ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

はい。

最近なかなか洗濯物を干せなくて、明日着るものがないからコインランドリーにやってきた。

僕の他に誰もいないコインランドリーはうるさいくらい明るく、絶え間なく鳴るモーター音は心地よくて、案外仕事がはかどった。10分くらい時間が余ってしまったので、ブログを書いている。

新居に越して2ヶ月弱。まだ勝手がわからない。
朝の早いうちはベランダに日が照りつけるのだが、11時くらいには屋根に隠れてしまうので、早起きして洗濯物を干さなくてはいけない。朝起きるのは8時くらいなので、そこから洗濯機を回しても干すのは9時過ぎ、全然乾かない。ちょっとでも天気の悪い日が続くと洗濯かごはいっぱいになる。だからこうやってコインランドリーに来ている。妻はともかく、僕の持っている服の数は1ケタなので、困る。

明日ようやくエアコンが家にやってくる。エアコンの良し悪しはインターネットでちょっと調べても全然わからなかった。どれもいい感じにしか見えない。エアコン、洗濯機、冷蔵庫といった家電は、テレビやスピーカーみたいなのと違って、具合を確かめることができないから困る。
だから結局人の言葉に頼るしかなく、だったらインターネットの顔の見えない人たちの声に頼るよりは、家電屋の顔の見えるおじちゃんの言葉を信じて、えいや!と買ってしまう方が、諦めがつく。インターネットで口コミを見続けていると、どいつもこいつも違うこと言いやがってるので、混乱する。
エアコンを買った後、イヤフォンが壊れていたので新しいのを買った。こちらはイヤフォンをiPhoneにさせば自分好みの音を探せるので、思う存分一人で悩むことができた。視聴するときに使った音源は大森靖子の「draw(A)drow」でした。

ここまで書いたところで乾燥機がピーピー鳴き始めたのでおしまい。

 

ふたり

結婚しました。「夫〜〜〜!」、「妻〜〜〜!」と言い合うのにハマっている。

 

結婚する前から一緒に住んでいたので、劇的な変化はない。でも、結婚報告をするたびに「おめでとう」と言われ、おめでたいんだなと少しずつ実感する。なんでこの人たちは、僕なんかのしあわせを「おめでたい」と思ってくれるんだろう、と不思議に思う。

 

妻は僕の人生を変えてくれた。去年の10月くらいまでは、ほんとうにまったく働かず、日々をベッドの上で溶かしていた僕を徐々に社会へと接続してくれたのが彼女だ。妻は世の中には楽しいことがたくさんあると、僕に教えてくれる。僕のポテンシャルを信じてくれる。僕を見守ってくれる。僕を愛してくれる。最高だ。

僕も妻の人生を変えた。緑道で佇む彼女の姿が忘れられない。煮え切らない僕に小さい体でしかし真剣な表情で僕が必要だと訴えてくれた。僕が必要とされていると実感できたのは、あの時が初めてだった。

まじめな妻と、マイペースな僕はとてもいいバランスで釣り合っていると思う。

 

付き合っている時、ふたりでほんとうによく歩いた。ビールを飲みながら、手を繋ぎながら、時に雨に濡れながら、何を話してたかは覚えてないが、ずっと話しながら歩いていた。これからはテーブルに向かい合ってお金のこととか人間関係のこととか話し合わないといけない。ふたりで互いを補いあいながら生きていく。僕はひとりじゃ生きていけないから、彼女とふたりになることにしました。しあわせです。

 

「ひとつ恋でもしてみようか」というタイトルでブログを始めたら、ほんとうにひとつだけ恋ができた。

『ストレンジャー・シングス』の感想、僕の思春期はまだ終わってないという個人的な話

賢明であろうとすること、それが何よりも大切だ。パドルを握り、好奇心の航海に出る。書を携え、モンスターに立ち向かう。

 

シーズン1で、“you are not this stupid”とナンシーをたしなめたのは、バーバラだった。stupidにならないためのルールを取り交わしたのはホッパーとエルだった。じゃあ、あの夜スティーブンの家に行ったナンシーはバカだったのか? com-promiseできず、日の光の中に飛び出したエルは愚かだったのか? 違う、そうじゃない。この物語の中では若い誰もが好奇心に抗うことはできないのだ。

 

ストレンジャー・シングス』を見てると心躍る一方で、自分の少年時代を思い出して少し悲しくなる。あの頃の僕は、好奇心よりも人の目ばかり気にしてうじうじ悩んだり、人の目の高さに合わせて振る舞ったりしてしまったものだ。自意識にとらわれていた。自分のことばかり気にしていると、自分は消えてしまう。あのころ、僕の自分はパーフェクトに見失われていた。

 

ウィルを取り戻す、という目的が『ストレンジャー・シングス』のど真ん中にいつもある。“Will”、つまり意志であり望み。思春期という嵐の中で、僕らは影に襲われる。影に飲みこまれ、自分を見失ってしまう。ウィルが言葉少なで、他の3人より個性が薄いのは示唆的だ。彼は登場人物というよりも、この物語の象徴のような存在なのかもしれない。

 

思春期の嵐にひとりで飲み込まれてしまった僕は、自分の意志を取り戻すまでに13年くらいかかってしまった。取り返せただけよかった。一生自分の意志を見失ったまま、さまよい続けるゾンビボーイはたくさんいる。

 

学校でも憧れの的であったろうジョイスと付き合えたことで自信を取り戻したように見える“ガリ勉ボブ”にはえらく親近感を覚えた。僕らはいくつになっても、学校の中にあったヒエラルキーを参照してしまう。あの頃イケてたやつらは、今も僕の記憶の中で輝いてしまっている。
でも、ボブは学校ヒエラルキーの上位連中に引け目を感じつつも、ガリ勉ボブであることをちゃんと引き受けた。
ボブはなんたってまっすぐにガリ勉で賢明で、彼が蓄えてきた知識は愛する人を救う。

 

僕の思春期の行動基準は「人からどう見えるか」だけだった。自分の好きの気持ちに向き合ってこなかった。遠くへ漕ぎ出すこと、深く潜ることを恐れていた。僕は自転車には未だにうまく乗れないし、車だってペーパードライバーだ。だから自転車で滑走するマイクたちは僕よりずっと大人びて見える。ましてやマックスは……。

 

ラスト、スノーボール。マックスへの淡い恋心が破れたダスティンはすぐに視線を移し、別の女の子に声をかける。無視されても拒否されても次の女の子を誘う。でも誰も彼を相手にしない。大学に入ってはじめて渋谷のクラブに行った僕は、誰にも声をかけられず、隅っこでうじうじへらへらして、終電に乗って町田に帰ったのだった。だからダスティンはむちゃくちゃかっこよく見える、悔しくて寂しくて涙を流すとこまで含めて。

 

“Not stupid”と一歩を踏み出し、“I've been stupid, too”と帰ってきたbitchin'なエルのように成長することは、今からだってできるはずだ。

 

自意識とは違った次元で、自分と向き合う必要がある。
遠くに漕ぎ出すこと、深く潜ることはとても怖い。自分の中のモンスターを知ってしまうのが怖い。でも僕はそれを知らないまま死んでしまいたくないと、いま思う。僕の思春期はまだ終わっていない、というか、始まってないのかもしれない。早く決着をつけたい。まだモンスターの姿は見えてない。

“Should I stay or should I go”、答えは決まってる。

 

『アウトレイジ 最終章』見たよ

アウトレイジ 最終章』ようやく見た。『龍三と七人の子分たち』がまったくハマらなかったので期待しないようにしてたけど、おもしろかった。

 

ありきたりなヤクザの内輪揉めを軸にしたストーリーに韓国人フィクサーを絡めつつ、北野武作品らしい主人公・大友の生き様(=死に様)を通奏低音として描く。ストーリーには何ひとつ意外性はなく、ひたすら安心して見られる。これは北野武の意図したところだと思う。アウトレイジ・シリーズおなじみの残忍な殺しのバリエーションも言葉が過剰で意味をなさない罵り合いもここにはない。権謀術数というにはあまりにも地味でチープな策略が繰り広げられるだけ。そのケチ臭い権力闘争の最中でひとり、金でも力でもなく自分なりの仁義にのっとって大友は動き続ける。しかし金にも力にも興味がないからといって大友は決して良いヤツなんかではない。自分を律しているわけではなく、ただ関心がないだけだ。

北野武も大友のことを「馬鹿」と評していたけどその通りで、大友は仁義にあついヒーローでは決してない。たまたま金にも権力にも興味のない「友」の感情を欲望するケダモノでしかない。友のために敵を殺す。友のためなら、友の感情や利害はどうだってよくなるのが大友だ。馬鹿正直にスジを通すことだけを欲望するのが大友。彼の唯一良いところは、自分が馬鹿だったことを理解しているところで、だからせめてものケジメとして、大友はためらいなく最期の引き金を引く。

 

ソナチネ』を思い出させるホテル襲撃(『キングスマン』!)や牧歌的なのに死の匂い立ち込める海のシークエンス、『BROTHER』の「ファッキンジャップぐらいわかるよ、バカヤロー」を思い出す塩見三省の悪態なんかは、北野武作品を見てきたからこそ喜べるサービスみたいなもんだと思った。楽しいし嬉しいけど、新しさはない。

 

この映画で北野武はことさらに新しいことをしようなんて考えてなかったように思う。斬新さや突飛さで観客を驚かせるよりも、観客をもてなしてやろうくらいの気持ちで撮っちゃったのではないか。俺はそれをすごいことだと思う。

 

テレビでも映画でも名声を手に入れ、しかし確実に老い、どちらのフィールドでも全盛期のようなパフォーマンスはできなくなった今、彼がやることは観客の欲望に寄り添うことだった。それはアウトレイジがシリーズ化されたことからも明らかだった。売れなきゃしょうがないと開き直って、自分にできる範囲(その範囲がめちゃくちゃ広いのだが)でエンタメ作品を撮り、その中でもチラチラとアーティストとしての感性の片鱗を見せる。このバランス感覚が並大抵ではない。

 

アスファルトやその上を走る黒塗りの車に照り返る済州島のネオンがめちゃくちゃ美しい。僕の記憶の中では、あんなに夜が美しく感じられたのは、北野映画では初めて。暗闇でしか光は輝かないのだと思った。

今の北野武は、場末のネオンのような諦念と開き直りの美しさをたたえていると思う。

 

 

横須賀の映画館で見たんだけど、上映中ごく当たり前に間延びしたケータイの着信音が聞こえ、男が普通に電話に出て会話しながら外に出たことまで含めて、最高のアウトレイジ体験でした。戻ってきた男のシルエットがスクリーンを横切った。

手帳買った

手帳を買ったがまだ開いていない。買った時は人生初めての手帳だと思っていたが、2度目だった。1度目は大学に入った時で、ブルーのポケットに入りそうなサイズの手帳を買った。

あの時は、この手帳が予定で埋まったらかっこいいな、と思って買ったのだった。しかしものぐさの俺は、予定なんてものが嫌いだったし、友達も少ないし、バイトもしていなかったし、学校もろくに行かなかったので、結局その手帳は白紙のまま、2010年の暮れ、ゴミ袋に放った。

 

予定が苦手だ。楽しみに思ってるはずのことも、予定になった瞬間少なからず色褪せる。そのイベントにいろいろな想像を巡らせる。想像を超えるほど楽しいことなんて世の中には滅多にありはしない。その日のために準備するのがひどく億劫だ。その予定が面接とかテストとかだったら最悪だ。辛いことのために準備をしなけりゃならないのは苦痛以外のなにものでもない。

そう思って生きてきた。

 

しかしそんなことも言ってられなくなってきた。納期が複数ある。いくつものタスクを並行して片付けていかないと間に合わない。気づいたら俺はそういったごく普通の人間らしい営みに突入していた。

だから手帳が必要になった。漠然と予定に憧れて買ってみた青い手帳とは違って、今回買った漆黒の手帳は、これからの自分が未来を生きることを象徴してるように思えた。

 

けど、まだ、ビビってるのかもしれない。だから手帳を開けない。

 

これから俺に降りかかってくる現実については、本当に想像がつかない。ここ一年の間に起こった出来事の数々は、自分の脳みそがこしらえる陳腐なストーリーをことごとく上回ったきたが、これからは想像を巡らす暇もないほどに、現実に右往左往させられることになるだろう。

それはきっと楽しい。

 

しかし、右往左往させられてばかりなのも癪だし疲れるので、手帳にはこれからの俺を支えてもらうことになるだろう。

手帳を開けば俺の1ヶ月が一望できる。でも、そこからこぼれ落ちる数々のイベントの方が、俺を形作っていけばいいと思う。手帳には支配されたくない。

生きてます

転居やら取材やら原稿やらで、しっちゃかめっちゃかな1ヶ月だった。恋人との同棲が始まったり、猫との共棲がスタートしたり、素敵なことも多かったので、それに関する心の流れみたいなものを書いておきたかったけど、日々にかまけて疎かにしてしまった。

しかし、この生活をしているのは本当におれなんだろうか。

 

いま、おれはライターを名乗っています。とはいえ、それだけではまだまだこれっぽっちも食ってけない。仕事が欲しい。と思ってしまっている。去年のおれはこんな気持ちになるなんて、まったく想像していなかった。

 

恋人と暮らし始めたので、親からの仕送りはストップする。でもおれはずるいので、まだ父には同棲を始めたことは言ってない。夏に、「秋には同棲する」とは言った。でも同棲してるよとはまだ言ってない。

ただ、来月には前の家の家賃が引き落とされなくなるので、父は気づく。なので、今月が最後の仕送りだ。

おととし死んだ母の墓が、来月ようやく完成する。そのタイミングで帰省するので、その時おれは父親に「仕送りいままでありがとう」と言わなくてはならない。

 

今のおれを見たら、母はとても喜んでくれると思う。就活をやめ、母にうわごとのように語っていた将来像みたいなものに、いまのおれは近づいている。母が生きていたらきっと喜んでくれた。

 

転居のために部屋を片していたら、母からの手紙が見つかった。捨てたと思っていたのにあった。読んで、もちろん泣いた。久しぶりに、母のために流した涙だった。最近のおれはしあわせすぎて、母を悲しんでいなかった。

 

いま、おれは恋人が温めてくれたベッドの中に横たわり、腹のうえに猫の体重を感じながら、これを書いている。

 

猫のためにベッドを買ってやりたい。

この家には暖房器具がまだないので、早く買わないと凍えてしまう。

取材に使えるいいカメラが欲しい。

金が要る。

 

最近は、財布から金を出すのに痛みが伴う。発泡酒も1日1本になりました。昨日、安上がりだろうと思い、ウイスキーのボトルを買った。今日は、恋人が漬けた梅酒のお湯割りを飲ませてもらったし、ウイスキーをダブルで飲んだし、発泡酒も飲んだので、なんだかんだけっこう飲んでるな。

しかし眠気はなくて、少し高ぶっている。

 

恋人の連れ猫は無事に懐いてくれてとても嬉しい。

最近はおれが忙しくて(おれがせわしい!)恋人といっしょのタイミングで寝られないのが少し寂しい。いま住むアパートは2LDKもあるので(田舎なので家賃が安い)、おれがリビングで仕事をしていると、恋人は寝室に引っ込んで猫と寝てる。

 

ちょっと前までは、ワンルームで、恋人の寝息を聞きながらパソコンをかたかたしてたのだ。

恋人が寝ている寝室にこっそり入るのは少し楽しい。

 

きょうのこと

この秋から恋人と同居する。部屋の契約はもう済んでいる。今日は俺ひとりで鍵を受け取り、部屋を確認してきた。東京から離れてることもあって、家賃のわりに部屋数が多い、3DK。がゆえに、ベッドをどの部屋に置くべきか迷っている。入居は2週間後。

 

日の暮れかけた部屋は薄暗い。緑の山が西日で霞んでいる。月が浮かんでいる。感傷に浸る間もなく、部屋の寸法を測る。汗だくになる。恋人にLINEで逐一報告する。3部屋もあるが、どれも似たようなサイズだ。全体としては真四角な間取り。実家以外ではワンルームにしか住んだことがないので楽しみだ。

 

 

行きの電車ではナルコスを1話消化した。ひとつの家族が爆発に怯えるオープニングで、ひとつの家族が爆発で損なわれ放心するというエンディングだった。家族と社会、そして戦争について考える。

戦争においては、絶対正義な陣営は存在しないし、絶対的な悪もありえない。ことの発端に絶対正義や絶対悪があったとしても、複数人関わってしまえば、すべての社会事象は正義と悪の二元論では割り切れなくなる。俺はそう思う。俺は正義でも悪でもなく、凡庸で平凡な夫になりたい。

 

不動産屋で鍵を受け取る。入居してすぐに屋根の工事が始まるらしいので、それだけが残念。

 

部屋に行く前にビールを1缶買った。部屋でひとり感傷に浸ろうと思ったのだ。なんかセンチメンタルな曲でも聴きながらビールを飲もうとしていた。

しかし部屋の間取りを測ってる間に室内は真っ暗になってしまったし(何もない部屋が真っ暗だと恐い)、恋人の待つところへ早く帰りたいし、大森靖子ライブ配信も見たいし、ということで、そそくさと出てきてしまった。ビールは一息に飲み干してしまった。ちなみにBGMはくるりの「リバー」と「ハイウェイ」にしてみたけど、まったく気持ちにそぐわなかった。これから好きになる曲はこれまでとはまったく違うものになるかもしれない。感傷に浸りっ放しの人生だったが、これから先は、そうはいかない。「これから幸せしかやってこないのよ!大変なことになってしまうわよ、これからの私は」(©︎愛子さん)なので、感傷に用はない。

 

帰りの電車でこれを書いていた。今住んでる部屋の最寄駅から新居の最寄駅までは2本の電車を乗り継いで、1時間かかる。今ちょうど乗り換えた電車が出発したところ。