かライター仕事ありましたらお声かけください。

僕ん家の猫はキジトラ

おととい猫が病気した、膀胱炎。

おとといの前日から、猫はあんまりおしっこをしなくなって、元気をなくしていた。夜には粗相をするようになって、おとといの朝、僕はおしっこのにおいで目を覚ました。

もうまったく元気がなくて、気が気でなくなり、ネットで調べた。猫が一日おしっこをしなかったらすぐに病院に連れていってください、とばかり書いてある。死にも直結する事態らしい。午後一番で病院に連れていくことにした。病院が開くまでのあいだも、猫はぐったりするか、トイレに行くかだった。でもトイレでは排尿できないらしく、フローリングやソファの上で漏らしてしまうのだった。

 

僕は、4歳になるこの猫と暮らしはじめて、まだ3ヶ月。妻の連れ猫である。
だから、できれば妻といっしょに動物病院に行きたかった。妻もそうしたがった。
でもその日の妻は、もともと仕事が休みだったけれども、体調がすぐれず、ふせっていた。けっきょく、午後になっても妻はとてもだるそうで、僕はひとりで近所の動物病院に向かうことにした。僕ひとりで猫をゲージに入れるのは無理なので、妻に手伝ってもらった。

 

近所といっても、歩くと10分くらいかかる。病気の猫を歩いて運ぶのは心配だから、タクシーを呼んだ。僕は車を持たない。

 

病院に着き、猫の情報を問診票に書く。しかし、僕は彼の毛の色もわからないので、空欄で出した。オスで4歳で、昔になんらかのワクチンを打ったらしいことだけしか分からない。
診察室に入り、診察台の上に猫を乗せた。とりあえずカテーテルをいれて、尿を抜くとのことだった。尿と血液の検査をする。腎臓に影響が出ていないか調べられた。

オスで去勢された猫の尿道はひどく細く、もろいという。水を飲む回数も減ってしまう冬には、尿が濃くなって結晶ができる。このとき猫の尿はキラキラするという。キラキラしても、猫の尿はとても臭う。

 

カテーテルで尿を抜いていく。注射器5〜6本分の尿が取られた。そのあいだ猫はぐったりしている。診察台に乗せるとき先生に「この子はどんな性格ですか?」と聞かれて「ちょっとわんぱくかもしれません」と言ったのに、借りてきた猫状態だ。かわいそうになる。尿を抜いている先生に「今すぐどうこうってことは、ないですよね?」と聞いてしまう。自分の口からそんな言葉が出てくることにびっくりしてしまう。大丈夫だと思いますよ、という言葉に、比喩ではなく、胸をなで下ろしてしまった。


細い足に注射器を射されて血を抜かれ、首の後ろにも何本か注射され、なんらかの薬を投与された。抵抗することもなくぐったりした猫を見ていたら、泣けてきてしまった。彼の前両足を抑えていたのだが、その弱々しい顔を見てると申しわけないというか、かわってあげたいとまでは言わないけれども、いたたまれなかった。こんなことで心をかき乱されるとは思っていなかった。

 

もろもろの治療が終わり、会計する。食事療法になったので、キャットフードももらう。受付で「2万4千円になります」と言われる。2万円しか持ってなかったので(これでも多めに持っていったつもりだった)、後日払いにきますと言って、猫の入ったゲージを持って外に出た。
行きとは違って、タクシーを呼んでいなかったので、日暮れの強い海風を受けながら、早足で自宅に戻る。いちど腕が疲れてしまって、ゲージをアスファルトの上に置いたとき、「なんだか猫を捨てるみたいだ」と思ってしまい、慌ててゲージを引き上げた。

 

妻に報告したあとで、毛色が分からなかったと言ったら「キジトラだよ」と教えられた。
まだ動物病院に治療費を払いに行けてなくて、なんだかお金が惜しいような気がしてしまっているのが、我ながら現金だなと思う。明日、2万4千円、払いにいきます。
僕がもっと稼げばいいだけの話なのだから。

 

猫はすっかり元気になりました。 

ブログは、ニートだった僕をとりあえずここまで導いてくれた。

ずっと変わるのが嫌だった。いまの自分から変化したら、過去の自分を否定することになると思っていたからだ。

 

大学を卒業してから、ずっと働いてなかった。大学生のとき、就職活動に失敗した、というか、きちんと挑戦しなかった。

気が向いたらエントリーシート書いて、出して、通ったら筆記受けて、面接で落ちる。対策しないからだ。面接練習が恥ずかしくてできなかった。友人が「面接練習いっしょにやろうぜ」と言ってくれたのを(たぶん、彼も勇気をふりしぼって僕を誘ってくれたのに)、僕は断った。学校の就活サポートにもまったくいかなかったし、僕は就活にぜんぜん熱心じゃなかった。

 

けっきょく、就職したいという気持ちよりも自意識の方が勝っていて、就活仕様の自分に変化するのがイヤだったのだ。変化をイヤがることの方がよっぽどダサくて恥ずかしいことだって薄々気づいてたけれど、薄々じゃダメだった。

 

もちろん内定をもらうことはなく、卒業した。

卒業してからの日々、バイトするでもなく、趣味に逃避するわけでもなく(そもそも趣味がない)、コンビニで買ってきた弁当と菓子をむさぼり、過食にふけった。くだらないオナニーばかりしていた(この世には《くだらないオナニー/まっとうなオナニー》の厳然とした区別がある)。昨日も今日も明日もなかった。延々といまがつづいていた。変化のない日々。

 

それでも、無駄にする日々が積み重なると、そんな時間すらも愛おしくなるもので、僕はこの無為の日々が堆積したうえに、自分の未来がそびえなくてはならないと盲信してしまった。だから、停滞を良しとしてしまった。このあたりの論理の飛躍はなかなか説明しにくいものがある。

過去と断絶して、突然未来が切り拓けてしまうのは、過去の自分に対する裏切りだ、と思いこんでいた。完全な視野狭窄に陥っていた。

 

僕は、毎月故郷の母が送金してくれるお金で、東京に居座った。母は僕が夢に向かってまい進していると信じ、毎月仕送りをくれた。僕は「ちゃんと就活してるよ」と嘘をついていた。母は気づいていただろう。それでも、僕がほんとうに動き出すのを信じて待ってくれた。待ちくたびれたのか、母は死んでしまった。その母を、今年ようやく納骨した。

 

僕は東京にひとりぼっちで、誰も注意しちゃくれないし、客観のない世界で、自家中毒になっていた。延々とつづくなまっちょろい地獄のなかで、汚れたベッドの上で、苦しんでいた。

 

そんな僕を救ってくれたのは、このブログだった。書くことだった。

 

この「ひとつ恋でもしてみようか」を書きはじめたキッカケは、ズイショさんのこの記事だった。

 

 

これを読んでの僕はこんなツイートをした。

 

 

僕はこのとき、ブログを書くキッカケを欲しがっていて、ズイショさんのエントリは背中を押してくれたのだった。ほんとうは当時、ブログを読まれてチヤホヤされたいという功名心が大いにあった(だからいまライターになったわけです)。けど、「あくまでも『サードブロガー』ですから……」という体裁で始めたかったのだ。誰に向けたエクスキューズなのかもよくわからない、こういうのを自意識というんだ。

 

まあとにもかくにも書きはじめることには成功した。僕は孤独だったから、けっこう書いた。どうやったらより多くの人に読まれるだろう、と考えたことはなかった。自分の文章はおもしろいはずだ、と独りよがりに思いこんでいて、おもしろがれないヤツがバカなんだと思っていた。

 

ブログを読んでくれた人たちとツイッターでもつながるようになり、僕自身も他の人のブログを読むようになった。自分が書きはじめるまで、ブログを読む習慣はなかった。

 

あるとき、歌舞伎町でときどきスナックのママに立っていたはせおやさいさんが、「もし人と話したくなったら、遊びに来たらよいのではと思ってますよ」と声をかけてくれた。「このチャンスを逃したら、僕は一生社会に入れなくなる」と思い、意を決して歌舞伎町に向かった。沖縄出身ということだけでも覚えてもらおうと、新宿のどこかのデパートに入ってる沖縄ショップで、サーターアンダギーやちんすこうなどのお土産を買いこんで、緊張しながらスナックのドアを開いたのだった。

 

そこのスナックで出会った人たちが、いまの僕の人間関係のベースになっている。

そして、あのスナックで得た関係は、僕がはじめて学校以外の場所で獲得した人間関係だった。僕はバイトもしたことがない。

 

スナックのドアを開いてからの数ヶ月間で、かつて僕が自分に抱いていた期待や自信みたいなものは打ち砕かれた。僕はほんとうになにも知らなかったし(それはいまでも変わらない)、なにも経験してなかったし、なんのアイディアも生み出せなかった。周りの大人たちはみんなおもしろくて、自分を確立していて、楽しく生きようとしていた。彼らを見てはじめて、自分のくだらなさに気づいた。自意識過剰で、なにも決断できず、経験もせず、ていよく逃げる方法ばかり考えてきた自分の過去を悔やんだ。

 

 

悔やんだけれども、あのころの僕といまの僕はまだそんなに変わりばえしないんじゃないかと思う。僕はまだ、自意識をかなぐり捨てて、おのれの人生を一心不乱に進むことをしていない。

仕事もするようになった、大して稼げてないのに結婚した。

ブログを書きはじめてから、たった2年弱でこんなに人生は変わった。さあこれからどうしよう、妻とふたり生きていくためには、稼がなくてはならない。そこで僕は「自意識」なんてものにこだわっていていいのか。

というか、僕の自意識は中途半端だ。ほんとうに自意識が高かったら、こんな状態がみっともなくて恥ずかしくて、稼ぐためにもっとなりふり構わずやるはずだろう。

 

スナックで出会ったU次郎さんに「らさくん、ニートアイデンティティにしたらダメだよ」と言われたのが、ずっとちゃんとひっかかっている。

 

ブログは僕をとりあえずここまで導いてくれた、この先は僕が切り拓かないといけない。